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2011年8月14日 - 2011年8月20日

2011年8月19日 (金)

地域社会を担う人材育成の課題

 地域社会を担う人材の育成は、地方が抱える大きな課題のひとつです。明治以来、中央政府と東京は地方が育成した人材を吸い上げることによって人的に支えられてきたと言っても過言ではありません。今や、これに「海外」という要素も加わって、より人材移動が流動化している時代です。これに対処するためには、より地方で多くの人材を育てていくより道はないと思われます。

 先祖代々住んでいる土着民で地元のみで仕事をして、転居転勤の可能性のない層を供給ソースとするのが、最も手っ取り早い方法ではあります。育成のために投下した資本を回収できる可能性が一番高いのがこの層です。しかし、問題点も多い。まず、地元のみで生活してきたということになると、外の世界を見てきていないことになります。今後は地域・地方と雖も国際社会の動きも見て対応して行かなければならないことを考えると、視野と言う面で非常に不安が残ります。また、先祖代々住んでいる土着民というものは、どうしても親族血族や地縁に縛られている傾向があり、仮に柔軟な思考プロセスを持っていたとしても、それを実行に移すのは非常に難しい環境に置かれることも容易に想定されます。そうすると、人材供給ソースとしてこの層を重視すると言う事は、下手をすると硬直化した思考の若者のみを「地域リーダー」として生み出していくことになりかねず、リーダーたる地位を大義名分として視野の狭い人材が主導権を握ることになれば、むしろ地域社会にとってはマイナスとなりましょう。何よりも、昨今の経済情勢では、特定の地域に仕事の場を拘束することは、破綻を招く恐れもあります。地元で仕事がない自営業者が労働者に転換していることが統計上も読み取れますが、彼らが労働者として特定地域に勤務地を限定した特約を付した労働契約を締結しているとは思えません(実務上も、そのようなことを許容する使用者はほとんどいないでしょう。使用者としては人材配置のフリーハンドを奪われてリスクだけ負う事になりますから)。

 それでは、転勤族や新住民を供給ソースとして考えればよいかというと、これも難しいものがあります。確かに、転勤族は海外も含めた移動経験を持っていることが多く、他の自治体で生活し勤務した経験は、相対化と言う点で広い視野を持つことを期待できます。また、おおむねこの層は高学歴であり、高等教育を受けているかどうかは、柔軟な判断力や論理的思考力と言う点において、高等教育を受けていない層に比べて高度なものを期待することができます。

 しかし、仕事の関係で転勤転属と言う事が当然考えられ、教育と言う形で資本投下しても、それが回収できなくなるリスクは土着民に比べると非常に高いものとなるでありましょう。日本の労働法実務では、転勤は使用者側のフリーハンドが原則的に確保されており、これを拒否することは理屈の上でできないことはないのですが、実際には非常に難しいものとなっています。端的に言えば、転勤を拒否した場合には業務命令違反で解雇されると言う可能性も高いわけです。そのリスクを負わせるのは酷と言えましょう。仕事よりも地域貢献を優先すべきだと言う意見もないわけではありませんし、実際に消防団活動に従事するために定職を辞めてしまったという人もいることはいます。しかし、多くの国民が仕事をすることで食を得社会的な存在意義を見出している中では、恒産を枕に無為徒食を重ねられるような境遇の者を別にして実現不可能な暴論と言うしかありません。

 私は地域社会を担う人材養成という点に関しては、できるだけ広範囲な人材を集め、教育訓練の機会が与えられるべきだと考えます。この過程においては、教育資本を投下してもただちに当該地域に戻ってこないものがあるということも、当然含んでおく必要があります。しかし、人材を育てることは、国家レベルの観点から見れば決して無駄にはならないでありましょう。また、現在では「ふるさと納税」という制度もあり、居住しなくなった人々からの税収も期待できる以上、転勤族や移住者であっても良い印象を与えられることは決して無駄な事にはなりません。

 としても、やはり主要な供給ソースは原住民であり転勤転属のない層が中心になることでしょうから、排他的にならぬよう、また出来るだけ視野を広げる機会を作るよう、行政側も考慮する必要があります。

 いずれにせよ、もし地域社会を担う人材=長老や権力者の言う事をよく聞く若者と考えているのであれば、地域社会活性化や地域を頭脳で支える人材と言う点ではあまり期待できないものとなるのではないでしょうか。確かに、「兵隊」としては優秀かも知れません。しかし、この時代に思考力や広い視野という点を欠いた人材にリーダーシップを握らせてしまった場合、指導力が及ぶ範囲内はムラ社会に拘泥する一部の層にとどまり、流動性を持つ層に対しては何らの指導力をも発揮できなくなるばかりか、むしろ反発を招く可能性が高いように思われます。また、保守的な思考に留まる限り、進取の気風は衰え、社会そのものの停滞化を招くことになるのは、歴史が教えるところです。

 高度な思考力や判断力を持っている人材は、従前から中央政府や東京に吸い上げられてきました。これは、国の制度そのものにも原因はありましたが、同時に地方社会・地域社会がそうした人材を使いこなすことができず、適性に応じた活躍の場も与えてこなかったことが大きいのではないでしょうか。特に、高等教育を受け頭脳を生かしたいと思っている層にしてみれば、体を使うことを専らとする兵隊扱いされて面白いわけがありません。自分の能力を評価されず発揮する場所もないということほど、閉塞感を感じることはないのです。有能な人材を吸い取られたくなければ、第一には相応に吸い取られても残るだけの有能な人材を多く養成すること、第二には幅広い価値観・能力を有する人材を使いこなせるだけの場所を提供する事です。

 ちなみに、そのような人材育成そのものが不必要だと言う意見もあります。すなわち、地域社会に全く価値を見出さなければ、そもそもそんな社会を支える人材など不要であり、したがって育てる必要もないという理屈です。しかし、日本全体を東京の劣化コピーにする必然性は全くありませんし、郷土が崩壊して行くと言うのは心情的に悲しい事でもあります。したがって、私は地域社会を担う人材養成は必要だと考えています。

2011年8月17日 (水)

直接投票制度の利点と問題点

 みんなの党が、原子力発電継続の是非を問う国民投票法案を参議院に提出しました。日本は憲法上間接民主制を基本として採用しており、今のところ国政レベルでは憲法改正の是非を問うものしか採用されていません。憲法学上の議論の詳細はともかくとして、間接民主制のあくまで例外とされています。

 直接投票制度の利点として挙げられるのは、言うまでもなく直接投票によって民意を直接政策的な意思決定に反映させることができるということにあります。特に最近では間接民主制について「国民の意識と乖離している」「政治家が勝手に自己中心・好き勝手・やりたい放題をやっている」という感情からの不満が強いものがあり、恐らくみんなの党も、そうした不満を吸収することを意図して今回の原発国民投票法案を提出したのでしょう。

 しかし、民意の正確な反映を重視するか民益の最大を重視するかでも民主主義のあり方に対する考え方は異なります。世界の主要国のほとんどで間接民主制が採用されているのは、移ろいやすい民意がダイレクトに政策決定に反映されてしまう事についての弊害を防止する意味がある。そう考えると、直接投票制度によって間接民主制の利点が害され、民意がダイレクトに反映されることによる弊害を防止できなくなる虞があります。

 どのように問われるかで答えも変わってきます。投票の際の「設問」の作り方次第で、投票結果として現れる「民意」そのものも大きく変わってしまう。例えば、法律や条例の賛否について、一括して賛否を問うのか、条文ごとに賛否を問うのかによっても、結論はかなり違ったものになるでしょう。選挙結果に関してどのようなかたちで法的拘束力を与えるかも問題です。

 また、政策は「白か黒か」というような簡単なものではありません。「郵政民営化」や「政権交代」という、「白か黒か」を争点にした選挙の結果何が国民にもたらされたかを思い返せばよい。グレーゾーンや利害調整を考慮しない政策決定は、かえって大きな不公平・不公正を国民にもたらすことになりかねません。そして、「民意」という大義名分が掲げられるだけに、侵害される権利の保護が十分に行われなくなる危険性もあります。得られる利益に比べて、弊害がどうしても無視できないと言わざるを得ません。

 現行の憲法改正に関する国民投票法では、18歳からの投票が可能となっています。成年と未成年の線引きをどうするかは、民法改正の場でも議論になっており、他の先進諸国と同じ18歳にすべきだという意見が優勢であると言われていますが、今のところは憲法改正に関する国民投票法でのみ認められた「例外」と考えるほかありません。原発国民投票でも同じように「例外」として18歳或いはもっと若い世代の投票を認めるか、本則に戻って20歳以上とするか、そのあたりも議論がされるべきでしょう。

 地方での住民投票の場合、これに加えて外国人に対する地方参政権付与の問題とからめて争いのあるものがあります。すなわち、日本国民ではない外国人にも住民投票に参加する権利を認めた場合、事実上外国人に参政権を付与したのと同じ事になってしまいます。賛成派は外国人も住民投票に参加させよと主張し、反対派は当然ながら参加させるべきではないと主張しています。特に法的拘束力を持たない住民投票の場合、法的拘束力のないことを理由として外国人の参加を住民投票推進派が要請していることが目立ちますので、この問題を理由として住民投票に懐疑的な意見を持つ人も多くいます。少なくとも、住民投票に関しては外国人参政権に対する賛否とその理由づけを明らかにするのは当然と言えましょう。

 直接投票制度は利点もあれば問題点もあります。間接民主制の行き詰まりに対する特効薬のように見えてしまうことは理解できなくはないにしても、副作用も大きい。名古屋市議会の解散を求めた例を見ていると、議会に対する説得をはじめから放棄し、大衆を扇動するという手法を正当化する手段にもなりかねない。原発継続の是非を問う場合、憲法改正の場合と異なって個別の政策に関する賛否を争う事になります。これは、国民投票に対するハードルが低くなることになり、他の立法によって国民投票が乱発されることにもなりかねません。

 少なくとも、直接投票制度を「逃げ場」にすることがあってはなりません。慎重な検討と議論が必要です。

 

2011年8月15日 (月)

「日本のいちばん長い日」

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6・7頁目4・5頁目

 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵カス如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排儕互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宣シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

                                  大東亜戦争終結ノ詔書(1945.8.14)

 日本が連合国側に条件付ポツダム宣言受諾を通告したのは1945年8月14日のことで、この終戦の詔書の日付けも8月14日となっています。詔書は天皇の御名御璽に加えて内閣各大臣の副署を要し、官報の号外という「形式」を取って公布の手続きとされました。日本が降伏文書に調印したのは1945年9月2日のことです。

 しかし、8月15日は日本国民にとってそれらの日を忘れてもなお記憶されている重要な日です。日本国民だけでなく、日本と交戦していた重慶国民政府を継承する台湾と重慶国民政府を承継した現台湾政府を革命で大陸から追い出して成立した中国、日本の支配下にあった韓国と北朝鮮でも、8月15日が解放された日として記憶されています。手続き上は8月14日までに終わっていたとしても、既に戦火から解放されていた欧米諸国は別として、アジア諸国については8月15日の昭和天皇の玉音放送をもって、戦争が事実上終わった。それが新たな戦争と分断のはじまりではありましたが。

 日本政府の終戦に至るまでの混迷を描いたのが、映画にもなった「日本のいちばん長い日」(半藤一利)です。開戦に関しても、ヒトラーやムソリーニのような「明確な首謀者」がいたわけではなく、組織や有力者の利害や面子からズルズルと戦争に引きずり込まれた経緯がありますが、終戦もまた軍や各官庁の利害や面子に加え、国体思想や英霊に対する考え方など「大義名分論」も絡んで、一筋縄ではありませんでした。

 主役は三船敏郎演じる阿南惟幾陸軍大臣で、史実通り割腹自決を遂げるという結末が描かれています。この陸相自刃が戦争継続を主張する軍人に冷や水を浴びせ、驚くほど混乱の少ない終戦につながったと言われています。法的には陸相には腹を切って死ぬべき罪はありませんでしたし、戦争継続派の軍人たちにしてみれば、戦争継続が正しいならば陸相が腹を切って死んだからと言ってどうということはなかったでしょう。現代の合理的思考に基づけばそうなるのですが、当時の陸軍軍人の精神は現代と全く異なるものであったことを思い出す必要があります。

 阿南陸相本人は、ドイツに視察旅行した程度の海外経験しか有しておらず、遺された日記その他の資料からも欧米の知識や精神を進んで吸収していた形跡は見られないと言います。最後まで純日本的な精神を貫いた末の切腹であり、その精神を共有していた陸軍もまたそれで抗戦の意思を放棄した。この精神的なものを文章で説明するのは大変難しい事です。しかし、何となく心情的には理解できるような気がします。

 阿南陸相と好対照なのが米内光政海軍大臣でした。米内海相はあくまで生きて海軍と敗戦国の後始末をすることが最後の使命であると認識していたようです。そして、海軍を解体した上で、将来に繋がる手を打って海相を退き、昭和23年に病死しました。米内海相が将来の海軍の再建を見こしていたと思われる形跡は多く、実際に米内の薫陶を受けた人々が現在の海上自衛隊の基礎を築いています。現在の海上自衛隊には旧海軍の伝統が陸自よりも色濃く残っていると言われており、それがかつての敵対国であったアメリカ海軍に何の問題もなくむしろ敬意をもって受け入れられていることに思いを致す時、米内の計算は間違っていなかったと言えるでしょう。この点は対照的で、精神論を重んじていた旧陸軍に比べて、旧海軍は長らく合理的な思考を重んじていましたから(ただし、太平洋戦争の頃には陸軍と変わらない精神論がまかり通っていたと多くの関係者が回顧していますが)、米内の生き方もまた合理的であったと言えるでしょう。

 阿南陸相と米内海相の生き方はあまりにも好対照をなしています。米内海相は阿南陸相自刃の直後にただちに陸相官邸に弔問に訪れ、その死を惜しんだと伝えられていますが、一方で、阿南陸相は米内海相の辞職を止めようとしたりして、少なくとも米内海相と一緒に終戦に持ち込む努力を続けましたが、本心では米内を嫌っていたのではないかという話もあります。「日本のいちばん長い日」を書いた半藤一利氏は嫌っていたのではないかと言う説を唱えています。

 阿南と米内のキャリアを比較してみると、ともに陸士海兵での席次はそれほど高くなく本人たちも「頭が悪い」と自嘲気味なところがあったことでは共通しています(実際には当時の陸士海兵は旧制高校と並ぶエリート校ですから、日本全体から見ればエリート中のエリートで、愛知で言えば東海旭丘明和あたりの学生が自分は頭が悪いと言うようなものでしょうか)。しかし、軍人としてのキャリアの中でも米内は海外勤務の経験を持ちロシア文学を好んだのに対して、阿南はあくまで純日本的にのみ関心を持ち続けた。恐らく、お互いに相手の思考プロセスはなかなか理解できなかったのではないでしょうか。

 ただ、結論から言えばこの二人の生き方は、いずれも日本を救ったことだけは間違いないと私は考えています。もし、逆だったらどうなったでしょうか。恐らく、阿南は死ぬまで責任を取らなかったと責められたのみならず、陸軍の分裂と暴走が起こり、一種の内戦状態になっていたかも知れません。日本国内のみならず、中国大陸に駐留していた部隊が暴走する危険があっただけに、中国大陸での戦火がさらに続くようなことになった可能性もありますし、朝鮮半島や台湾も同様です。

 また、米内が8月14日に腹を切っていたとしたら、海軍はそれでも復員までは粛々とできたかも知れませんが、そこから先の再建という道は難しかったのではないかと思います。海上自衛隊はできたかも知れませんが、旧海軍の伝統を受け継ぐ組織という位置付けにはならなかったかも知れません。そうすると、外洋海軍ではなく沿岸警備隊の延長のような組織となり、シーレーンを守ると言う思想も生まれず、日本近海は今よりもっと多くの不審船や工作漁船が跳梁跋扈するような事態になっていた可能性が高いように思われます。

 映画でも対照的な描かれ方をした米内と阿南ですが、二人とも泉下では自分の取った道がともかくも日本を救えたと、ともに満足しているのではないでしょうか。

 最後に、終戦記念日にあたり全ての戦没者に対して、衷心より哀悼の意を表したいと思います。

 

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