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2011年6月12日 - 2011年6月18日

2011年6月17日 (金)

ビンラディン容疑者の後継者にザワヒリ容疑者

                 

 国際テロ組織アルカイダがイスラム過激派のウェブサイト上に声明を出し、ウサマ・ビンラディンの後継指導者として、エジプト人の副官アイマン・ザワヒリ容疑者(59)を任命したと発表しました。これからも、アメリカとイスラエルに対してテロを続けるそうです。

 一体、誰が何の権限に基づいて「任命」したのかよく分かりません。何しろ、アルカイダには明確な「中央指導部」のようなものがあるわけでもなく、カトリックのように「コンクラーベ」が行われているわけでもないからです。勝手に「俺はアルカイダだ」と名乗っているテロ組織や反米組織が多いと言う話もありますから、実のところビンラディンやザワヒリにしても、どこまでがアルカイダかよくわかっていなかったのではないでしょうか。

 従来の戦争では、大抵の場合首都を陥落させるか、最高指導者の首を取れば決着がついたものでした。しかし、テロとの戦いでは、殺しても殺しても新たな「最高指導者」が出てくるうえ、陥落させる明確な目標となる首都も存在しません。何処まで戦えばいいのか、「終わり」が見えてこないのです。

 こうした状況の下では、粘り強くテロを封じ込めていくしかありません。それも、単に軍事力だけでなく、経済支援や教育支援により、テロリストの産まれる土壌そのものを制圧していく必要があります。特に、移民や外国人労働者の受け入れを巡る問題は、日本にとっても最早無関係ではありません。単純な「労働力の移動」だけで終わらないことを、もっと日本も自覚する必要があると思います。

2011年6月15日 (水)

節電

 関東地方は至る所で「節電」されています。エスカレーターや券売機は言うに及ばず、東京駅周辺すら照明が落とされているようで、手元の地図もよく見えないところがしばしばありました。東京では、コンビニも自販機も「節電中」の張り紙を出しているところが目立ちます。節電をPRすることで、そのまま「社会貢献」をPR出来るとの事です。

 実際のところ、電力不足は電力需要のピーク時に問題になるとの事で、ピーク時以外に節電していたとしても、それを「貯めておけるわけではない」そうですが、心がけは大切でしょう。

 同時に、原発については長期化を覚悟しなければなりません。津波についても同様です。一斉に「義捐金」「節電」は結構ですが、息の長い支援を続けていくことが重要だと思います。我が国はどうしてもマスコミが取り上げるところに支援が集中する傾向にある。大震災も津波も原発すらも「センセーショナルな話題」でなくなる日が遠からず来るでしょうが、問題は依然として解決されて院内可能性が高い。報道が減ってきても、注意を怠らないようにする必要があります。

AKP326

                        トルコの国旗

 AKBではありません。ただ、韓国語ではBとPの発音が曖昧であるため、AKPもAKBも同じように聞こえると言う話ですが、本当かどうかは分かりません。

 トルコ共和国で総選挙が行われ、与党であるイスラム系政党AKP(公正発展党)が大国民議会の550議席中326議席(得票率49.90パーセント)を獲得して過半数を制し引き続き政権を担当することが確実になりました。トルコでは選挙区と全国合計でともに10パーセントを超える得票をしないと政党に議席が配分されない制度になっています。これは、小党乱立時代経験している為で、日本の小選挙区比例代表並立制やイギリスの小選挙区制以上に、多数政党により多数を議席を与えるシステムと言えます。

 トルコ共和国はイスラム諸国の中では(ただし、政教分離を国是とするトルコには「国教」は存在していませんが99パーセントはイスラム教徒です)珍しく、西欧型の人権思想が導入され、自由選挙と民主主義が保障され相当長期に渡って維持されています。ムスタファ・ケマル・アタチュルク大統領によるトルコ革命以来、「世俗主義」と「政教分離」がトルコ共和国の国是でしたが、最近では穏健とは言えイスラム系政党が政権を維持し続けていることは注目すべき事柄です。

 パレスチナ自治区議会で議席を得ているハマスはイスラム武装集団の中の議会闘争部門といったところですが、AKPの場合は必ずしもそのようなものではなく、あくまでも所属議員や党員にイスラム色が強い者が多いと言う意味でのイスラム系政党になります。かつては比較的イスラム色の強い政策を打ち出しており、「トルコをイスラム国家に戻す気か」と警戒されていたものでしたが、最近では比較的穏健な方向で政権運営を行っており、かつてに比べるとイスラム色は薄れています。

 AKPは刑法改正で「姦通罪」の復活を目指したものの廃案になっています。これは、AKPの所属議員には「複数の妻がいる」方がおられるそうで、「姦通罪」を作ってしまうとこうした議員がめでたく「姦通罪」で処罰されることになるため、結局廃案になってしまった(はせざるを得なかった?)という笑えない話もあります。トルコではイスラム法ではなく西欧近代法が民事系でも適用されており、一夫一婦制になっていますので、いくら「イスラム法」上は合法な結婚で複数の妻と結婚していたとしても、それは認められないわけです。

 理念型政党が野党から与党になるような場合、経験不足から経済政策で失敗するというケースが日本をはじめまま見受けられますが、現在のトルコは経済状況が悪くないこともありますから、AKPが国民から経済運営に関して一定の評価を得ていると考えられます。

 現在のトルコはAKPと、HCP(共和人民党)との二大政党制で、イスラム色の強いAKPに対して、ムスタファ・ケマル・アタチュルク大統領以来の衣鉢を受け継ぐHCPが世俗主義派を代表する構図でしたが、最近では必ずしも争点が「世俗主義対イスラム回帰」にはなっていないようで、穏当なところに落ち着きつつあると言えます。ただし、教育政策や外交・安全保障政策が争点になるようになればいいかというと、簡単ではありません。

 例えば、学校現場でのスカーフ着用を認めるか否かは教育政策であると同時に宗教問題になるためです。外交・安全保障においても従来のNATOの一国として西側諸国に留まり更にEU加盟を目指していく「脱亜入欧」路線を維持して行くのか、周辺のイスラム諸国との関係を強化して行くのかによって、これまた宗教政策との関連があるわけです。

 AKP政権はEU加盟を目指す姿勢を崩さない一方、欧米諸国とイスラム諸国の仲介役としての存在感を強めており、こうした点において上手いバランスが取れています。問題は、EUの側が常にトルコが加盟を求める度にハードルを引き上げると言う手で加盟を事実上阻止してきていることで、こうしたEUの姿勢に対する「失望」もトルコの外交を「多角化」させている原因のひとつではありましょう。もっとも、現在のトルコ外交の多角化は成功していると言えます。

 いずれにせよ、AKPが326議席を獲得したと言う事は、トルコ国民がAKPに引き続き支持を与えたと言えますが、それはイスラム色に対する支持とイコールではありません。引き続き、AKPが現在の穏健路線を歩んでいく限り、トルコの土台を揺るがすような問題には発展しないように思われます。

 ただし、AKPが国会の多数に安住し、或いは多数を与えられたことで2005年選挙後の自民党や2009年選挙後の民主党のような態度を取るようにならないという保証はありません。実際、世俗派を中心として、AKP多数をもってイスラム国家回帰につながるような政策特に憲法改正を行うのではないかと危惧されてきました。この点において、AKPは国会の過半数を獲得したものの、単独で憲法を改正できる367議席どころか改正案を国民投票にかけるために必要な330議席にも届かなかったのですから、一定のバランスが取られたと言えます。

 世俗主義を掲げるHCPは前回選挙の112議席(得票率20.88パーセント)を上回る135議席(得票率25.94パーセント)の議席を獲得しており、AKPがイスラム色を強めていく可能性を危惧する勢力が相当数存在することを証明しています。

 現在のトルコのある地域を領土とする国家は、この二千年ばかりの間、常に「文明の十字路」に位置し、「文明の懸け橋」としての役割を果たしてきました。恐らく、今後もその役割が変わることはないでしょう。むしろ、トルコはその地の利を生かして、積極的に懸け橋となることを志向しているように思われます。

 日本としては、明治以来トルコとは長い友好の歴史があります。ともに近代化に苦しんだアジアの国家であり、西欧化を成し遂げて自由と民主の保障されている数少ないアジアの国でもある。台湾と並ぶ親日国でもあり、あまり知られていませんが、「先進国クラブ」と言われるOECDにおいてトルコは原加盟国であり、日本の加盟を後押したという歴史もあります。エルトゥールル号事件以来の感傷的なものを別にしても、産油国の多い中東の安定を考える上で、我が国としてはトルコとの関係を重視していく必要があります。

2011年6月13日 (月)

ハラスメント防止に関する取組の重要性

 厚生労働省に寄せられたセクハラの苦情相談は10万件を超えています。しかし、これが労働災害として認められる可能性は非常に低く、加害者に対する刑事罰と言うのは更に少ないのが現状です。

 現在、セクハラは従来からの男性から女性に対するものだけでなく、女性から男性に対してのものも、また同性同士のものも該当すると定義されています。また、ハラスメント(嫌がらせ)は、必ずしもセクシャル(性的)なものに留まりません。職場内でのいじめや嫌がらせは、それが性的なものでなかったとしても、当然ハラスメントとして民事罰の対象になり得ます。

 問題は、民事罰を加える場合は原則的に訴訟を提起しなければならないこと(都道府県労働局でのあっせんなどの非訴訟の手続きもありますが、制度そのものがあまり知られていません)、立証が非常に難しく、更に組織を訴える以上はその組織に居続けることは断念せざるを得なくなる。被害者にとっては非常にハードルが高いのです。

 にもかかわらず、ハラスメントの加害者や「見て見ぬふり」をしていた周辺者の危機意識は残念ながら意外なほど低いのが現状です。私も何度

 「セクハラなんか被害者の妄想だ」

 とか

 「あまりセクハラを厳しくするな」

 という声を聞いたか分かりません。

 加害妄想になる必要はありませんが、特に地位や権力を持っている者は、ハラスメントをしているかどうか我が身を省みることが必要でしょう。

 なお、実例は少ないものの、下から上へのハラスメントということもまたあり得ますので、地位も権力もない下っ端だからと言って、これまた自覚を欠くことは許されないのです。

 従来の封建的或いはムラ社会的体質の組織では、ハラスメントは甘受すべきものとして問題が存在することすら自覚されてきませんでした。そして、今なおそのような認識の者が経営者労働者ともに非常に目立つ。しかし、彼らが

 「固いことを言うな」

 と拒否したとしても、公共機関と専門職は、その意に反してでもこれを救わなければならないのではないかと考えます。大火傷を負ってからでは遅いのです。

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