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2011年3月27日 - 2011年4月2日

2011年4月 1日 (金)

原発の下請作業員

 福島第一原子力発電所事件において、現場で危険な作業をしている労働者の多くは下請け作業員と言われています。何と、7次下請けまであるそうです。請負は労働と異なり、仕事を完成させるのが契約の目的となりますので、外見的にはともかく、契約内容は一般的に請け負う側に不利なシステムとなっています。

 「日給20万円」で、しかも「現場にいる時間は短い」と言いながら、なかなか作業員が集まらないそうです。企業がリスクを回避するためには派遣や請負を使っていることから考えると、中間搾取分として支払う金額を考慮しても直接雇用するよりは東電にとってはリスクが少ないのでしょう。逆にいえば、それだけ「危険」だということになります。

 人件費削減が至上命題となってきた日本企業では派遣や請負にリスクを負わせることで人件費を圧縮する事が当たり前に行われています。しかし、一般的な低賃金に加えて健康を損ない、その負担まで回避しようとするのは企業の社会的責任と言う観点から妥当ではないと言うしかありません。

 派遣労働に労働者側からも一定の需要がある以上、ただちに禁止することは非現実的です。請負についても同じです。しかし、リスクを弱い立場の者に一方的に追わせてしまうというシステムに関しては、是正する必要があります。

 自分は原発労働者ではないから関係がないと思っている方も多いでしょう。大多数はそうだと思います。しかし、リスクを下部に負わせる現在の原発労働の制度を肯定してしまえば、それをモデルとした制度がいずれ皆様方の近辺にも現れることになるでしょう。そうなったときに、リスクを負わなければならない立場になるのは、大企業ではないことだけは断言できます。

 東北関東大震災が人ごとではないという自覚を多くの方々が持ちつつありますが、そこから派生している被害についても、決して人ごとではありません。

2011年3月31日 (木)

大規模災害に強いまちづくり

 長久手での大規模災害として特に懸念されるのは地震です。他の災害を軽視することはできませんが、先ずは地震の被害をいかに減らすかが、大規模災害に強いまちづくりへの第一歩となります。

 長久手町を歩いてみると、他の市町村に比べて住宅地の道路が広く取られている事に気付かされると思います。近年開発された新興住宅地だけでなく、旧部落でも土地区画整理を行ったところは、相応に道路を広く取っています。これは、災害に備えるという点では大きなプラス面です。

 地震が起きた場合、狭い道路では崩れて来た建物や塀などで道路が簡単に塞がってしまいます。これでは、避難にも救援にも時間がかかりますし、火災が発生した場合には大規模な延焼を招く危険性が非常に高い。これに対して、道路を広く取っておけば、建物が崩れてきた場合に完全に行き来のできなくなるというリスクはかなり軽減できます。また、火災の延焼を食い止め、消防車を迅速に向かわせることも可能になります。

 私が大阪大学の大学院に在籍していた時、下宿していたのは大阪府の池田市というところでした。倉田薫市長が橋下徹大阪府知事と喧嘩したことで、御記憶の方もおられると思います。下宿は入り組んだ住宅地の中にあり、車が何とか通れるかというところでした。ある時、近所で火事があったのですが、消防車が近くまで入っていくことができず、消火栓や川からホースをつなぐのにかなり時間がかかっており、正直に言って怖いと感じたものでした。

 道路を広く取る他に、もうひとつ重要なこととしては何箇所か抜けられるように区画の配置をしておくということです。住宅地の中には入口が一箇所でだけで、住宅地内をぐるぐる回ると同じところに戻ってきてしまうというところがあります。こうしたところでは、避難する際にボトルネックになってしまいますし、出入り口に当たる部分が塞がってしまうと袋のみずみになってしまいます。できるだけ、何箇所かに抜けられるように区割りをしていくことが必要と思います。もっとも、この場合は通勤通学の際の抜け道となり、住宅街を猛スピードで車が走っていくと言う事態にもなりかねませんから、一定の規制をかけることも同時に必要となるでしょう。

 勿論、長久手町内にも道路の狭い入り組んだ住宅地があります。道路を広げたり、抜けられるように区割りをすると言う事は一朝一夕にできることではありませんから、そうした地域への配慮は当然必要です。ですが、ただ、道路の広い住宅地の損害を軽減させることができれば、救難に必要な人員や資材をより困っている地域に送り込む事が可能になり、全体として救える命は多くなるわけです。したがって、努力することは町全体或いは長久手町を含む地域全体として、決して無益なものではありません。

 私の亡き祖父は土地区画整理組合の理事をしていました。まだ小さかった私が覚えているのは会議が終わった後に自転車で帰ってくる姿くらいですが、政治活動をはじめるようになって、地域の皆様方から祖父の話をよく聞かされるようになりました。祖父は整理組合で補償を担当していたそうで、かなり苦労があったようです。道路を広く取れば、その分そこに住む個々人の土地の面積は小さいものにならざるを得ません。道路以外にも、あちこちに公園が整備されています。これも、当然ながら避難場所として想定されています。地域の安全や利便性のためには、多少個々人が犠牲を払う必要があるわけですが、これを提案し、地域の皆様に納得していただくのは簡単なことではなかったと思います。

 まちを歩くたびに、先人の苦労と犠牲があったからこそ、一定の安全が確保できているということを感じています。私たちがすべきことは、そこから学んだ上で、新たに開発する地域や土地区画整理を行う地域を、より安全なものにしていく努力をすることであると考えます。

 また、ハード面だけでなくソフト面すなわち人的な側面も無視することはできません。大規模災害が発生した場合、自衛隊や消防が簡単に駆けつけられない事が多々ある事は、阪神大震災で得られた教訓ですし、今回の東北関東大震災でも同様です。

 ただ、現実問題として私のような特に専門的な技術も技能も持たない市民が重機を動かして救出をするというのは難しい。個人や周囲で工夫して、被害をできるだけ減らすこと、また平時からそうしたノウハウを学んで実践する事が当面は大事なのではないかと考えます。

 また、被災者に対する支援の需給調整や配分を考えると、情報伝達が重要になります。平素人間関係を密にしておくべきだとはよく言われますが、それに加えて支援要請カードを作成しておくなどして、一目で必要な情報を把握できるように準備しておくことが必要と思います。また、情報伝達をしっかりしておくことでパニックの防止や治安の悪化の歯止めにもつながります。

2011年3月30日 (水)

ワンフレーズ・ポリテイクスの危険性

 よく「分かりやすい政治を」と言われます。そして、細かい説明や政策は嫌われ、簡単な内容のものが有権者の元にばら撒かれることになります。

 ですが、企業経営はどうでしょうか。学問はどうでしょうか。多くの場合、分かり難いものになっています。「分かりやすい経営」では企業をとりまく現実の問題には対処できないでしょうし、「分かりやすい学問」は、そもそもアカデミックな吟味に耐えられないでしょう。つまり、そんな学問は学問として成り立たない。

 これは、政治にも言えると思います。国民の意見は多様であり、利害も複雑です。正義だと思っている事が、他の人にとっては不正義である事は珍しい事ではありません。それらを調整し、よりよい社会、町政で言えば住みよい長久手を作っていく事が政治の役割です。そうなると、「分かりやすい」ことを優先して、有権者に伝えるべき事を伝えない、言うべき事を言わないと言うのは、実は有権者に対する大きな背信行為と言えるのではないかと思います。

 「政治改革」「郵政民営化」「政権交代」「道州制」「減税」など、1990年代から現在に至るまで、ワンフレーズで国民の心を掴んだ政治勢力が選挙で躍進してきました。しかし、それではそうした勢力が政治をよくしたのでしょうか。皆さんの生活をよくしたのでしょうか。現在の中央政界と地方政界の混乱を見ていると、とてもそうは思えません。

 有権者の票を集めると言う観点から考えれば、ウソであっても「ワンフレーズ・ポリティクス」の方が有利になる事はナチスの例を見ても明らかです。しかし、政治や社会情勢が簡単に割り切れるものではない以上、それは結局のところ有権者を欺いていると言う事になります。先のワンフレーズ・ポリティクスの結果責任を取ることなく、新たなワンフレーズを叫んで有権者の目をそちらに向けて権力を維持する。権力を維持する方法としては正解なのかも知れません。しかし、民主的なやり方と胸を張る事はできない。

 分かりやすい事が、正しいとは限りません。また、市民の福祉に資するとも限らない。ワンフレーズ・ポリティクスは民主主義にとって危険であると思います。政治家も恐れずに説明責任を果たすべきですし、有権者の方も少なくともそれを聞くくらいの姿勢を持つ必要があります。

2011年3月28日 (月)

自治体防災協定の締結について

 既に周辺自治体の中でも他の自治体と防災協定を締結されたところがあります。我が長久手も、急ぐ必要はありませんが、他の自治体と防災協定を締結し、相互に助け合う体制作りをしていく必要があると考えます。

 大規模災害が発生した場合、大都市の中心部ですとか、極端に被害の大きい自治体はマスコミに取り上げられやすく、相対的にせよ物資が集まりやすく、救援の手も差し伸べられます。しかし、そうでなければ、被災地の声はなかなか届きません。しかも、災害発生時には情報が錯綜することが多々あります。そこで、被災地の外で「長久手だけを見つめてくれている」相手が必要なわけです。

 基本的な枠組みとしては、長久手の行政機構が広範囲に渡って破壊されてしまっているような場合、特に支援物資や人員について、協定を締結している自治体に取りまとめて送ってもらうと言うことになります。大規模災害の際には行政機構が麻痺状態に陥る事が珍しくなく、物資を集積してもさばき切れないことが想定されますし、必要な物資や人員のスキルと送られてきた物資や人員のスキルとのミスマッチを防ぐ必要もあります。そうなったとき、被害を受けていない自治体が取りまとめて送ってくれれば、住民に必要な物資や支援が迅速に届くようになり、行政機構の負担も軽減することができます。

 もちろん、協定を結んだ相手の自治体が大規模災害や紛争に巻き込まれた場合、長久手が全力を挙げて助ける事になります。「情けは人の為ならず」は決して死んだことわざではありません。

 協定を結ぶ相手先の要件としては、ある程度長久手から離れたところにある自治体と言う事が第一の要件となります。三重県や静岡県の自治体の場合、東南海大地震でも起きたときには長久手以上に被害を受けて救援どころではなくなる可能性があるからです。福島第一原発事件のような放射能汚染のことも考慮すると、九州や北海道の自治体との締結も検討すべきだと思います。

 また、相手の自治体が過疎ですとか、財政状況が悪いような場合も、十分な救援を受けられない可能性が出てきます。一方で、相手先の自治体があまりにも巨大な被害が生じやすいような場合、長久手の対応できる範囲を超えてしまい、十分な支援を行う事が出来なくなる。そうなると、相手探しは何処でもいいというわけにはいきません。

 どちらかが極度に依存してしまうような関係では、人間関係と同じく長続きはしないでしょう。双方の自治体がWin-Winの関係を作れるよう、ある程度の時間をかけ、十分な話し合いをして、その上で協定を締結する必要があります。

 長い目で見て、長久手の安全を確保できるような体制作りをすることこそ、政治の役割と言えるでしょう。安全が確保できないことには、福祉も経済活動もままならないことになるわけですから。

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