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2011年5月1日 - 2011年5月7日

2011年5月 7日 (土)

浜岡原子力発電所の運転停止問題について

 菅総理が浜岡原子力発電所の運転の即時停止を要請し、中部電力は現時点では逡巡しているものの受諾せざるを得ないでしょう。現在、福島で起きている状況、更に東海或いは東南海地震が起きれば津波に襲われて同じような被害を生ずる虞のあることも鑑みれば、このような要請も当然想定されることではあります。

 しかしながら、この要請はいささか拙速の感を免れません。原子力の安全性に厳しい目が向けられている今日、中部電力として政府の要請を拒否するのは力関係から言っても、また企業イメージの問題から言っても難しい。ゆえに政府が十分な検討をしていることが大前提ですが、報道によればどうもそうではないようで、菅総理と側近が独断専行した可能性が指摘されています。非常事態である以上、ある種の独断専行は肯定の余地がないではありませんが。

 問題なのは、第一に中部の工業地帯と人口密集地に対する電力需要を賄えるのかどうかという事です。この点については、休止中の火力発電所を再開させ、また必要ならば関西電力から供給も可能と言う事なので、関東のように輪番停電等を行う必要性はないと説明されています。それでも節電は必要になります。電力需要の増える夏場にエアコンの温度を上げたり使わないと言う事が奨励されるでしょう。しかし、そう簡単なことではない。

 まず、クールビズが奨励されるようになり、冷房の設定温度が上げられた結果、多くの職場が灼熱地獄になっていることが指摘されている点です。現在のオフィスにはパソコン等それ自体が熱を発する機器が増えている。職場環境の悪化は単に作業能率が落ちるだけでなく、労働安全衛生法上の問題も引き起こしかねないところです。

 家庭においても暑熱で十分な休養や睡眠が取れないと言うような状態になれば、事故なかんずく職場での労働災害を生じさせる虞もあります。単に「我慢」で乗り切れると言うような単純なものではないのではないでしょうか。

 また、火力発電所を再開するという場合、必然的にCO2を輩出することになります。鳩山内閣時代にCO2削減と言う達成不可能と非難される「合意」を行い、更に愛知県で行われたCOP10でも日本は進んで負担を引き受けてしまっている。二酸化炭素排出量削減の切り札であった「原子力」が使えない以上、合意も事情変更の原則により見直されてしかるべきですが、このあたりのことが政府与党首脳の頭から抜け落ちている可能性があるように思われます。何しろ、合意する時にも国民生活や経済活動への影響をさして考慮していなかったのですから。

 「合意は守られるべし」というのは、古代ローマ法に遡る法の大原則であり、外交や国際法の世界でも重要な基本原則となっています。今のままでは、これを破る事になり、何の説明も合意もなければ、日本は国際的な約束を反故にする国として非難されることになりましょう。一方で、もともと達成不可能であった合意を更に守ろうと悪あがきを続ければ、国民生活と経済活動は更に低迷していくことになるのは必至です。

 こうした点において、もっと方針を明確にすべきだと思います。少なくとも浜岡原発に不安がある以上、地震や津波に対する対応は必要でしょうが、ただちに「運転停止」というのは拙速であり、他の原発も同じような理由で運転停止にしてしまえば(企業イメージの問題等から電力会社が政府の要請を拒否するのは難しい。ましてマスコミも反原発運動を持ちあげているのが現状)、我が国のエネルギー政策は迷走し、国民生活と経済活動の混乱に更に拍車をかけることになると危惧せざるを得ません。

2011年5月 3日 (火)

憲法記念日に思う

 憲法記念日です。私は改憲の立場に属していますが、現在の「改憲派」の多数意見には率直に言って違和感を感じています。

 改憲派の多数意見としては

 ・GHQによる押し付け憲法である

 ・権利の規定ばかりで義務の規定が少ない

 ・日本的な価値観が書き込まれていない

 というものが主に挙げられます。

 このうち、GHQによる押し付け憲法については、憲法制定の経緯を見れば明らかなところですが、内容に踏み込んだものではないし、憲法改正の直接理由にするのは難しいのではないかと思います。

 権利規定云々は日本青年会議所の「憲法タウンミーティング」等でも繰り返し主張されていたことなのですが、これこそ近代的意味の立憲主義を全く理解していないと言うしかない話です。憲法によって「国家を縛り国民を守る」のが近代憲法の主たる目的なのですから。

 ついでに言えば、社会奉仕を主たる活動としている青年会議所関係者はともかくとして、「権利規定云々」「義務云々」と言っている人たち、特に保守を名乗る政治家を見ていると、かなりの部分が自己中心、好き勝手、やりたい放題を繰り返し、弱者に対して義務規定を押し付けんとする姿勢が見て取れます。西欧のノブレス・オブリージュではありませんが、自ら率先して義務を果たし弱者の権利を守ろうとする者をほとんど見た事がありません(無論、ノブレスたる特権も我が国にないことは確かですが)。背後に、従順な国民作りという主目的があるのではないかと疑いたくなります。

 憲法に日本的価値観が書き込まれていないという点については、これも間違いです。少なくとも勤労の権利義務に関しては日本人の持ってきた勤勉さを基礎として書きこまれた規定です。

 近代人権思想に基づく規定は本来日本的なものではありません。しかし、日本はその歴史的な過程の中に人権と言う思想はそもそも存在しない概念でありました。日本には伝統的に思想の自由も信仰の自由もなかった。未だに「村八分」とか「ムラ社会」が残っており、選挙ではムラ社会的な飲み食いで毎回摘発者が出ているのが何よりの証左であると言えます。

 インテリ層にしても、検察官や裁判官は自白偏重主義や秘密主義に未だに凝り固まっている。検察の証拠ねつ造事件や警察の拷問まがいの事件は記憶に新しいところです。法的素養のあると言われている人々ですらこれなのですから、一般市民の法的素養は実のところ欧米諸国に比べて低いとしか言いようがありません。したがって、日本の伝統にはデュー・プロセス(適正手続き)という概念もない。

 私は選挙戦で「自主防犯組織の推進」とともに「適正手続き確保のための制度の整備」を訴えていましたが、「難しすぎる」「上から目線すぎる」と周囲の者に批判された記憶があります。しかし、日本にはデュー・プロセスという概念は、伝統的な価値観にはなく、一般的な価値観とも言えない状態です。かかる状態のままで自主防犯組織が拡大して行けばどうなるか。

 「怪しい男がいたので、ちょっと捕まえて数発お見舞いしてやったら自白した。共同体にとって危険な犯罪者だから処罰してくれ」

 というようなことになりかねない。適正手続きと言う人権法・刑事法の基本原則を欠いた状態に置くことは非常に危険なのですが、それをほとんど訴えることができなかった。大規模災害の際に警察が十分に機能しない状態になった場合など、市民の自主的防犯が治安維持の主体になった場合のことを考えると特に心配です。

 憲法が西欧人権思想に基づくものである以上、日本的価値観が書き込まれる余地はそもそも低いものであったとしか言いようがありません。

 アジア諸国で近代立憲主義に立脚した国はそもそも多くはなく、自由と民主が守られているような国は日本の他に韓国、台湾、トルコなど少数派と言うしかない状況です。言うまでもなく、韓国にも台湾(中華文明)にもトルコにも、西欧近代の人権思想と同等レベルの人権思想など存在してはいませんでした。日本も含めて、直接間接に西欧諸国の人権思想を「導入」したわけです。

 アジアには西欧的な近代立憲主義と異なる価値観に基づく憲法を持っている国も多い。例えば、サウジアラビアがそうです。憲法はクルアーンとハーディスなので所謂「イスラム法」ですが、イスラム法は当然ながら男女は平等ではなく、拷問や公開処刑、更に奴隷化の規定もあり(実際に「法的な奴隷」は存在していないそうですが外国人労働者が実質的に奴隷のような扱いを受けています)、人権思想というものは存在していない。人権思想はベースになっているキリスト教とともに、イスラームとは相容れない価値観とされています。

 中国や北朝鮮のような社会主義国の憲法も人権を保障してはいません。例えば、言論の自由に関して言えば、日本では総理大臣がバカだと公言して歩いてもただちに罪に問われることはありませんが(むしろ納得してもらえるかも知れませんが・・・)、アチラの国で最高指導者がバカだと批判したらどうなるか。これは日本でもよく知られている事です。

 人権思想を「導入」したことは、何ら恥ずべきことではないと考えます。人権蹂躙国家になることの方が恥じるべきことでしょう。

 次に、「護憲派」の主張についても検討して見ましょう。最近の護憲派が後生大事に掲げているのは「第九条」です。「九条の会」なるものもあちこちで作られています。

 「9条と25条が憲法の根幹」

 などという主張までされていますが、これも全くおかしな話です。

 「近代立憲主義の意味での憲法」で重要なのは政府の交戦規定でも戦争放棄の規定でもありません。あくまでも人権の保障、特に自由権の保障です。この点において、第9条の「戦争放棄」は、あくまでも人権保障のための「手段」のひとつに過ぎない規定です。言い換えれば、戦争放棄で国民の人権を守る事が出来ないなら、転換することも容認されてしかるべきということになります。例えば、全く抗戦せずに北朝鮮の攻撃に屈して全面降伏するような場合、日本人はことごとく収容所に送られることになるでしょうが、そのようなことを座して認めるようなことはあり得ない。

 25条は生存権を定めた規定であり、それ自体は重要な人権規定です。しかし、人はパンのみで生きているわけではありません。尊厳なき生存権というものは、実質的には無意味です。ドイツ基本法でも人間の尊厳の方が生存権よりも上位の概念とされています。生存権はあくまでも自由権を補完する規定と考えるのが自然ですから、これを「憲法の根幹」などと称してしまうのは、これまた憲法をまとも学んでいないことを自ら証明している事になります。

 私は改憲派ですが、その主眼は政府・自治体機構の改革の面においてです。いくつか、改憲すべきと考える例を述べましょう。

 「徴兵の義務」を書き込むことには反対ですが(仮に書き込んでも現在の義務規定と同様の訓示規定に過ぎないものになるでしょうが)、国軍の創設には賛成ですし、国家機構の中で軍隊の指揮命令や権限は明示されるべきです。

 また、地方自治制度については憲法は二元代表制のみを定めていますが、住民自治と団体自治の原則のもとで、もっと自由な制度設計の余地が自治体側にあるべきです。地方自治の権利は多数説においては国家の元で分権されているということになっていますが、自然権に基づく前国家的権利であると構成することも可能であり、前者はともかく後者の立場に立つとかなり広範な制度設計が認められてしかるべきと考えられます。

 現在の改憲派の意見も護憲派の意見も聞いていると、真に日本にとって必要な憲法の在り方を模索していると言うよりは、自分達の政治的立場の強化の方を優先している感が否めません。

 まず、必要なのは冷静な分析と議論です。

2011年5月 2日 (月)

ウサマ・ビンラディン容疑者死亡

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 アルカイダの頭目であり911テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン容疑者がアメリカ軍によって殺害されたとの発表がありました。遺体はDNA鑑定された後、水葬に付されたそうです。

 2001年にはじまった対テロ戦争にとって、「一つの節目」「一定の戦果」とは言えそうですが、これで終わりかと言うと、とてもそうは思えません。

 普通の戦争であれば、最高指導者の殺害で終わったものです。古くは夏の桀王や殷の紂王、東ローマ帝国のコンスタンティノス11世、最近ではヒトラー総統が自決したナチス・ドイツの滅亡がその典型です。ところが、今回の「テロとの戦い」はそのような戦争ではありません。

 確かに、ビンラディンは「ひとつのテロ組織の頭目」ではありましたが、テロ組織全体どころか、アルカイダすら完全に統制下に置いていたとは言えない存在でした。もともと、テロ組織そのものが「曖昧なもの」であり、アルカイダも色々な組織が自称していると言われていますから、全貌もよく分からない。これでは、ビンラディンを一人殺したところで、テロ組織を壊滅させたとは言えません。つまり、「テロとの戦い」が終わるとは全く考えられない。

 アメリカ軍に殺されたビンラディンは、今までも「英雄」としてイスラム諸国で称えられていました。これに加えて、アメリカ軍と言う「クルーセイダー」に殺されたわけですから、まさにイスラム教徒にとっては「殉教者」になるのであり、これで「聖人」の地位を手に入れたとすら言えます(イスラム教にはカトリックや東方正教会のような「聖人」の概念はありませんが)。ビンラディンは、死んでもなお反米勢力の人々の心の中で永遠に生き続けることになるのではないでしょうか。

 「最大のカリスマ」は死んだとしても、第二第三のテロ指導者、ビンラディンが出てくる事になれば、殺しても殺しても戦争は終わらない事になります。イスラム原理主義勢力や反米勢力は、ビンラディンを自分達に都合のいいように美化して行くことでしょう。テロとの戦いが今後も続く事だけは覚悟しておく必要があります。

2011年5月 1日 (日)

フランツ・ヨーゼフ1世の言葉

 私は、ヨーロッパの古い仕来りに則った最後の君主である。私は、随分以前から気が付いていた。今日の世界にあって、私たちがいかに変わり者であるのか。

 皆が死んでいく。私だけが、死ぬことができない。

                    

    オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世(1830年8月18日 - 1916年11月21日)

 フランツ・ヨーゼフ1世は当初はオーストリア帝国の皇帝として、その後オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝として、黄昏のハプスブルク帝国を支えた人物です。政治的にも見生活の面でも保守的な人思想の持ち主で、このためウィーンの宮廷の堅苦しい儀礼に耐えられなくなったエリザベート皇后は放浪の旅に出たまま帰らなくなり、自由主義者であったルドルフ皇太子は絶望して自殺してしまいました。どちらも「エリザベート」や「うたかたの恋」として、現代の日本でも多くの舞台や映画として鑑賞される機会の多いエピソードですが、家庭的には大変不幸な皇帝だったと言えます。

 伝統の尊重は重要な事です。ですが、フランツ・ヨーゼフはその伝統を「おかしい」と多少感じつつもそこから脱却することが遂にできなかった。治世の末には皇太子であったフランツ・フェルディナンドがサラエボで暗殺されたのをきっかけとして第一次世界大戦を引き起こし、その最中に86歳で崩御しました。

 ハプスブルク帝国はフランス帝国や大清帝国と異なり、生き延びることのできる可能性のあった帝国でありましたが(帝国内のハンガリーやボヘミアは喪失することになったとしても)、600年というハプスブルク帝国の伝統を守ろうとしたことが、逆に帝国崩壊への引き金を引いてしまった感は否めません。

 何かが変わっていると気づきつつも、実際に過去のやり方から脱却した行動を取る事はなかなか難しいものです。

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