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2011年4月3日 - 2011年4月9日

2011年4月 8日 (金)

県立大学の統合について

 長久手町には愛知県立大学、愛知県立芸術大学、愛知医科大学、愛知淑徳大学など大学が沢山あります。隣接する日進市には愛知学院大学、名古屋外国語大学、名古屋商科大学などがありますし、リニモの沿線には愛知工業大学があります。大学の密度は日本の中でもかなり高い地域と言えるでしょう。

 分野も、文系から理系まで、ほぼ全ての学問分野を網羅しています。難点があるとすれば、研究機関としての歴史の長い大学が少ないと言う事ですが、これについては今後の各大学の教員が学究の徒として学問的業績をあげてくれることを期待しています。

 さて、長久手町には「県立」の大学が二つあります。ひとつが愛知県立大学、もうひとつが愛知県立芸術大学です。大学間の競争が激化し、また国公立大学と言えどもかつてのように税金を大量に注入してもらえる事は望めなくなり、各大学が努力する事が求められています。

 私は大学は学問の府であり、大学人はそのことに誇りを持つべきだと思っていますが、一方で削れる経費は徹底的に削る事が、県民や学生のためでもあると考えています。この点において、愛知県立大学と愛知県立芸術大学を統合できないのか、日頃から疑問を感じています。

 大学にはそれぞれ歴史があり、異なる建学の精神があります。今は多くの公立大学が法人化しているため、教職員の労働条件も異なります。このため、大学の統合には多くの困難が伴います。例えば、大阪大学と大阪外国語大学が合併する際、教員の定年が問題になりました。大阪外国語大学の教員の定年が65歳であったのに対して、大阪大学は63歳であり、統合に当たって大学当局は63歳に統一しようとし、教職員組合は65歳に統一すべきだと主張していたためです。最終的には経過期間を設けて段階的に63歳に統一することになりましたが、これは大学統合に伴う困難な問題の一例に過ぎません。(この点においては、私が大阪大学大学院在籍中にお世話になった小嶌典明教授が多くの論文を発表されていますので、興味のある方は御一読をお勧めします)

 愛知県立大学は既に愛知県立看護大学との合併を成し遂げています。将来的には、愛知県立芸術大学も合併が検討されてもよいのではないかと思います。大学の統合により、一般教養課程の人件費の削減を確実に見込めます。今まで、別々のキャンパスで開講していたものが一本化されるわけですから、これは簡単に分かる事です。その分、専門科目の講座を増やしたり、一般教養の開講科目を増やしたり、研究者を新たに雇ったりすればどうでしょうか。研究機関としての能力は高まりますし、学生もより高度な専門教育を受ける事が出来ます。

 看護学を学びたい学生と絵画を学びたい学生が同じ教室で授業を受けて大丈夫かと思われる方も多いでしょう。しかし、そもそも、大学の教養課程はかつての旧制高等学校や大学予科から引き継がれたリベラル・アーツとしての課程であり、専門課程に進んだ時に備えて思考力や語学力などを磨くための場所であります。その原点に帰れば、一般教養課程の段階では、専攻や学科の異なる学生が机を並べることは何の不思議もありません。

 恐らく、今後は私立大学も合併や統合の動きが出てくるでしょう。無論、県立の大学はあくまで県の所管であり、長久手町は直接口を出せる立場にはありません。私立大学なら尚更です。しかし、二十年以上前から「文教都市」を目指してきた長久手町としては、学問の府である大学のあり方にもっと敏感にならなければならないと思います。

2011年4月 6日 (水)

中京都構想の是非について

 私は大村知事の手法に全面的に賛成はできませんが、県と政令指定都市の重複問題については、中京都構想も含めた組織改革を行うべきだと思います。政令指定都市の権限は実質的には都道府県とほぼ同格のものとなっており、二層構造を維持する必然性は乏しいと言わざるを得ません。

 地方自治体の制度設計としては、日本は県と市町村の二層構造を原則にしていますが、州-郡-市町村という三層構造にしている国もあり、このあたりは様々な制度設計が考えられます。一方で、市を省や州と同格の存在にして一層構造にしているところもあります。例えば、台北市や北京市がそうです。

 政令指定都市を「中央直轄市」とし、都道府県と同格の存在として都道府県から分離してしまうと言う案も、当然検討されてしかるべきでしょう。

 一方で「自治」というものを考える時に、そもそも今の政令指定都市は「自治体」と言えるのかと言う根本的な問題があります。確かに、「市」を名乗り、地方自治法にも規定が置かれています。その点では、自治体と言えます。しかし、憲法上の自治体は単なる区域ではなく、地域的な一体性や価値観等が共有されているべきだともいわれています。

 そう考えると、政令指定都市が憲法上の自治体になるか怪しいところが出てきます。あれだけ巨大な区域の中で、一体感など本当にあるのでしょうか。政令指定都市に限らず、合併によって産まれた市町村では、地域対立が続いているところもあります。スケールメリットを追求して合併が推進されてきたわけですが、その結果として地域的一体性のない自治体が多数生みだされてしまったとは言えないでしょうか。効率化だけで合併を繰り返して作られたような場合、少なくとも憲法の言う「自治体」に該当しないおそれがあります。

 東京都の特別区は、かつて最高裁判所から「憲法上の自治体にはあたらないから、区長は民選でなくともよい」という判決を出されてしまった事があります。中京都を置く場合に都のみの一層構造にするか、現在の東京のように特別区を置くかはこれからの検討課題ですが、特別区の設置・区割りの方法によっては、憲法上の自治体にあたらないものとなり、区長を官選にするようなことも許される余地が出てくる事になります。そうすると、巨大な「中京都」は、都民にとって自治体と言いながら巨大すぎるゆえに遠い存在ともなりかねません。

 もともと、東京都は戦時体制下において、効率よく地方行政を行うために設置された経緯があります。住民の自治とは遠いところで、むしろ住民の自治よりも効率を重視して制度設計されたものです。独裁的なリーダーシップを志向する首長にとっては魅力的かも知れません。しかし、権力分立がなされないようなものは、民主的な組織とは到底言えない事だけは確かです。

ボランティアの公職者という考え方

 最近は公職者特に地方議員はボランティアであるべしという意見がよく聞かれます。そもそも、公職者は社会への奉仕を職業として選んだ者ですから、単なる損得勘定では勤まらないでしょう。かといって無給か足が出るような場合、複雑化・多様化する社会の中にあってどれだけ職務を果たせるかは疑問です。

 歴史的に見ると、公職者が無給だった事例は沢山あります。

 例えば古代の共和制ローマで「名誉あるキャリア」と呼ばれた官職は執政官も法務官も元老院議員も全て無給でした。経費すら自腹で捻出するのが当然とされていたくらいです。中世のベネチア共和国でも元首や補佐官には必要経費程度はみとめられていたものの、政治は無給でつとめるものでした。

 こう書くと、名古屋市の河村市長の言い分が正しいように見えます。しかし、物事はそう簡単ではありません。

 まず、古代ローマの場合、無給の「名誉ある官職」に就くためには、それなりの資産要件が課されていました。血統で全てが決まってしまうような専制君主国よりはまだ「先進的」とは言えるのですが、この原則の結果、お金のある人しか公職に就く事ができず、意思決定に参加できなくなってしまいました。

 その結果、没落して行く中産階級に対して、資産階級である元老院はほとんど何の手も打たず、ローマの社会は大きな格差社会になり、社会不安が蔓延する結果となりました。しかも、公職に就くために多額な金がかかるものですから、属州総督など「利権」のからむポストに就いて「モトを取る」ことも公然と行われるようになってしまいました。あのガイウス・ユリウス・カエサルですら、数年間属州総督をつとめただけで、何故か「天文学的な額」の借金がなくなり、他人に貸し付けるまでになっているほどです。ちなみに、共和政ローマの裁判制度は元老院議員が陪審員として裁くものでしたから、汚職があってもなかなか有罪になりませんでした。

 ベネチア共和国でも、政治は無給と決まっていました。ベネチアでは貴族階級のみが政治に参加できるシステムになっていましたが、貴族とは言っても領地を持っているわけではなく、単に「政治に参加する義務のあるグループ」程度の意味しかありませんでした。当然、自活する必要があったわけです。

 ただ、ベネチア共和国は中小零細の貿易業者を保護し、元手のない者でも海外貿易に参加して富を獲得するチャンスを広く与えていました。こうしたこともあって、商才に長けた人々が政治も担当しても大きな問題はなかったようです。

 ところが、ベネチア共和国は末期になると海外貿易が停滞し、かわりに農業で大きな利益を得るようになりました。農業は先行投資が必要な分野であり、元手のない者は簡単に参加できません。ここで、貴族に富の格差が生まれるようになりました。一方で、政治は無給で、サボろうものなら高額の罰金が科される。そこで、票の売買が横行するようになってしまいました。票を買って得たポストでモトを取ろうとするのは、ここでもまた同じでありました。

 ベネチア共和国はナポレオンの侵攻によって滅亡します。戦わずして降伏したのですが、実はベネチアは海の上の干潟の中に首都機能があり、干潟の中に立て籠もって抵抗する道もありました。実際、ジェノバ共和国やフランク王国との戦いでは、干潟の中にたてこもって戦い、逆転勝利を勝ち取った実績もありました。しかし、イタリアの本土にある農場を失う事を恐れた貴族が力を持つ国会は、徹底抗戦すれば経済利益が失われると恐れ、戦わずして降伏する道を選んでしまいました。

 歴史を見ると、政治が「無給」である政治体制の場合でも、無給で政治を担当できる人々を広く支えるそれなりのシステムが存在していました。そして、「無給」で政治をつとめることが不可能になったとき、国ごと崩壊して行く結果を招いたと言えます。

 公職はボランティア精神がなければつとまるものではありません。しかし、だからといって無給とか、足が出るような制度設計をした場合、機能不全に陥る危険性が極めて高いと考えます。

 特に、最近の議員のボランティア化という意見が、議会に監視される立場である首長から出ている事は注目に値します。監視機関が弱体化して誰が得をするのかは明らかでありましょう。行政府の肥大化に伴い、議会の能力向上や権限強化の必要性はかねてより指摘されてきました。その指摘に対して、議会側が誠実に対応してきたのか疑問な点も多々ありますが、議員を無給の方向に持っていくことは議論のすり替えと言えます。

2011年4月 4日 (月)

統一地方選挙・前半戦

 統一地方選挙の前半戦がはじまりました。我が国では統一地方選挙は都道府県・政令指定都市の長と議員を対象にした前半戦と、一般市区町村の長と議員を対象にした後半戦に分かれています。今回は前半戦の投票日が4月10日、後半戦の投票日が4月24日となっています。

 有権者の皆様におかれましては、是非候補者の政策や人柄をよく吟味して、権利を行使される事をお願い申し上げたいと思います。

 東日本大震災の多くの被災地では選挙どころではなく、特別法で延期されています。千葉県浦安市のように、県と市で選挙の執行について争いが生じているところもあります。我が国では太平洋戦争中に衆議院議員の任期を延長したことがありましたが、選挙の延期と言うのは基本的には半世紀以上行われてきませんでした。裏返せば、非常事態が生じた場合のことが想定されてこなかったと言えます。

 選挙を行う事ができないことを理由とした任期延長のケースとして、一番有名なのは台湾(中華民国)の国会でしょう。

 中華民国政府がまだ中国大陸を実効支配していた時期に国民大会と立法委員を選出したのですが、その後中国大陸の実効支配を失ったために改選する事が出来ず、1948年に選出された議員が1991年末まで職権を行使すると言う事態になってしましました。これは「万年国会」「万年議員」と呼ばれていました。

 台湾を含む「自由地区」では1960年代以降には改選が行われるようになったのですが、万年議員が圧倒的多数を占める状況では議会の構成が変わりませんでした。このため、与党以外の議員が目立つには、論争を挑むか、暴力沙汰を起こす以外になかったわけです。これが「台湾名物・乱闘議会」になってしまった原因のひとつです。

 台湾の国会は1992年に全面改選されましたが、それ以降も2000年代に入るまで「乱闘議会」は続きました。これは、本物の暴力団員が国会議員に選出されてしまうようなことが起きるようになったことが原因のひとつと言われています。

 非常時の任期延長のような制度は、危機管理という観点からは必要なものだと思います。しかし、台湾のケースのように、制度が濫用されると大変な事になってしまいます。

 任期延長する場合は非常事態ですから今回の統一地方選の一部延期のように、行政府が主導権を握って行う事もやむを得ません。しかし、その延期を解除する時にどうするのか。権力を握った側がなかなか手放さないのは世の常です。そうした場合に備えて、任期延長を認めないと言う拒否権を裁判所に持たせておいて、第三者的な立場で判断させると言う制度設計もあってよいのではないかと考えます。(もっとも、我が国の「司法機関」はともすれば立法府や行政府に広い裁量権を認めてしまう傾向がありますので、今のままの裁判所にそうした権限を付与しても実効性あるものになるかは自信が持てないところではありますが)

(解説)

 台湾の政治制度は日本ではあまりなじみがないので、簡単に解説しておきます。 

 現在の中華民国憲法では国会は立法機関である立法院のみになっていますが、かつての国会は国民大会、立法院、監察院の三院制でした。

 このうち、立法院はその名の通り立法機関。監察院は行政の監察を専門に行う機関で、国民大会は憲法改正と総統と副総統の選出と罷免を行う機関とされていました。

 現在では総統は直接選挙となり、憲法改正の発議は立法院に移され、監察院は選挙で選ばれた監察機関から専門識者による準司法機関に変わり、現在の台湾では国会議員とはイコール立法委員の事になっています。

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