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2011年7月3日 - 2011年7月9日

2011年7月 9日 (土)

九州電力事件

 佐賀県で行われた住民説明会において、九州電力玄海原子力発電所2、3号機の運転再開に関する県民向け説明番組において、九州電力が関連企業に対して、原発稼働再開に賛成するメールやFAXを「一般市民を装って」送るよう要請していたことが判明しました。自民党政権時代に発覚したのタウンミーテイングやらせ&サクラ事件を思い出させるものです。

 実際にどれだけの数の関連会社の関係者が「原発稼働再開賛成」の意見を送ったのかは分かっていません。しかし、恐らくは原発関係の仕事をしている「住民」も多いことでしょうから、利害関係人を「住民」から排除するわけにはいきません。一方で、利害関係人が徒党を組んで特定の意見を「住民の意見」として寄せることは、結局のところ偏った意見をあたかも多数意見のようにしてしまう危険性があります。

 今回は言わばアンケートのようなもので、別段法的拘束力もありませんし、ただちに公権力が発動されると言うものでもないものでした。しかし、「住民参加のまちづくり」とか「みんなの声を」と呼ばれているものが、本当に「住民の標準的な意見を反映する者なのか」は懐疑的に見る必要があります。今回の事件のように、利害関係者がそれを隠して意見を寄せる危険性は考慮されねばならない。もっと言うならば、積極的に参加できるだけの金銭的時間的余裕のある人の意見が必ずしも多数を代表しているとは限らないのではないかということです。選挙で選出される首長や議員の場合もこの危険性は内在されていますが、少なくとも公職選挙法による選出と言う形で手続き上の公正は担保されている。これに対して、「住民参加のまちづくり」とか「みんなの声を」と言っている人たちが、手続きの上の公正を担保することを前提の上でスローガンを叫んでいるかと言うと、どうも疑わしいものがあります。

 九州電力の姿勢は厳しく非難されなければならないものですが、九州電力特有の事件だと考えるのは早計であり、一般市民からの意見募集について、今後は利害関係人からの一定の圧力がかかっていることを考慮する必要があるように思われます。

2011年7月 7日 (木)

盧溝橋事件(七七事変)記念日

 今日は日本では「七夕」ですが、中国と台湾では「七七事変」の日、すなわち盧溝橋事件の記念日とされています。まさに、ここから日本と中国の泥沼の紛争がはじまった。そして、高まった中国の「反日」世論はアップダウンを繰り返しつつも今に継承されています。

 もっとも、日本政府は当初から「不拡大」方針でしたし、中華民国政府も同じでした。盧溝橋事件を引き起こしたのは当時中華民国政府と争っていた中国共産党で、劉少奇(中華人民共和国成立後国家主席)指導の元で北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた中国共産党地下党員、吉星文、張克侠、何基灃らの工作によるもので、まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したという話もあります。陰謀説ですが、当時の日中両国の首脳の対応、後に毛沢東主席が「日中戦争のお陰で我々を勝たせてもらった」と日本代表団に語っていること、もともと中国には「夷を持って夷を制する」という思想があることを考えると、全くの空想とも言えないように思います。ただし、歴史学者の間での多数説は、国民党軍による偶発的な発砲が日本軍の過剰反応を引き起こし、事変に繋がったとされているものです。

 日本側が意図的に事変を引き起こしたのかと言うと怪しいところがありますが、現地指揮官の牟田口大佐は後にインパール作戦で「馬鹿な大将敵より怖い」「鬼畜牟田口」と呼ばれた日本陸軍を代表する愚将でしたから、その思考パターンを共産党の工作員が熟知して起こしたかどうかは別にして、ちょっとしたトラブルで紛争になったことは納得できてしまうところです。

 いずれにせよ、盧溝橋事件は特に中国政府によって「反日教育」の格好の材料にされてしまっているだけでなく、日中間の外交において中国側が自国民を煽って日本に譲歩を迫るカードとして何度も切られています。いささかワンパターンですが、それに何度も屈する日本の外交は情けないとしか言いようがありません。

情人節

 今日は七夕です。台湾では、七夕を「情人節」(東洋的情人節)と呼び、2月14日のバレンタインデーと同じような位置付けの日となっているそうです。なお、バレンタインデーは「西洋的情人節」と呼ばれています。恋人が七夕に会ってくれないことを悲観して自殺する女性まで出たくらいですから、我が国の七夕の位置付けとはかなり異なるようです。

 我が国の七夕は日本で古来からあった祖霊を祭る行事に中国からの伝承が融合して生まれたものと言われています。台湾の「七夕」が中国から直接伝わったものなのか、植民地時代に日本経由で伝わったものかは、私もよく知りませんので、事情を知る方に是非教えていただきたいところです。

 日本各地では七夕にちなんだ祭が行われていますが、新暦で行っているところと旧暦で行っているところがあります。内容的にも、伝統的に行われてきた祭に由来するものと、町興しのイベントとしてスタートしたものがあります。

 愛知県では、例えば安城市が日本三大七夕祭りとして旧暦で行っています。この七夕祭りは戦後のもので、商店街活性化のために行われるようになったそうです。安城市は私も訪れた事がありますが、市街の中に七夕を含む星や星座を取りこんだデザインがされており、また市民会館には「オタクが全国から見に来る」と言われるプラネタリウムがあり、通年で「星に親しむことができる」環境が作られています。それでも運営は大変そうですから、「お祭り」を作って「観光客を呼び込もう」というのは誰しも考えつくが実現は簡単ではありません。

2011年7月 6日 (水)

長久手市に移行へ

 本日、加藤梅雄町長が大村知事を訪れ、市への移行を正式に要請しました。県議会で議決を経て、来年には長久手市が誕生することになります。

 現在のドイツ・オーストリアにあたる地域で中世から伝えられてきた慣習法・ことわざに「都市の空気は自由にする」(Stadtluft macht frei)というものがあります。中世ヨーロッパは農業中心であり、その農業は農奴が支えていました。中世ヨーロッパの農奴は売買こそされるそんざいではなかったものの自由身分はなく、移動や職業選択の自由もなかった。それが、都市に移り住んで1年と1日経つと自由身分を獲得できたのです。これは、封建領主からの解放を意味しました。もっとも、都市にはギルド(組合)が存在し、公証人などを除けばギルドの中で修業しないとまともな仕事には就けなかったわけですが。

 農村は封建領主が支配するのが原則でしたが(教会勢力が封建領主と同等の地位を持って支配するケースはありました)、都市はもっぱら自由市民による合議で運営されていました。現在にもつながる自治意識や法の支配は、封建領主に支配された中世農村より、むしろ中世都市で生まれたものと思われます。

 日本の制度では、人口5万人を超えれば市になることができます。5万2千人の人口を持つ長久手町は当然その資格がある。しかし、メンタリティーや思考プロセスが何処まで「都市化」しているかというと、かなりばらつきがあるように思います。

 私はかつての農村的な伝統文化を全否定はしませんが、市になる以上市民は「自由市民」であらねばならないのではないかと考えます。封建的な思考やプロセスを墨守しているなら、ムラのままでも良いわけです。それで「市」を名乗るならば羊頭狗肉とさえ言える。市民のより高い自治意識が求められるのではないかと思います。「長久手市」を玉にするか瓦にするかは、これからの市民の意識次第であると言えましょう。

2011年7月 5日 (火)

松本龍前復興担当大臣暴言事件

 もう少し「言い方」というものがあったろうに、これでは「暴言」と言われても致し方ないところです。同じ福岡出身の麻生太郎元総理を思い出させますが、同じ内容でも言い方ひとつで印象が全くと変わる事にどうして気付かなかったのでしょうか。

 復興事業を進めていく上では、当然ながら地域のコンセンサスが必要です。地域の復興には、中央で一方的にプランを作って押し付けるよりも、地域の実情にあったものを地域から出して行った方がより需要にあったものを作ることができるでしょう。また、復興を機に私権を制限するような改革を行う場合には、不利益を受ける者を十分か納得させる必要があります。しかし、松本前大臣のあの言い方では、それはほとんど伝わりません。

 最大の問題は、前大臣が知事をあたかも指揮命令下にある部下のように接してしまったことではないでしょうか。言うまでもなく、閣僚と知事には指揮命令系統は存在していません。いくら「復興担当大臣」だからといって、知事の上司ではない。仮に指揮命令下にある部下に接する場合でも、あのような体育会系の上下関係を彷彿させるような言い方は好ましいものではありません。

 年齢的に年下の知事の出迎えがなかった事を怒っている姿は、率直に言って余りにも幼稚です。とても還暦を迎え、当選7回を数えているベテラン政治家に相応しいものではありません。むしろ、現地指揮官としてより県民からの苦情や罵詈雑言に耐えねばならない立場にある年下の知事に対して一言くらいねぎらいの言葉があっていい筈です。

 松本前大臣は三代続く世襲政治家で、祖父の松本治一郎参議院議員は部落解放運動の闘士として活躍し初代の参議院副議長に選出され、色々な話はあるにせよ気骨のある人物だったと伝えられています。「貴族あるところ賎族あり」と述べた人物の孫が「長幼の序」や「権力」を振りかざす姿を泉下で眺め、さぞ情けなく思われているのではないでしょうか。

2011年7月 4日 (月)

オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン元オーストリア=ハンガリー二重帝国皇太子逝去

                     Otto Habsburg 001.jpg

 最後のオーストリア=ハンガリー二重帝国皇太子であったオットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン元欧州議会議員(ドイツ選出)が7月4日に98歳で逝去されたそうです。

 誕生した1912年には、まだ皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が健在であり、帝国の「跡取り」として大変な期待を背負わされるも、第一次世界大戦後にハプスブルク帝国は消滅しオーストリア革命でオーストリアから追い出されてしまいました。その後もオーストリアへの復帰を狙ったりしたそうですが、結局それは断念され、以後は欧州の統合に人生を捧げています。

 確かに、ハプスブルク帝国は滅亡して久しく、オットー元議員も皇族貴族ではなく一人の市民としてドイツから欧州議会議員に選出されました。しかし、EUの拡大と発展により、ヨーロッパ、少なくとも西欧中欧ではかなり統合が進んでいます。かつて、ハプスブルク帝国がやろうとしてもできなかった欧州統合が現実のものとなりつつある。その端緒を作るのに多大な貢献をされたわけですから、王冠を失っても果たした歴史的役割は歴代のハプスブルク帝国の皇帝たちに劣るものではなく、堂々と泉下の御先祖に顔向けできると言えるのではないでしょうか。

 長男のカール氏はオーストリア選出の欧州議会議員をつとめ、二男のゲオルグ氏はハプスブルク家にとって因縁の地であるハンガリー赤十字の総裁をつとめています。「神に選ばれた一族」と言われたハプスブルク家はかつて持っていた帝冠も王冠も全て失いましたが、これからも存続し役割を果たし続けるのではないかと思います。

                    

                   ハプスブルク=ロートリンゲン家の家紋

2011年7月 3日 (日)

日本青年会議所東海フォーラム

 7月2日に、日本青年会議会議所東海地区協議会主催の東海フォーラムに出席してきました。山村武彦氏による防災に関する講演が行われました。山村氏はメモを取ると45パーセント、メモをまとめて人に伝えると90パーセントが記憶に残り活用できると述べられました。私は講義や講演を聞くときは習慣でメモを取りますので、そのメモをざっとまとめてみたいと思います。(講演全体を詳細に記録したわけではなく、私が取ったメモの中の更に一部です)

・被災者に対して「頑張れ」と時として反発されることがある。被災者は既に頑張り続けている。

・2011年3月11日に発生したのは「広域複合大災害」である。様々な災害が同時多発的に発生したのが特徴と言える。

・日本人のマインドが変わり、リスク分散やライバルとの協調、一定の在庫を持つ事が志向される様になった。(水野注:市場原理主義的な経済学者はこの変化をどう説明するだろうか?また、日本人意識の乏しい経営者や企業はどうか?)

・地震予知や予測は、日本列島50万年の歴史のうち1800年程度の経験則から導き出されているものに過ぎない。

・専門家による「エキスパート・エラー」に留意しなければならない。(水野注・関東大震災では地震学教室の今村助教授が予測していたものを大森主任教授がパニック等を警戒して学会で潰してしまっていた。専門家が本当に良心に基づいて提言してきたのか、学会内の力関係や研究費配分を利用した行政等の「圧力」も見る必要がある)

・今回の津波も含めて、常に「最悪」を想定して動いた者が助かっている。

・「自分で判断して逃げた」者が助かる可能性が高い。(水野注・日本の学校は「集団行動」を重んじJCすら「和の精神」を表に出している。自律判断のトレーニングは本当に肯定され得るのか?)

・堤防は津波を完全に防ぐことはできなくとも、津波の力を和らげて逃げる時間を稼ぐ役に立っている。

・公的機関が被災し、住民への対応ができなくなった。被災地外の自治体が人を派遣しても、すぐに帰ってしまう。(水野注・事前の受け入れ計画等がないとこれは厳しい。システム構築の余地がある。また、送り出す自治体も「人減らし」全盛では人員の捻出は厳しく、更に長期派遣できるほど「余剰人員を抱えている」ということが問題にされかねないということころがあるのではないか?)

・安全でも安心であるとは限らない。(水野注・政府発表)

・東海地震は南海地震と連動する可能性が極めて高い。したがって、「最悪」の事態を考慮すべきである。(水野注・日本は伝統的に「希望的観測」で被害を拡大させた歴史がある)

・従前の「安全策」は疑われる必要がある。例として机の下に入るのは役に立たない。大地震では机の下に入ると言う避難行動自体を取れないほどの揺れになることが多いし、机の下にもぐっても建物が倒壊しては意味がない。閉じ込められないようにすることが先ずは重要。

・災害時における企業の社会的責任についてどう考えるか。店を開ければ略奪行為を逆に抑止できる。

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