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2011年6月5日 - 2011年6月11日

2011年6月11日 (土)

東日本大震災から三箇月

 犠牲者のご冥福と、被災者被災地の復興を衷心よりお祈り申し上げます。

 まだまだ復興はその端緒に辿りついたかどうかというところでしょう。辛抱強く、被災者と被災地を支えていくことが必要であるように思われます。

 同時に「非常事態」が続いているとは言え、被災地外ではできるだけ「非常事態」ではないような日常生活を営むことも大切です。非常事態による自粛を避けなければ経済が確実に停滞してしまうからです。そうなれば、「経済弱者」と化している被災地や被災者は、更に塗炭の苦しみの中に追いやられていくことになるでありましょう。

 また、自粛で気を付けなければならないのは、経済面だけではない。言論の面でも同じです。非常事態を理由とした言論の自粛は、人類の歴史の中で過去に何度も起こり、そのもたらした結果に思いを致す時私は言論も自粛すべきではないと考えます。震災の復興はできるが、一度失われた自由と民主は下手をすると永遠に市民の手には戻ってこない。強力な指導力を持つ指導者や政権は必要ですが、そこにばかり目を向けていると、とんでもないことになります。

AKB48総選挙に思う

 商売の手法に関しては色々と意見があるにせよ、総選挙という方式に関しては注目を集めるという点でなかなか上手い方法と言えましょう。ここ数日間色々と報道されたので、ニュース等を観ていれば嫌でも耳に飛び込んできます。

 一人一票を行使することが大原則である選挙というよりは、権利行使の方式としてむしろ株主総会の投票に近いように思われますが、ともかくも「大丈夫だろう」と思われていた候補者が意外に得票で振るわなかったり、前回の雪辱を果たそうとする人が票を集めたりしていたところは、公職の選挙と左程違いはなかったように思われます。心理学の範疇に入ってしまうところでしょうが、心理が投票行動に与える影響はそれなりに興味深いものがあります。

 私は昨年まで「AKB48」を兵器の略称だと思っていたくらいで(旧ソ連製の自動小銃にAK47というものがあります)、残念ながら全く関心がありませんでした。今回「総選挙」だと騒がれたことで、多少ウィキペディア等で調べてみましたが、AKBの他にSKE等があり、「総選挙」の「候補者」は150人程度になったようです。一覧になると、もう誰が誰だか分かりません。これは、一般市区町村議会議員選挙でも同じ事が言えそうです。先の長久手町議会議員選挙の場合は27人が立候補しましたが、無関心な人にとっては誰が誰だかよく分からないと言われるのも無理はない。そうした中において「とにかく目立つ」というのは戦術としては相応の説得力を持つと言えます。いいか悪いかは別にして。

 「総選挙」の投票用紙がどのようなものだったのかは分からないのですが、日本の普通の選挙で使われるのと同じ「自書式」のものであったとすれば、疑問票が相当出ると思うのですが、誰がどのように有効票無効票を決めたのか、全くの人ごとながら、気になるところです。

2011年6月10日 (金)

「マキアヴェッリ語録」より

             ファイル:Santi di Tito - Niccolo Machiavelli's portrait.jpg

 武装せる予言者は、みな勝利を収め、非武装のままの予言者は、みな滅びる。

 なぜなら、民衆の気分は変わりやすく、言葉での説得では従いてこさせることができなくなったときは、力でもってそれをさせる必要があるからだ。

                    『君主論』(1516年)より 
  
                    ニコロ・マキアヴェッリ(1469年5月3日~1527年6月21日)
 
 

 500年も前に書かれた「君主論」ですが、今なお実践的な政治のテキストとしては生きていると言えます。現実の「武装」をしているかは別にして、力のない立場で何を言っても仕方がない(言うことすら僭越だと言う指摘すらある)というのは、現代にも通じる事です。

 マキアヴェッリ自身が失脚して発言権を失い、今で言うところのひきこもりの状態の時に書かれたものであるだけに、特に引用したこの一文はマキアヴェッリ自身のことを言っているのではないかと思えてなりません。実際、マキアヴェッリの提言は全く実現されることなく、何一つ実績を残せず、政治を志した人生から言えば失敗だったと言われているくらいだからです。

 しかし、その失敗から生み出された論文が、実践的な政治のテキストとなり、近代政治学の基礎ともなったわけですから、歴史的に見ればその失敗は有益だったとも言えるのですが。

2011年6月 9日 (木)

教職大学院は本当に必要か

 教員免許を取得した者が学校の先生すなわち教員になるのに絶対に必要なことは何でしょうか。教え方がうまいことではありません。人格が優れている事でもない。子供が好きである事でもありません。それらの能力や資質はあるに越したことはないのですが、重要なのは教員採用試験に合格できるかと言う事です。
 採用試験のハードルは高い。教員採用試験対策を十分に行っておかなければ、採用されるのは非常に難しい。他の公務員試験と変わるところはなく、まずは試験に合格できるかどうかということになります。
 新司法試験のように、専門職大学院修了を受験のための要件にするのであれば、嫌でも教員を目指す者は大学院に進まなければならなくなる。教育内容が有意義なのかはともかくとして、少なくとも大学院の存在意義を示すことはできます。しかし、現在の教職大学院はそうした意味での存在意義すらない。教職大学院に進んでも、採用試験に合格できなければ何の意味もなく、採用試験は大学院修了者が優遇されるわけでもありません。
 「質」を問われる時、最近は兎角に大学院を作ろうとする傾向にあります。法曹しかり、会計士しかりです。しかし、専門職大学院はいずれも試験に合格しなければそこで学んだことを生かすチャンスはありません。結局、試験に合格することが至上命題となれば、結局のところ質の向上など二の次ということになってしまいます。
 教職大学院は既に失敗していると言わざるを得ません。早急に手を引くことを考えるべきではないでしょうか。教職大学院に固執しても、教員の質の向上にはつながらず、子供たちのためにもならない。結局のところ、教育資源と税金の無駄遣いになってしまいます。むしろ、教員の負担を軽減し現場で働きながら資質を向上させる方策を講じていくべきではないかと考えます。

2011年6月 7日 (火)

レームダック政権

 紆余曲折がありましたが、菅総理の退陣はほぼ既定路線になりました。いつ辞めるのか、後継の政権の枠組みはどうなるのか、大連立も含めて色々な動きがあるようです。

 辞めることが確定した政権が、最早国民に対して説得力を持たなくなるのは、日本ばかりの話ではありません。韓国では現行憲法で大統領の再選が認められていないため(長期独裁政権となった李承晩や朴正煕大統領の反省があるそうです)、政権末期にはほぼ確実にレームダック状態になっています。アメリカでは一期目の終わりはともかくとして、二期目の終わりにはレームダック状態になり、政府高官の辞職・天下りが多発する事態になります。アメリカの連邦上院下院はともに解散がない上、選挙と議員の就任の間には時間があるため、選挙後新たな議員が就任するまでの間、議会も事実上の休眠状態になる。「辞めていく人に用はない」というのが人間心理なのかも知れません。

 任期が区切られている大統領制の場合、任期切れの日が決まっています。そこで新大統領が就任し、レームダック状態は終わるわけです。しかし、制度上菅総理の任期は次の衆議院解散総選挙後の特別国会まで残っているわけですから、明確に「いつ辞める」と言わない限り、レームダック政権が終わる見通しが立たない。

 辞める日を明確にせずに、引き延ばすと言う手口は、「政権維持」「一日も長く居座る」という点だけから見れば戦術として妥当なのかも知れません。しかし、重要な政策決定をさせるのは非常に不安ですし、そうした政権の声に国民は耳を貸さなくなるように思われます。

2011年6月 5日 (日)

ダニエル・イノウエ上院仮議長来日

                  

 菅総理は3日夕、日系のダニエル・イノウエ米上院歳出委員長と首相官邸で会談しました。総理は普天間移設に努力するくらいの事は言ったようですが、イノウエ議員としてはさぞ情けない限りでしょう。

 イノウエ議員は上院仮議長というポストにあり、これは大統領継承順位では副大統領、下院議長に次ぐ順位にあります。儀礼的なポストとはいえ、日系人がここまでのランクに昇ったのははじめてのことです。

 イノウエ議員自身がアメリカにおける日系人の地位向上の生き証人のような人物です。日系二世として産まれ、第二次世界大戦に出征して赫赫たる武勲を挙げました。その代償として右手を失い、当初目指していた医師への道は断念せざるを得なかったそうです。

 第二次世界大戦中にイノウエ議員の所属した第442戦闘団は日系人で組織された部隊で、ヨーロッパ戦線に投入されて連合軍の勝利に大きく貢献しました。部隊として、最も多くの勲章を授与されており、イノウエ議員もアメリカ最高位の議会名誉勲章を受章しています。

 太平洋戦争勃発とともに日系人は敵国人扱いされ、多くが収容所に送られました。そのような中で、祖国であるアメリカに忠誠を宣誓した日系人たちは「日本人として恥ずかしくないよう立派に御奉公せよ」と送り出され、多くの犠牲を出しながらも奮戦し、442戦闘団は「ファシズムと人種差別の双方と戦い勝利した」とトルーマン大統領をして言わしめた。

 そのような経歴の持ち主の目には、決断力がなく、レームダック状態に陥ってもなお政権にしがみついしている菅総理はどう映っているのでしょうか。「祖先の国が情けない状態に陥っている」と思われなければよいのですが・・・

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