« 2011年2月27日 - 2011年3月5日 | トップページ | 2011年3月13日 - 2011年3月19日 »

2011年3月6日 - 2011年3月12日

2011年3月12日 (土)

愛知県にも津波の被害

 愛知県でも名古屋港周辺で津波の被害が生じたとの報道がありました。壊滅状態に陥っている東北地方に比べれば軽微な損害とは言え、津波の影響を無視できない事を改めて感じさせられました。

被害状況の把握

 地震発生から間もなく13時間が経過するが、被害状況の全貌は政府もまだ把握できていないようである。都道府県庁はともかくとして、小規模な市町村の中には役場そのものが破壊されてしまったところも多く、これでは地域の情報を収集するのは容易ではあるまい。

2011年3月11日 (金)

大地震発生

 大地震が発生し、関東以北では相当な被害が生じています。

 愛知県にはこれから津波が来るようです。1メートル程度という予想ですが、油断はできません。

 仮に愛知県に大きな被害が出なかったとしても、自治体として災害時の初動や情報収集等で学ぶことは多いと思います。被害の生じなかった地域でも「明日は我が身」になりかねないのですから、救援や復興に協力するだけでなく、災害への対応をしっかり「検証」する必要があると思います。

外国人による献金と通名使用

 長久手町には今のところ約1000人の外国人が居住しています。名古屋市や豊田市のように大きな勢力として居住しているわけではありませんが、人の移動が国境を越えることが珍しくない今日、増える事はあっても減る事はないでしょう。

 さて、福田元総理大臣、前原前外務大臣に続いて、今度は菅総理が外国人から献金を受け取っていた事が明らかになりました。この問題の背後には、通名使用の問題があります。明らかに外国の名前で生活している人から献金が来れば、政治家の側で法に触れる事を説明して受け取らないと言う対応は可能です。しかし、日本人と同じような名前を使って日常生活をし、献金してきているような場合、これを把握することは容易なことではありません。
 
 そもそも、外国人だけ通名で生活できると言うのも妙な話です。日本国民であれば、「偽名」となってしまう銀行口座の開設などが事実上認められてしまっている。これはおかしな話ではないでしょうか。

 確かに、差別の問題がありましたから、できるだけ日本名を使って目立たないようにしようと言う処世術は分からないではありません。しかし、名前は単に人を表す記号ではなく、先祖から受け継いだ誇りである事は日本人よりもむしろ中国人や韓国人の方がその意識は高かった筈です。通名ではなく、本名で生きる事が出来るようにすることが必要でしょう。

 いずれにせよ、外国人が献金を通じて日本の政治に影響力を及ぼすと言うことは日本の国益に関する重大問題です。やり難いことではありますが、政治家としても疑わしいものについてはきちんと献金者の本名や国籍を確認するくらいの事は必要でしょう。これを容認すると、日本人の偽名での献金すら容認するのと同じ事になってしまいます。

2011年3月10日 (木)

パンダの名前

 東京の上野動物園が中国からレンタルしているジャイアントパンダ2頭の日本名が決まりました。オスが「リーリー」(力力)で、メスが「シンシン」(真真)だそうです。

 高い費用を出してレンタルする是非は別にして、これは「日本名」と言えるのでしょうか。どう考えても「中国風の名前」だと思うのですが。

 トキにしてもそうですが、日本は兎角に中国風の名前を付けたがります。トキの国籍は日本になっている筈なのですが。パンダの場合はレンタルで国籍はあくまでも「中国」ですから仕方がないのかも知れませんが、それならばわざわざ日本で名前をつけ直す必要はないのではないでしょうか。「名無しの権兵衛」ではなくちゃんと中国で命名された名前があって、貸し出し期限が切れれば中国に戻って名前も元の名前に戻るのですから。

 ちなみに、必ずしも応募が多かった名前が命名されているわけではないそうで、メスの上位には「サクラ」(817件)もあったそうです。今後は、「日本名」を付けるのなら、日本でありそうな名前を付けた方がよいかと思います。こういう小さな積み重ねが、中国に対する誤ったメッセージになってしまう可能性が高いからです。パンダというのは、中国にとって「政治の手段」なのですから。

2011年3月 9日 (水)

地方議会が育てた論争力

 前原誠司前外務大臣が辞任に追い込まれた一連の国会審議において、追及の先頭に立って活躍したのが自民党の西田昌司参議院議員でした。今や国会で「爆弾男」と呼ばれ、論争力や追及力は高く評価されているそうです。私は大学時代十数年に渡りから西田議員とは面識があり、何度もお話しする機会がありましたが、西田議員の論争力は地方議会で育てられたものだと思います。

 自民党議員の国会質問は、どうしても与党時代の癖が抜けないようで、歯切れが悪かったり、内容的に何を言いたいのか良く分からないものが目立ちます。そもそも、自民党議員は「言語明瞭意味不明瞭」と呼ばれる人がいたくらいで、論争をするよりも親分子分の義理人情を大切にして、できるだけ自分の意見は表明せず、上手く強い者について立ち回る事に長けている人が多かった。言わば「敵を作らない」ことが大切で、そのためには論争はできるだけしないほうがよかったわけです。地方議員にはこのタイプが特に多いように思うのですが、地方議員はパイプ役としての役割を期待される事が多いわけですから、地元地域の要望を通すためにはその他の事を妥協せざるを得ないという事情もあったのでしょう。

 西田議員は2007年初当選の一年生議員ですが、5期に渡り京都府議会議員を経験されました。この経歴が重要だと思います。京都は日本でも珍しい共産党が強い土地柄で、今ではその勢力も随分衰えましたが、西田議員が府議会議員として初当選された頃は府議会の第二党でした。

 共産党は「理論家」の多い政党です。これと対決する上で、自民党側としても理論武装せざるを得なかった。これは地方議会の中でもかなり異質の環境で、もともとの資質もあったと思いますが、共産党との論争の中で鍛えられてきた面は見落とせないのではないでしょうか。

2011年3月 7日 (月)

国旗と国歌について考える

 春は、卒業式そして入学式の季節である。多くの公立学校で「国旗・国歌」の扱いで揉める時期でもある。日本ほど、国旗や国歌で揉め事の多い国はないのではないか。国際常識として、外国に行けば、その国の国旗や国歌に対する儀礼は欠かせない。例えば、アメリカでは国際試合でない普通の野球の試合であっても、全員規律し、国歌を斉唱する。街を歩くと至る所に星条旗が見られる。映画の上映前に全員起立を求められ、そこで国歌が流れる国もあれば、日没と同時に街中に国歌が流れ、国民が降下される国旗に敬礼する国もある。台湾には国歌とは別に国旗歌という歌があり、毎朝朝礼では国旗歌に併せて国旗が掲揚され、夕方に国旗歌とともに国旗が降下される。

 他の国に比べれば、日本で国旗や国歌に出会う機会は少ないと言ってよい。学校でも、せいぜい入学式と卒業式、それに体育祭くらいのもので、毎朝朝礼で国旗を揚げることもないし、国歌を斉唱するわけでもない。試合前の国旗掲揚と国歌斉唱も、国際試合でなければまず行われない。日本の入学式や卒業式で求められる国旗・国歌に対する儀礼は、あくまで儀礼的なものであって、国旗や国歌に対する神聖視を伴うものであるとは思われない。しかし、国旗や国歌に対して最低限度のルールが守れなければ、国際社会で笑われるだろう。

 日本よりも国旗や国歌を大事にしている国が世界では圧倒的に多数であり、国旗や国歌に対する非礼は、そのまま相手国に対する非礼になりかねないからだ。「国際化」というのはよく使われる言葉だが、国旗・国歌に対する儀礼も「国際化」の一環として学ぶようにしてはどうかと思う。もともと、国旗は自他を識別するためのものであるし、日本の国旗・国歌は、国際社会の中での日本と言う国の位置づけで捉えたほうが、分かり易いであろうと考えられるからだ。その中で、どの程度の礼を尽くせばよいのか、理解できるのではないかと思われる。

 義務教育で「国旗・国歌」について教える場合、日本の「国旗・国歌」について教えるのは当然であるが、同時に外国の国旗・国歌についても学ぶ機会を設けてはどうだろうか。今は1クラスに1人くらいは外国籍の学生・生徒がいるのが普通になっている時代である。国旗や国歌の歴史や扱われ方も調べてみると面白い。

 現在のドイツ連邦共和国の国歌は、かつて同じメロディーが神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、オーストリア共和国、ポーランド共和国、ワイマール共和国、ナチス・ドイツの国歌として使われていた過去を持つ。作曲は1796年か1797年にフランツ・ヨーゼフ・ハイドンによりなされ、もともとは皇帝賛歌として当時の神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世に捧げられたものであった。

 ナポレオンの侵攻によって1806年に神聖ローマ帝国は滅亡。神聖ローマ皇帝を長く独占してきたハプスブルク家は、残った領土を「オーストリア帝国」と改称し、神聖ローマ帝国国歌はそのままオーストリア帝国国歌となった。実は神聖ローマ帝国滅亡と言っても、そのまま看板をオーストリア帝国に変えただけといのが実態だったようで、皇帝も神聖ローマ皇帝フランツ2世がオーストリア皇帝フランツ1世と名を変えただけであった。

 多民族国家であったオーストリア帝国は帝国内の諸民族の自立の動きを受けて、ハンガリーの独立を認め、オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねるかたちで、1867年に「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が成立した。そして、オーストリア国歌がオーストリア・ハンガリー二重帝国の国歌として採用される。

 第一次世界大戦における敗戦によって、1918年にオーストリア・ハンガリー二重帝国は滅亡した。新たに成立したオーストリア共和国は、歌詞を若干変えてそのまま国歌を使い続けたそうだが、1938年にナチス・ドイツによって併合され消滅してしまう。

 併合したナチス・ドイツの方も、国歌はワイマール共和国時代の1922年に採用されたものを使っており、このメロディーは、オーストリア共和国と同じものであった。事実上ワイマール体制を否定して成立したナチス・ドイツだが、国歌は変えなかった。さらに、ナチス・ドイツが第二次世界大戦勃発と同時に併合したことで消滅してしまったポーランド共和国も、同じメロディーの国歌を使っていたのだからややこしい。そして、「第三帝国」を自称したナチス・ドイツも、第二次世界大戦に敗れて滅亡した。

 結局、ハイドンの作曲した国歌を採用した国は、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、オーストリア共和国、ポーランド共和国、ワイマール共和国、ドイツ第三帝国と、150年ほどの間に次々と消滅してしまった。列挙するのも大変だが、さすがにこの国歌は縁起が悪いと考えたのか、現在のオーストリアはモーツァルト作曲のものを国歌として使っている。ポーランド国歌も歌詞は第二次大戦前のものを使っているが、メロディーは別のものを採用した。

 ドイツ連邦共和国国歌のケースは一例であるが、大抵国歌や国旗にはそれぞれ物語があり、それが制定された当時の国際政治を無視しては語れない。中華人民共和国国歌の「義勇軍進行曲」は反日映画の主題歌であったし、大韓民国国歌の「愛国歌」の作曲者安益泰は満州国建国10周年の祝賀曲を作曲していたため、後に「親日派」のレッテルを貼られる羽目になった。また、これは豆知識になるかもしれないが、韓国国歌は「蛍の光」のメロディーで歌うことができる。

 なお、現在でも、イギリス国歌とリヒテンシュタイン国歌、フィンランド国歌とエストニア国歌のように、同一のメロディーに別の歌詞が付けられている国歌が存在している。また、ギリシア共和国とキプロス共和国の国歌「自由への賛歌」や、トルコ共和国と北キプロス・トルコ共和国の国歌「独立行進曲」のように、複数の国が同一の歌詞とメロディーの曲を国歌とする例もある。もともと、キプロスはギリシア系住民とトルコ系住民が混在しており、イギリスの直轄植民地を経て独立した後も、ギリシア系住民はギリシアへの併合を求め、トルコ系住民はトルコへの併合を求めていた。1964年には遂に紛争になり、キプロス島の北側が現在の北キプロス・トルコ共和国として独立したが、現在も国家として承認しているのはトルコだけである。ギリシアとトルコは同じNATOに属しながら仲が悪く、半世紀近く首脳会談すら途絶えたままであった。ギリシアとトルコの紛争は、遡れば神話の時代のトロイ戦争まで行き着く。南キプロスはギリシアの、北キプロスはトルコの国歌をそれぞれ自国の国歌として使っているということは、それぞれ将来の併合を求めてか、少なくとも民族的な母国とのつながりを残したいという意思の現われであろう。

 台湾(中華民国)の国歌「三民主義」は、国際関係上の微妙な問題もあり、自国以外の公の場ではほとんど歌われない。もともと黄浦軍官学校(中国国民党の陸軍士官学校)の校歌として孫文が作詞したものだが、中国に対する遠慮から、オリンピック等では国旗歌が用いられている。この国旗歌は台湾では朝夕の国旗掲揚・降下の際に使われているので、台湾の国民にとっては身近な歌ではあるようだ。台湾の国旗は青天白日満地紅旗だが、これも中国との関係から、オリンピック等では別のデザインの旗が使われている。一方、台湾独立派は、中国と台湾は別の国であり、「三民主義」と「青天白日満地紅旗」は中国統治の残滓であるので、独立にあたっては別の国旗・国歌を改めて制定すべきだ、と主張している。今も微妙な問題が続いているのである。

 国旗について見ていくと、日本の国旗「日の丸」は太陽を表現したものである。同様に、太陽を表現した国旗はバングラデシュ人民共和国とパラオ共和国が採用している。バングラデシュのものは草原に、パラオのものは海に昇る太陽を表現したものだそうである。台湾の「青天白日満地紅旗」は、もともと「青天白日旗」として、現在の旗の左上の部分だけが国旗として提案されていた。これも晴れた空に輝く太陽をデザインしたものである。ところが、「これでは日本の国旗とまぎらわしいのではないか」という意見が出たため、赤地を加えて現在の青天白日満地紅旗になった。なお、もともとの青天白日旗はそのまま中国国民党の党旗となり、また台湾海軍では艦首旗として使われている。

 艦首旗というのは、軍艦が港に停泊中に掲揚されるもので、日本では自衛艦旗は旭日旗だが、艦首旗には日章旗が用いられている。自衛艦旗は国際的には軍艦旗だが、国旗と同じデザインを使っている国と、国旗とは別のデザインのものを制定している国がある。前者の代表はアメリカ、後者の代表はイギリスである。日本の近隣諸国では日本、韓国、中国が独自の軍艦旗を制定し、台湾は国旗をそのまま軍艦旗に使っている。

 軍艦旗の資料には、海がないはずのボリビア共和国にも軍艦旗があることになっている。調べてみると、かつてボリビアは海に面していたのだが、1879年に「太平洋戦争」という戦争でチリに敗れ、海への出口を失ってしまった。内陸国になってしまったら海軍など不要になりそうなものだが、ボリビアは今も「海軍」を維持(河川哨戒部隊に海軍陸戦隊と海軍航空隊がある)し、チリに対して太平洋へのアクセスを求め続けているそうである。

 話を国旗に戻すと、イスラム諸国の国旗には月と星が描かれていることが多い。トルコ共和国やチュニジア共和国などがそうである。イスラム教では月や星を神聖なものだとしていたので、その名残であろう。

 国旗は不変のものというわけではなく、国情によっても変わる。代表的なのがアメリカの星条旗で、1777年に独立したときには13州を表す13の星が描かれていたが、その後州が増えるたびに星が追加され、なんと27回も変更されている。現在の国旗になったのは、ハワイ州が加わった1960年で、意外に新しい。

 一方、現在変更の議論がされている国もある。イギリスの国旗「ユニオンジャック」は、イングランドとスコットランドの同君連合時代に、イングランドの国旗とスコットランドの国旗が組み合わされて原型が作られ、さらにアイルランド王国との合同でグレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国が成立した際、アイルランドの国旗と称してアイルランドの有力諸侯だったキルデア伯の旗を加えて、現在のものになった。ところが、最近になってイギリスを構成する4つの非独立国のひとつであるウェールズの意匠が入っていないではないかと言う話が出てきた。政府と議会の成立にまで至ったウェールズの国民意識の復興に伴い、イギリスの国民統合の観点からウェールズのシンボルとなっている「赤い竜」の意匠を取り込むべきとの主張が、一部から提起されている。

 『デイリー・テレグラフ』紙がウェールズの意匠を取り入れた旗の試案を募集したところ、日本からも複数の作品が投稿され、そのひとつは投票で2位となった。デザインは、ドラゴンの背に日本のアニメ「ゼロの使い魔」の主人公「ルイズ」が乗り、ユニオンジャックを持っているというものであった。ただし、実際の変更については、難しいという見方が強い。理由は、ユニオンジャックがあまりにも定着しすぎていること、他国の国旗の意匠に入っており、影響がイギリスのみならず他国に及ぶこと、なによりも三つの十字架と赤い竜ではデザインがあまりにもかけ離れ過ぎているので、整合性の取れた国旗を作るのは難しいことなどである。この話は今後どうなるかわからないが、国旗は革命などがなくても、変更される可能性がある、というひとつの話ではある。

 以上掻い摘んで見てきたが、国旗・国歌には多くの物語がある。それらはその国の成り立ちや仕組みと無関係ではなく、国旗・国歌を通して国が見えると言っても過言ではない。国旗・国歌について学ぶことで、おのずから国際関係・国際儀礼や歴史を学ぶ機会にもなるのではないか。その点で、我が国の国旗・国歌に関する教育は、もう少し内容が工夫されてもよいように思われる。

(グローバル・フォーラム 2009年4月寄稿)

« 2011年2月27日 - 2011年3月5日 | トップページ | 2011年3月13日 - 2011年3月19日 »