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2011年11月

2011年11月29日 (火)

大阪秋の陣

 11月27日に投票が行われた大阪市長選挙・大阪府知事選挙では、ともに大阪維新の会の候補者が圧勝する結果になりました。政治の閉塞感に対し、「大阪都」という「夢」を掲げたことで支持を集めた感があります。ともかくも、大阪の有権者の選択の結果ですから、今後の推移をじっくり見守りたいと思います。

 とりあえず、橋下新大阪市長としては、大阪市役所の職員を「悪者」に仕立て上げ、自らが「正義の味方」を演じることにより、更に強固な権力基盤を確立することになるでしょう。この政治闘争モデルは、橋下新市長が大阪府知事の際に用いられ、河村名古屋市長も同じ手を使っています。実際には市民生活が悪化したとしても、「サーカス」を見せられると何故か大衆と言うものは満足してしまうものですから、大衆扇動の方法としては大変有効です。

 橋下新市長の目的は「大阪市の解体と大阪都」を作る事ですから、どのようにして大阪市を解体するのか、腕の見せ所となるでしょう。仮に「大阪都」が国の法律上の壁にぶつかって実現できなかったとしても、大阪市そのものを分割し、一般的な自治体数個に再編することは現行法上でも可能です。例えば、現在の大阪市内の区をそのまま「市」にするということが考えられます。「民選の長と議会を持つ小回りのきく基礎自治体の方が、巨大化し過ぎた政令指定都市に勝る」という考え方から言えば、現行法下でも手はあるわけですし、橋下新市長には民意もあるわけですから、「大阪都」の名前に拘らず試みられるべきでしょう。

 

 

2011年11月27日 (日)

良く分からない亀井新党構想

 国民新党の亀井静香代表が新党構想を打ち出しました。国民新党、たちあがれ日本、みんなの党や大阪維新の会や石原慎太郎東京都知事に参画を求めると言っていましたが、これらからはことごとく関係を持つことを拒絶する発言が続いています。

 そもそも、この範囲自体が良く分からないものです。経済政策ひとつ取ってみても、国民新党とみんなの党は水と油です。これは両党ともが場当たり的な経済政策論を持っているのではなく、国民新党は社会民主主義的な経済政策を志向し、みんなの党は新自由主義的な経済政策を志向することを原則としており、両党ともに根幹にかかわるところが異なっています。一緒になって、何をやるつもりなのかよく分かりません。

 民主党と自民党という二大政党に対する第三極が必要であるという意見は一定の説得力があります。選挙そのものも、大きな政党になるほど相対的に有利になるシステムが採用されていますから、小政党の団結にも合理性はあります。しかし、選挙目当ての互助会のような集まりでは先が見えています。

2011年11月25日 (金)

年金給付の「引き下げ」について

 日本の公的年金制度では、物価などの経済状況に応じて年金額を改定する仕組みが取り入れられています。これは、専らインフレの時代に物価の上昇に応じて年金額を増やしていくものでした。見た目には増額されることになりますが、経済社会の中での価値は変わらないと言うことになります。これは年金額の計算においても同じで、過去の保険料がダイレクトに年金額には繁栄しないことになっています。もし、このような仕組みを取り入れなければ、「月給3万円」や「100円亭主」の時代に納めた保険料がそのまま支給額に反映されてしまい、年金はひどく安いものになってしまうでしょう。

 長い間日本の物価問題はインフレでしたが、ここ十年ほどはデフレの方が問題になっています。これは、経済の低迷に続いて消費者が安さを求め、安い品物を供給するため人件費が圧縮されて賃金が減り、購買力を失った労働者が更に安いことを求めると言う負のスパイラルに陥ったためです。こうなると、年金額も従前の額では物価に対して高いものになってしまいます。

 本来ならば、年金額は物価に応じて引き下げられるべきものでした。しかし、老人層にしてみればいくら物価が下がり実質的な価値は変わらないとは言われても、「手取り」が減ることに対する抵抗感は強いものがありました。そして、老人層は大切な票田ですから、老人に媚び諂うかたちで、年金のマクロ経済スライドが凍結状態にされたわけです。

 この結果、年金の給付水準は実質的に上がったことになり、その負担は現役世代が負う事になりました。これは、世代間の公平と言う観点から好ましいことではありません。年金額の物価に応じた引き下げは、制度維持のため必要な措置と言うべきでしょう。

2011年11月23日 (水)

オウム裁判ほぼ終結

                

    思い出の 事件を裁く 最高裁

            小泉純一郎 (元内閣総理大臣 罪人2001年4月26日~2006年9月26日)

 オウム真理教をめぐる刑事裁判で、最後まで残っていた遠藤誠一被告に対して最高裁判所は上告を棄却する判決を言い渡しました。これにより、下級審の死刑判決が支持され、一連のオウム裁判はほぽ終了しました。逃亡中の元幹部が数名いますので、逮捕されれば公判と言う事になるのでしょうが、裁判としては一区切りと言うことになります。

 オウム真理教に捜査の手が入り、教祖以下幹部が続々と逮捕されたのは1995年でした。当時、私は中学校3年生から高校1年生の時期にあたりますが、それから16年も経っています。当時生まれた子供が自分と同じような年頃になっているのですから、裁判と言うもののかかる時間の長さを改めて思い知らされました。小泉元首相が最高裁判所を「思い出の 事件を裁く 最高裁」と皮肉ったのも、頷ける話ではあります。

 ともかくも、元幹部を軒並み有罪としたことで、捜査機関の責任を一応は果たせたと言えますが、一方で真相の解明と言う事になると、課題が残っています。何しろ、主犯である麻原死刑囚の裁判は一審のみで終わってしまいました。その一審でも起訴する事件を絞っており、「起訴猶予」になってしまった事件、公判庭で裁かれなかった被害者の声も多かった。何より、麻原死刑囚そのものがまともに語らなかった。

 平穏な市民生活の真ん中に毒ガスを散布し無差別殺戮を行った事件について、我々一般市民は「思い出」の彼方にすることができても、被害者の身となれば忘れることはできないでしょう。遺族、更に毒ガス等で後遺症を残している被害者も多いのです。そうした人々にとっては、法による裁きの結果はともかくとして、真相解明と言う点においては不満の残るものになったのではないでしょうか。

 オウム真理教には破防法の適用も検討されたものの、結果的に適用されませんでした。宗教法人格は剥奪されましたが、団体としては未だに名を変えて存続しています。のみならず、オウム事件を直接に知らない世代が「入信」しているというのですから、信仰は自由であるとは言え、大丈夫かと思ってしまいます。

 オウム真理教が勢力を伸ばした時代は、バブル崩壊後の混迷の時代と重なります。90年代初頭と今を比較すると、当時以上に日本国民の自信は失われ、閉塞感は高まっている。これでは、オウムの後継団体でなくとも、カルトにはまり込む人々は増えていくのではないかと思えてなりません。オウム真理教は教祖が当時40代、高級幹部は軒並み30代で若い世代の入信が目立ちました。今もなお若者がカルトにはまり込む危険性がマスコミで騒がれていますが、主婦がはまり込むカルトもあり、若くないからと言ってカルトと無縁であると言い切ることはできません。むしろ、危険は何処にでも存在するとさえ言えます。

 刑事裁判と言う手続きは終わっても、カルトに対する市民社会の戦いはこれからも続けざるを得ないでしょう。そうした点において、オウム事件を「忘却」すべきではありません。

2011年11月21日 (月)

シーシェパード代表の丸儲けに思う

 反捕鯨団体シーシェパードの代表で国際指名手配犯ポール・ワトソン容疑者の昨年の収入が920万円だったそうです。2005年に反捕鯨活動を始めてから受け取った報酬が全部で4000万円だそうで、こうなると反捕鯨そのものが環境保護活動というよりは海賊類似のビジネスに思えてきます。

 日本を悪者にして、残虐な日本と対決する「反捕鯨」を喧伝し、それで反捕鯨国では寄付金がわんさか集まるのだそうです。これでは、三日やったらやめられない。日本に対する捕鯨妨害は収まらないでしょう。

 ただし、ポール・ワトソン容疑者は、日本の捕鯨を完全に断絶させるところまではやらないのではないかと思われます。何故なら、そんなことをしてしまえばワトソン容疑者の「金集めの機会」が失われてしまう。マグロなど、鯨以外にも標的を作りあげて日本叩きをすれば金は集まるでしょうが、鯨に比べればインパクトは小さい。そうなると、日本の捕鯨を「生かさぬように殺さぬように叩き」ながら、英雄を演じていくのが一番上手な商売の方法と言えます。

2011年11月19日 (土)

年金ブラック・ジョーク

 平成25年の年金法全面改正。年金の支払い方法が毎月27日と決められた。

 「何故、27日支払いになったのでしょうか?」

 「これで月末までの生活を保障することができるようになると考えられたためです」

2011年11月17日 (木)

ワールドカップ予選日本対北朝鮮戦

 平壌で行われたワールドカップ予選日本対北朝鮮戦での北朝鮮側の非礼ぶりが話題になっています。私も録画しておいたものを見ましたが、確かに酷いものでした。

 開会式の国歌斉唱で君が代がはじまると同時に、会場は大ブーイングとなりました。FIFAの規定では試合開始前のセレモニーとして双方の国歌斉唱が規定されているそうですが、あれだけ「統制のとれる国」である筈の北朝鮮が大ブーイングをしたということは、群衆の自発的なものではなく国家ぐるみではなかったかと疑いたくなります。そうでなくとも、静粛のうちにセレモニーを行わせるくらいの案内はできた筈で、これでは試合そのものが北朝鮮政府に政治利用されたと言われても仕方がありません。

 日本からは勇敢にも100名の方が応援に行かれたそうですが、カメラ等の持ち込みは一切禁止、旗や鳴り物も駄目で、立って応援することすらできなかったそうです。一方の北朝鮮側5万人の観客は自由に応援できたわけですが、試合開催国がこのような差別的取り扱いを行う事を許容しているとしたら、FIFAにも問題があると言えます。

 国際試合の開催に当たっては、平穏公正に開催できて当たり前の筈であり、そのようなことができない国に対してはしかるべき処分がなされるべきで、このような非礼を放置しておくことは、国家間の対立を試合応援に持ち込むことを許容することになってしまいます。さすがに、日本では北朝鮮選手団を招いての試合でも、北朝鮮の国歌斉唱にあたり北朝鮮に対して非礼な行いはされていなかったようですが、それが当然の姿です。今回の北朝鮮の非礼に激昂した人の中には、同じことを北朝鮮選手団にやってやろう云々という人もいますが、それこそ低レベルな話であり、日本の品位を貶めることになるでしょう。

 北朝鮮でこのような国威発揚の試合に負けた場合、選手団が強制収容所に送られることはよく知られており、北朝鮮選手としては必死だったことでしょう。そのような異様な雰囲気の中で試合を行うと言うのは、日本選手団にとっては非常に難しいことで、ともかくも無事に帰国できて、本当にお疲れさまでしたと申し上げたいと思います。

2011年11月15日 (火)

公認会計士試験合格者抑制へ

 公認会計士試験の合格者が発表されましたが、最終合格者は昨年の四分の三程度に抑制されました。監査法人に就職できない「待機組」が増えたためだそうです。

 不況になると満足できる就職先を見つけることが難しくなり、その結果資格取得に再チャレンジの道を見出した人々は多かったのですが、パイが増えたわけでもなかったので、資格を取得できてもその先は非常に厳しいものとなっています。司法試験もそうですが、弁護士の資格を取得しても生活がままならない弁護士が増えています。そこで、司法試験の合格者も絞ると言う方向で調整が進められています。

 悲惨なのは、弁護士や公認会計士の増員と、そのルートとして設置された法科大学院や会計大学院に進んだ人々です。高価な学費を支払い、リスクを負って勉強してきたところで、資格を取れても食えず、合格者抑制によってその資格すら取れないということが現実のものになってきました。学費とてタダではありません。多くは借金です。そして、大学院に進んでしまうと、その後進路変更して民間企業へ就職することは難しい。今や大学院は高学歴ワーキングプアの養成所と化しています。

 自己責任の一言で切り捨てられていますが、折角国費を投じて養成してきた人々をどぶに捨てるようなことでは、まことに勿体ない事です。

2011年11月13日 (日)

野田総理ジョーク

 野田総理が国会でTPP参加について演説した。一時間を超える堂々たる大演説である。

 「野田内閣総理大臣。規定時間を45分も超過しております」

 議長の指摘で慌てて降壇した野田総理、秘書官を呼びつけて怒った。

 「原稿を作る時に15分以内に収まるようにとあれほど言っておいたじゃないか!」

 「15分以内に収まるよう官僚たちに書かせました。ただ、総理が気が付かずコピーを4つ読まれたのです」

2011年11月11日 (金)

TPPで「社会保障の聖域化」は不可能

 野田総理は国会で「TPPに参加しても社会保障制度には手を付けない」という表明をされています。しかし、TPPに参加するならばそれは土台不可能です。

 そもそも、社会保障制度はそれが健康保険制度にしろ年金制度にしろ、労働制度と密接不可分な関係にあります。言うまでもなく、厚生年金に加入するには労働者である身分が必要であり、健康保険についても同じです。国民年金や国民健康保険など、労働保険に含まれない社会保険制度は存在していますが、その給付が極めて不十分なものであることは現状でもよく指摘されており、屋台骨はやはり厚生年金と健康保険です。

 1990年代以来、「自由競争」の美名の元労働者保護規制が続々と撤廃されてきた事に思いを致す時、労働者保護政策の一環たる厚生年金や健康保険制度が温存されるとは思われません。まして、TPP推進派たる財界は、元来社会保険制度で保護される労働者の範囲を狭めようと努力してこられました。若年層の年金不安の原因の一端はここにあります。

 まして、アメリカの保険業界が日本市場を狙っています。「公的」年金や「公的」健康保険制度そのものが、「民間の参入を阻害している」と言われればそれまでです。外見的には、似たようなことを民間企業でもやれないことはないのですから。ただし、国家が後ろ盾とならない以上制度を永続させられる保障はなくなりますし、営利企業が行う以上は保護される範囲即ち給付の範囲は狭められることになります。

 アメリカに公的健康保険制度がないことは周知の事実ですが、この他にも「国家の保護」「国家の責任」を回避する動きが顕著に見られています。例えば、アメリカ海軍では補給艦は軍人ではなく、民間人が主体となって運行しています。民間人乗組と言っても、空母部隊や揚陸艦部隊と一緒に前線で活動していますが、この民間人には軍人に与えられる社会保障はありません。陸上に至ってはもっと露骨で、輸送任務のみならず銃や戦車で武装した「民間軍事会社」「民間警備会社」が正規軍の行ってきた仕事を代替しています。高給ぶりが喧伝されていますが、彼らにも軍人に与えられる保障はありません。使い捨てするほうが「安上がり」ということです。

 こうした基準で日本の社会制度の「変革」を要求されるのがTPPなのです。社会保障制度はそれ単体で存在するものではなく、労働制度と密接な関連がある。そして労働制度も経済制度と無縁ではない。したがって、労働制度や経済制度をひっくり返すことを大前提にしている以上、社会保障制度が無傷でいられるわけもありません。そもそも、アメリカが狙っているのは日本の社会保障制度であると言えます。

 また、野田総理がいくら強弁しようが、交渉の過程で社会保障制度の聖域化が認められなかった場合、TPPの交渉の枠組みから離脱すると確約しているわけでもなく、そうなれば間違いなく日本の国際的信用は低下する。私はそのような場合にも信用が低下しても国が消滅するよりはマシですから離脱すべきたと思いますが、そのような危険を冒す必要はない。また、百歩譲って社会保障制度の聖域化が認められたとしても、その枠組みに入るかどうかを決めるのは最早日本ではありません。TPPの紛争解決条項に基づき、仲裁機関がアメリカに都合のいい判断をしてくれるようにちゃんと手配されています。

 日本が「ルール作りに参加すべき」という話をしている段階で、既にアメリカは「ルールを解釈する」仕組みまで掌握している。アメリカの手口は見事ですが、これでは日本に「勝ち目」などありません。

2011年11月 9日 (水)

玉虫色の民主党TPP参加案

 民主党のTPP参加案は「反対意見も多いこと」を配慮した上で、最終的な交渉参加を政府の意思に委ねると言うところで決着させるようです。恐らく、今日中に出来あがるでしょうが、一応反対派の面子を立てるものの最終的な決定は政府に全面的に委ねる、つまり事実上交渉参加を容認するということになりそうです。

 民主党としての意見は「玉虫色」の内容でまとめられるわけですが、これでは民主党は党として意思決定を放棄したと言われても仕方がない。今までの議論は、「ガス抜き」だったのでしょう。結局「TPP参加ありき」という結論は既に出ていたのではないかと思います。

 TPPの危険性については様々な指摘がなされています。のみならず、最大の問題は「自由」と「自己責任」を最上のものとするTPPへの参加が、最終的な意思決定者である国民に対してほとんどまともな説明をしないまま決定されようとしている事は重大な問題です。

 TPP参加によって、日本国民は自由権はともかく社会権をほぼ失い、政府の庇護を望めない状態に追い込まれます。つまり、「国民は勝手に生きていけ」ということになる。その根拠は「自由」と「自己責任」で、いかに経済的に困窮しようが自由と自己責任の結果であり自業自得であると切り捨てられることになります。自由と自己責任に帰結させる根拠は「自由な意思決定の結果」ということになっていますが、その意思決定も、意思決定に必要な情報も政府は国民にまともに開示していないのが実情で、参加しないことの不利益ばかりを喧伝している。

 このような場合、大抵は国民の大半に不利益を与えるものであったことが過去の教訓で、詳細な説明をしてしまったらまずいことは政府与党もよく御理解されているのではないでしょうか。

 かつて、明治時代の我が国には関税自主権がありませんでした。TPP参加は、対米関係において関税自主権を持たないことになり、この点では明治維新の状態に戻ることになる。そして、何を持って「TPP協定違反になるか」も事実上アメリカの影響下にある仲裁機関が判断することになり、これが国内法に優先される。こうなると、領事裁判権すなわち治外法権の復活にも見えてしまいます。

 それでも、明治時代の我が国は政府主導で富岡製糸場や官立八幡製鉄所など「殖産興業」という政策を取ることができました。しかし、TPP参加によってこのようなことは民業圧迫であり自由競争を妨害するということになりますから、行う事はできない。

 TPPはGATTやウルグアイ・ラウンドと同様に、国家の持つ権利を制約する協定です。条約はすべからく国家の持つ権利や自由を制約することで約束をするわけですが、TPPの内容では、権利の制約どころか自主性すら失う事になる。これはもう国家の自殺です。

 民主党は国家の自殺を止めるどころか、ロープをかけ踏み台まで用意したと言われても仕方がありません。

2011年11月 7日 (月)

TPPという幻想

 野田総理は10日にTPP交渉参加を正式表明するようです。12日にAPEC首脳会議があるのでその前に国民に説明をするということですが、これではAPECで会談するオバマ大統領への「お土産」だと言われても仕方がないでしょう。TPPについては参加する利点が全くないわけではありませんが、私は現在把握している情報から判断して、参加するべきではないと考えています。

 「TPPに参加すると関税自主権がなくなる。これは国際法違反だ」

 という指摘がありますが、恐らくこのようなことを言っている方は国際法をよく知らないのでしょう。大学院でも国際法の講義は閑古鳥が鳴いていましたから無理もありませんが。国際法上、国家は自殺する自由を有しています。つまり、国家の選択として他国の属国になることも、国家を解体することも自由なのです。したがって、関税自主権を失う事もまた可能ではあります。ただし、言うまでもなく国内産業を保護することはできなくなりますから、その先にあるものは何か、これは言うまでもありません。

 従来、国家は関税・補助金・社会保障制度等を使って国内産業を保護・育成するのが当たり前でした。しかし、TPP参加の場合これらの制度は軒並み「参入障壁」として排除されることになります。産業を興して雇用を生みそこで働く労働者を食わせていくと言う事はできない。残された手段は、生活保護によって最低限度の食を与えることくらいですが、生命体としてヒトを生かすことはできても、職業生活から生まれる誇りや尊厳、社会的な承認などは失われることになります。

 TPP賛成派は、早く参加して「ルール作り」に参加し、そのルールを日本に有利なように作ればいいと言っていますが、そのような都合のいい事が通るわけもありません。今から参加を決めたとしても、日本が参加する頃には既にルールは決まってしまっていると言われています。何より、戦後の日本には国際交渉でのルール作りにおいて、自国に有利なようなものを作りあげた実績は皆無です。最後は日本が負担を引き受けるかたちで交渉を妥結してしまった実績しかありません。国際交渉は妥結する義務はないのですが、何故か日本では国際会議を「イベント」と勘違いしている政治家が国政・地方政治ともに非常に多いのです。昨年行われたCOP10はいい例で、日本の負担によって妥結したのみならず、地元自治体は「名古屋議定書」という名前が入ったと言って喜んでいた始末でした。誘致した以上は妥結しなければならないと言っている人もいたくらいで、これでは交渉の際に足元を見られるのは当然です。どうせ最後は開催国と地元への面子から折れてくれるのが分かっているわけですから。こんな素晴らしい「実績」を持つ国がルール作りの際に主導的役割を果たして国益を守れたら、世界史上に例のない快挙となりましょう。制度設計から参画云々と言うのは、まさに幻想でしかありません。

 今のところ、TPPに猛反対しているのは農協です。そして、うまい具合に「農協」を既得権の巣窟として攻撃し、TPP参画を促す情報操作は一定の成功を収めていると言えます。確かに、農業問題は重要です。農業が破壊されれば日本の環境も破壊されます。食糧自給を根本的に放棄する道もないわけではありませんが、この場合安定的に食料を供給するためには軍事力と経済力が欠かせないものであることは歴史の教えるところであって、このどちらかでも欠く場合、国民を飢えさせることになります。そこまでのリスクを負う必要があるかは疑問です。確かに、農協が特権的地位を享受し農業以外の金融等で利益を挙げていることは確かですが、それだけを理由にしてTPP参加は既得権をぶっ壊すというイメージを持つことは大変危険です。

 アメリカと、財界が考えているのは本来我々が持っている「人権」を「既得権」と捉え、それを取り上げる事です。社会保障を受ける権利や労働法で保護される権利なども人権の一部ですが、これを「既得権」として取り上げるべきだという考え方があります。小泉内閣時代の経済財政諮問会議等では「年次有給休暇も既得権だから取り上げるべきだ」という議論がされていたそうです。解雇規制や社会保険制度などは「参入障壁」「国内企業を保護する過度な規制」とされる可能性がありますが、これらの制度が失われたらどのようなことになるか。これは簡単に想像できる事です。大企業にとっては支出も減り、簡単に解雇できるわけですから人件費を減らせる一方景気のいい時には非正規雇用を増やせるかもしれません。しかし、坂道を転がり落ちる時に一般市民を守ってくれる制度はなくなります。全てが「努力不足」として切り捨てられる。それでもいいという人は、左程多くはないでしょう。

 郵政民営化の時にも「公務員の既得権さえ打破されればチャンスが増える」という幻想を抱いていた若者は多かった。だからこそ、2005年の自民党の地滑り的大勝利となったわけですが、結果的には割を食っているのは当時の若者です。資本もなければ簡単に新しいビジネスに参入できるわけもありませんし、そもそも社会の中で能力を磨いていくチャンスを失う者が増えているわけですから、転落することはあっても浮上する機会など皆無です。

 政府は「社会保障制度には手を付けない」と言っていますが、そもそも労働制度と社会保障制度は密接不可分なものであり、また労働制度と産業も不可分の関係にあります。仮に社会保障制度のみ全く手をつけないことを容認されたとしても、労働制度を破壊してしまえば社会保障制度は有名無実となります。例えば、一億総非正規労働者化すれば社会保険料を負担できる人々そのものが激減し、国民皆保険制度を維持することはできなくなります。年金制度を破綻させることも左程難しいことではない。まさに、そうなったときに医療保険や私的年金というかたちで参入を狙っているのがアメリカの金融界なのです。

 アメリカでは実に5000万人の人々がまともな医療を受けられないでいます。オバマ大統領は大統領選挙で「健康保険」の導入を訴えましたが、当選後にはこの構想は潰された。反対派の大義名分は「成功者から失敗者に金をまわすことで努力をしなくなる」というもので、アメリカの医療保険業界も潤沢な政治献金をバックにして政治家に圧力を加えています。つまり、公的医療保険が存在しない方が「うまみがある」わけです。

 労働規制の緩和は、単に首切りが簡単になると言う問題だけではありません。外国人労働者と移民受入も進められることになります。日本人から仕事が奪われるだけでなく、国や地域社会も変容を免れないでしょう。当然、文化的摩擦や利害対立も深刻化する。その負担を自治体や自治会がするつもりがあるとは私には思われません。

 ちなみに、自治体としても入札等で「地元業者を優遇する」などと言う事は口が裂けても言えないことになります。まさに、自由競争の侵害となるからです。TPP参加の暁には、地域の小規模企業は自治体の入札においても海外の企業とコスト争いをすることになりますから、「地域に根差した経営」などやっていては生き残りはできないでしょう。特に特殊な技能を要しない単純作業のようなものは、根こそぎ持っていかれることになるでしょう。談合等でそれを妨害しようものなら、賠償請求もやってきます。ムラ社会では「そこまでしないだろう」と思う人も多いのですが、ムラ社会で生きていく必要のない多国籍企業やムラ社会そのものに価値を見出していない企業にとって、ムラ社会を敵に回したところで別段支障はないのですから。

 自由競争に幻想を抱いている人も多いのですが、現実はバラ色の未来ではありません。オバマ大統領は日本をTPPに参加させることによって、アメリカ国内で数万人の雇用を生み出させると豪語しています。今の経済情勢で、アメリカで数万人雇用を生むと言う事は、どこかで大量の失業者が出ると言う事です。そのターゲットに日本がされていると見ていいでしょう。

 TPPに参加したとしても、ごく一部の大企業を除いて、多くの国民にはメリットはないものと言わざるを得ません。TPPでの成功は幻想に過ぎないと私は考えています。

2011年11月 5日 (土)

野田総理ジョーク

 「日本のTPP参加を祈念して、野田総理がオバマ大統領から車をプレゼントされるそうだ」

 「どんな車なんだ?」

 「リモコン操作できるらしい」

 

2011年11月 3日 (木)

年金ブラック・ジョーク

 国際会議にて。

 温家宝首相「インドで年金制度に不満を持っているのはどのくらいいるんだね」

 シン首相「大体一億人だね。中国はどうなんだ」

 胡錦濤主席「まあ一億人くらいだね」

 シン首相「思ったほど悪くないな」

 野田総理「日本でも、そのくらいしかいませんよ」

2011年11月 1日 (火)

台湾住民に不評な馬英九総統の「対中和平」

                      馬英九總統.JPG

 台湾の馬英九総統が1949年の中国との分断による敵対状態を正式に終結させる「和平協定」の締結に言及し、台湾国民から不評を買っているようです。

 もともと、敵対状態の終結そのものは、李登輝総統が在任中の末期から動きがあったようであり、2000年の総統選挙において国民党の連戦候補が総統に当選していた場合、李登輝総統は引き続き国民党主席に留まって、大陸との戦争状態の終結と領土の確定を行うつもりだったようです。しかし、2000年の総統選挙では連戦副総統は当選した陳水扁元台北市長はおろか宋楚瑜元台湾省長にも及ばない三位であり、敗戦責任の追及によって李登輝総統は総統退任を待たずに国民党主席辞任に追い込まれています。

 2000年当時は、中国も高度成長を続けていましたが、台湾の経済もそれなりに好調であり、成熟した民主主義と高い外貨準備高をもって台湾の国際的地位は高まっており、海軍力空軍力では台湾側に分があるとされていました。しかし、現在では経済的に大陸依存が急速に高まっており、海軍力空軍力にについても中国側に圧倒されつつあります。無論、中国が台湾に攻め込んでタダで済むわけはないくらいの防衛力は持っていますが、海空軍力の圧倒的優位は昔話になりつつある。中国は間もなく空母を保有する見通しであるのに対して、台湾は十数年前からの課題であるアメリカからのイージス艦、潜水艦、F16C/D戦闘機の購入がいずれもとん挫している状態で、軍事力の差は当面更に大陸優位に推移することが予想されています。

 これでは、現状維持を望む台湾住民としても、「和平協定」がそのまま事実上「一国二制度」「大陸による台湾併呑」につながりかねないと警戒するのは当然と言うべきでしょう。馬総統は台湾の住民投票での合意を要件にしていますが、無論このような要件を中国側が受け入れるわけもありません。

 少なくとも、中国側が「武力行使」をちらつかせ続ける限り、和平協定への道は遠いと言うべきでしょう。中台対立の終結はいずれ必要となる日が来るとは思いますが、そのためには台湾がその自由と民主主義と国家としての発言権を担保できるだけの実力=軍事力を備えない限り、安心して協定は結べません。いささか、鳩山元総理のような理想論を馬総統が口走ってしまったという感がないではありません。

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