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2011年8月

2011年8月31日 (水)

野田佳彦次期総理

 民主党の新しい代表に選出された野田佳彦財務大臣が国会で内閣総理大臣に指名されました。立憲君主制である我が国では制度上内閣総理大臣は天皇陛下によって任命されなければならず、天皇による内閣総理大臣の任命と言う国事行為は内閣の助言と承認を必要とするため、現時点でも菅内閣は存続しており、菅内閣の助言と承認によって野田新総理が任命されると言う手続きになっています。この憲法上の手続きについては賛否両論あるのでしょうが、最高権力者が天皇によって任命されてきた我が国の古来からの伝統がありますので、私はその伝統を尊重すべきだと思います。

 もっとも、このような時期に紛争や災害が起きた時に早急な対処が難しくなると言う問題もあります。職務執行内閣となっている前内閣が重大な決定を行う事はできませんし、一方で閣僚が決まっていないまま新内閣を発足させてもこれまた重大な決定を行うのは難しいところでしょう(制度上は、内閣総理大臣一人で全閣僚を兼任し「一人内閣」とするのも可能で、羽田内閣の発足時はこのタイプでした)。このような場合、新総理がとりあえず前内閣の閣僚を新内閣の閣僚として任命してしまい、一段落した後に内閣改造によって自前の内閣を作る等の方法があってもよいと思います。

 もちろん、制度上そのような規定をつくることは難しく、前内閣と新内閣と政党の良識によるところになりますが。ちなみに、アメリカでも大統領交代時に前政権の閣僚が残ることは政権交代の場合であっても珍しくなく、クリントン政権のミネタ商務長官がブッシュ政権で運輸長官として入閣したケースや、ブッシュ政権のロバート・ゲーツ国防長官がオバマ政権でも再任されたのが記憶に新しいところです。

 これから新政権を担う閣僚・民主党役員が正式に決まっていくことになるでしょうが、どのような人材を選んで役職に就けるのか、注目していきたいと思います。総理と言えども全知全能ではありません(無知無能であることはまま見受けられますが)から、どのような分野を補完させるのか、補佐させるのかが重要になります。少なくとも「お友達内閣」はやめたほうがよいのではないでしょうか(もっとも、主義主張や哲学の合わない人に要職を任せて引っかき回されるのも問題ですが)。

2011年8月29日 (月)

吉田一平さんご当選おめでとうございます

 昨日執行されました長久手町長選挙において、吉田一平さんが町長に選出されました。心から、お祝いを申し上げます。吉田さんの父親は吉田一男町長ですので、親子二代で町長に選出されたことになります。有権者の付託に全力で応えられることをお祈り申し上げます。

 

 当選   吉田 一平  8607票

       大島 令子  5588票

       鎌田 進    2735票

 前評判から吉田さんの評価は高く、出馬の噂が流れるや直ちに最有力候補と目されていました。特に驚くこともない選挙結果であると言えるでしょう。

 候補者は3名ともに行政府での経験は皆無であり、吉田次期町長自身が公開討論会で「行政の事は何も分からないから、レクチャーを受けなければならない。そのレクチャーを公開にして町民の人たちに自由に聞いてもらいたい」と言っておられたくらいでした。また、政治キャリアに関しては吉田次期町長と鎌田さんがともに皆無であったのに対して、大島さんは町議会2期と衆議院議員1期の経験がありましたが、前回よりも票を減らす結果になったところから考えると、有権者は議員歴に関してはそれほど重きは置いていないようです。候補者の属性から思うに、この選挙結果は長年に渡る「社会活動」を有権者が最も重視したのではないかと考えられます(一般的に社会活動歴が豊富であることをもって政治家としての適性や政策の有効性があるのかについては議論があるところですが、長久手町の有権者は適性や有効性も存すると判断したことになります)。実際、吉田次期町長は消防団活動や福祉施設運営等多年にわたる地域への奉仕活動歴を実績として前面に打ち出しておられましたから、この点町民の志向にもマッチングしていたと言えます。政策を吟味するまでもなく、多くの有権者が消防団やたいようの杜や幼稚園での活動を理由として立候補の噂が流れるやただちに支持を表明していたところを見ていると、吉田次期町長独特の政治哲学・政策を本当に有権者の多数が理解しているのか怪しげなところもないではありませんが(私自身は吉田さん独特の哲学の方に魅力を感じています)。

 ちなみに、加藤梅雄町長は町職員出身、山田市造前町長は海上保安官出身、吉田一男元町長は町職員出身で、全く公務員たる経験がない首長は長久手では非常に珍しく、これも特記すべき事項であると言えましょう。

 稀に見るキャラクターである吉田さんが、長久手町の末代町長として、長久手市の初代市長として、その叡智を最大限に活かしてご活躍なされることを期待しています。

 また、敗れた二人の候補者とその関係者の皆様に対しても、本当にお疲れさまでしたと申し上げたいと思います。

2011年8月28日 (日)

長久手町長選挙投開票日

 今日は長久手町長選挙の投開票日です。最後の町長選挙であり、事実上初代市長を選ぶ選挙ともなります。投票も棄権も有権者の選択するところであり、投票を呼び掛けたり棄権を呼びかけることもまた公職選挙法上疑義なしとしないということですので、私は投票率も含めて有権者の選択を注視したいと思います。被災地の自治体の一部、例えば仙台市議会議員選挙や大槌町の町長・町議会議員選挙も今日が投票日となります。

 私自身は、金曜日に期日前投票を済ませてきました。日曜日は社会保険労務士国家試験の監督主任者として一日中詰めていなければならないため、投票日当日に投票所に行く時間的余裕が取れないと判断したためです(厳密には、終了後ギリギリ間に合うかもしれないスケジュールではありますが)。かつての不在者投票は、私も一度だけ行ったことがありますが、印鑑を持参し、投票用紙に記入した後は封筒に入れて密封した上で投票箱に投じると言う重々しいものでした。現在の期日前投票の手続きは、宣誓書への署名はあるにせよ、それを除けば投票日の投票と異なるところはありません。便利になったものだと思います。

 自身が選挙を戦った後ではじめての選挙となりました。自分が選挙を戦ってみて思ったのは、立候補するということは政策のみならず人物、見識、学歴、職歴、奉仕歴から、遊びやしがらみまで問われるものであり、政策的に何かを成し遂げたい或いは公共奉仕の精神だけで立候補に踏み切れるものではないということです。それだけに、各候補者のマニフェストを真剣に精査するうちに、これだけのものを作り、立候補の決意をして現実に立候補した以上、当選される方を単純に批判すべきではない。非常な決意を持って立候補し当選された方の政策や政治姿勢の良い点を生かせるような方法を進言して行くことも、市民の責務ではないでしょうか。

 私は、誰が当選しようとも、その方の政策に関して更に必要と思われること、補完できることを適宜述べていきたいと思います。勿論、私は公職者ではなく一有権者に過ぎませんし、今回立候補されている三人の候補者の何れに対しても恩を売ったりしていたわけでもないですから、個人的関係を使って提言も要求もできる立場にはありません。あくまで一市民として、誰が読んでくださっているか分かりませんが、提言だけはしていきたいと思います。何もしないことは自分の本位ではありませんし、何らかの形で当選者の耳に提案が入り参考になるのであれば幸甚であるからです(無論、そうならない可能性の方がはるかに高いわけで、そのくらいのことはよく分かっていますが)。

2011年8月27日 (土)

呉世勲ソウル市長の辞職に思う

                  

 ソウル市の呉世勲市長が辞任を表明しました。ソウル市内の学校給食費無料化をめぐる問題で、無料化を議決した議会を「福祉ポピュリズムである」と批判して対立し、住民投票に活路を見出しましたが、住民投票そのものが成立せず、その責任を取って市長を辞職することになりました。

 ソウル市では李明博大統領の与党である保守系のハンナラ党の呉市長に対して、議会は野党である革新系の民主党が優勢であり、今回の住民投票はばら撒きを優先する議会に対して市長が住民投票を使って歯止めをかけようとして失敗したという見方ができます。何やら、我が国でも良く似た風景を見たように思うのは気のせいでしょうか。

 呉市長の辞職によってソウル市長選挙は補欠選挙と言うことになりますが、与党のハンナラ党にとっては厳しいものとなるでしょう。同時に、2012年に行われる大韓民国大統領選挙と国会議員選挙においても、保守系にとって厳しい戦いになることが予想されています。韓国では、保守系が日米等自由主義諸国との関係を重視してきたのに対して、革新系は盧武鉉前大統領らに代表されるように反日反米思想が強く、北朝鮮に対しては土下座外交を続けていました。韓国大統領選挙は、我が国の国家安全保障にも大きな影響があるのです。

 また、先に憲法裁判所において、在外韓国人に参政権を付与しないのは憲法違反であると言う判決が出た事により、2012年の大統領選挙・国会議員選挙から、在外韓国人も投票に参加できるよう調整が進められています。簡単に言えば、在日韓国人が韓国の選挙に参加できるようになると言うことです。在日韓国人の母国選挙への参加が、今まで兎角に「反日」を掲げなければ当選できなかった選挙にどのような影響を与えるのか、注目して行きたいと思っています。

 それにしても、「福祉」というものは、なかなか掲げられると正面切って反対はできないものです。呉市長の「福祉ポピュリズム」という指摘は、なかなか的確な表現であると思います。そして、現実に給付されるようになると、それを切るのは容易なことではない。例え、端緒がばら撒きであったとしても、給付がされるようになれば、それを止めることは非常に難しいことなのです。まして、韓国は日本以上の「格差社会」であり、もらえるものはもらいたいという考えもまた強いものがあるように思われます。

 としても、韓国は日本以上に財政面の問題が多く、特に安全保障上多大な支出を必要とする国ですから、与党側としては大々的な「ばら撒き」は防ぎたいところであったと思います。一方、野党側は対北朝鮮政策で韓国の軍備拡張は北朝鮮を刺激すると慎重であり、「軍備を削って福祉に」というような発想に親和性が強いわけです。

 色々な福祉を導入することはそれほど難しいことではありません。福祉の推進について、正面切って反対する者はまずいないからです。しかし、その福祉政策を持続させることは容易なことではありませんし、場合によっては特定の福祉政策が他の福祉分野はもとより国家や自治体の政策全般を多いに拘束してしまう事になります。今回の給食無償化によって、老人福祉や障害者福祉が後退することになれば、それは得策とは言えないわけです(当然、老人福祉を優先させたばら撒きをすれば、教育を含む将来世代に対する投資の後退を招くであろうことは簡単に想像できる事ですから)。あまりこのような言い方はしたくありませんが、福祉に依存することで福祉制度を維持する体力そのものが失われけてしまう懸念もある。

 他国の国民の意思表示をとやかく言うつもりはありませんが、子供手当や高校授業料の無償化と言う一連の民主党の「福祉ばら撒き政策」が日本政治の混乱を招いたことに思いを致す時、私は呉市長の「福祉ポピュリズム」に対する懸念のほうが、理性的であり正論ではないかと思えてなりません。

2011年8月26日 (金)

菅総理が今日退陣表明

 菅総理は、今日正式に退陣表明するそうです。率直に言って、政権末期にはとにかく首相の地位に留まりたいという事が見え見えの「悪あがき」が目立ちました。そして、与党を含む議会多数派が事実上首相を支持していないという異常事態にも関わらず、菅総理を合法的に辞めさせられないと言う問題も浮き彫りになりました(内閣不信任案の再提出を認めないと言うのは慣習ですから、慣習を変えれば少なくとも不信任案再提出は可能となりますが)。

 月末には新総理が選出されるということですが、もし菅総理が「歴史に名を残す」ことを考えるような名誉心があれば、2011年8月末には首相ではなくなっていたかも知れませんが、震災対策でもっと違った対応が取れたのではないかと思います。震災発生直後に必要だったのは政府による命令であり、総理がヘリコプターで上空から視察することではなかった筈です。としても、日本人は何故か視察に行ったりしないと「現場を知らない」と非難するものですから、ああいう視察も人気取りのためには仕方がなかった面はあるのですが、人気にこだわらないで震災対応していたらどうなったか。一時は国民に罵倒されたかも知れませんが、後代にずっと評価されたのではないでしょうか。

暴力団を利用しない

 司会者として活躍していた島田紳助氏が突如芸能界引退を発表して大騒ぎになっています。当初は暴力団関係者とメールのやり取りをしていたことが許されない事であると説明していましたが、この程度で引退と言うのは酷な処置であり、島田氏の番組に出演していた北村晴男弁護士も同様の指摘をされています。ところが、日が経つにつれて島田氏のテレビ番組における発言を問題視して右翼団体の抗議活動を受けた際、抗議活動をやめさせるために暴力団幹部に依頼したという報道がなされるようになりました。これが事実だとすれば、島田氏は暴力団を利用したことになります。

 暴力団の存在に関しては、法的に処理できない問題を処理する組織として必要だとか、果ては終戦直後の闇市で暴れまわる朝鮮人と戦ったことから存在を肯定する意見もないわけではありませんが、やはり法的倫理的には「あってはならない」ものであり、そうした組織を利用した者も社会的制裁を受けて当然であると言えましょう。むしろ、暴力団を肯定するような論があること自体、法の支配とは程遠い状態であることを自白してしまっていると言えます。法律番組の司会者がトラブル解決にあたって法律ではなく暴力団を頼ってしまったと言うのはそれ自体が何かの冗談かと思えてくるほどです。

 先進国ではイタリアでマフィアが暗躍しており、強硬姿勢で取り締まりをしていた判事を車ごと爆破するような事件を起こしています。イタリア政界とマフィアの深いつながりも指摘されており、これがイタリア政治に対する他の先進諸国の不信の一因となっています。

 台湾でも「黒道」と呼ばれる暴力団が力を持ち、暴力団構成員が地方議員はおろか国会議員にまでなっています。皮肉なことに、民主化の進む過程で「票集め」に力のある暴力団が政治的な影響力を持ってしまい、遂には暴力団の身内から政治家まで出すようになってしまったというのです。それでも、暴力団出身議員でも海外留学の経験があったり、修士号を持っていたりするのは、学歴社会の台湾らしいと言えるのですが。数々の暴力沙汰で「台湾のハマコー」と呼ばれた羅福助元立法委員に至っては台湾最大の暴力団である天同盟の盟主でした。感覚的には山口組の組長あたりが代議士になるようなものでしょうか。最近では、さすがに暴力団関係者が議員になるのはまずいということで、一時期に比べれば暴力団関係者の「政界進出」は後退したようですが、2004年の総統選挙における陳水扁総統銃撃事件や2010年の統一地方選挙における連勝文(連戦元副総統の長男)国民党中央常務委員銃撃事件ではともに暴力団の存在が囁かれており、票集めに暴力団を使っていると言う話が絶えないところから見ると、まだ「道半ば」と言えるでしょう。

 イタリアや台湾はともかくとして、先進国では一般的に暴力団と関連することは致命的なスキャンダルとなります。暴力団を利用することをどこかで是認するような社会は、健全な社会とは言えません。

 なお、暴力団構成員のかなりの数がまともな教育を受けられない階層や、被差別民や在日外国人等のマイノリティーであるという話もあります。暴力団の取り締まりは結構ですが、同時に闇社会に落ちないと生きていけない人々がいることにも目を向け、教育や職業訓練等を通して公共政策面で暴力団員の供給を断つことが求められているように思われます(逆の見方をすれば、相変わらず暴力団に人材が供給されているということは、社会的弱者の救済が不十分であるとも言えるわけです)。

 内容的には賛否両論あるにせよ、才能がある人物であっただけに、このようなスキャンダルを原因とする引退と言うのはまことに残念です。

2011年8月25日 (木)

旧村単位地名存続問題について

 私の手元には1873年の地租改正の時に発行された「地券」があります。そこには「尾張国愛知郡長久手村大字長湫字打越101番地」というかつての地番が記載されています。この地番は区画整理後に整理され、現在では別のところが打越101番地になりました。大字も住所から消えました。

 現在の長久手町の版図は、もともとからひとつの村落であったわけでなく、いくつかの村落が合併してできたものです。このため、大字というかたちでかつての村の名前が住所に残っている地域があります。長湫や岩作などは、もともとはひとつの村の名前であったわけです。

 区画整理や開発が進んだことにより、伝統的な多くの地名が消えました。例えば、私の自宅の周辺は打越に統一されましたし、隣のブロックは作田と久保山でまとめられました。区画整理が終わったところは、大字も消えました。

 長久手町の市制施行にあたり、長久手町の東部から旧村の名称を残してほしいと言う要望が出ています。今のところ、町長選挙各候補者のマニフェストやホームページを見ても、特に触れられていません。この点について、効率化を望む新住民にしてみればノスタルジーから旧村の名称を残すことなどはどうでもいいことであり(新住民にとっては長湫であろうが岩作であろうが先祖伝来の地名と言うわけではありませんから、旧住民と思い入れが異なるのは当然と言えましょう)、一方で旧村の名称を残すことを真っ向から否定すれば、旧住民の支持を失う事になりかねない。態度をはっきりさせることができないという気持ちも、分からないではありません。しかし、町長になれば議会とともに、遠からず結論を出さなければならない事柄のひとつです。

 私自身は血統的には旧住民であり、地番が変更された際には、明治以来百年以上使ってきた住所が変わってしまうことに寂しさを覚えた反面、「長湫」という伝統はあるが電話等で住所を伝える時には説明の難しい漢字を使わなくともよくなり、色々なところでかなり楽になったという記憶もあります(かつては、「湫」の字がワープロの辞書になく、外字で作っていました)。

 効率化を重視すると言う観点からすれば「長久手市岩作◎◎-1」「長久手市前熊××-2」よりは「長久手市◎◎-1」「長久手市××-2」に帰結するでしょうが、旧住民の旧村名に対する愛着を完全に無視すると言うわけにもいきません。そうした場合、公共施設や交差点等に旧村名を冠するなどの措置が取られてもよいのではないかと思います。

 かつての自然発生的な集落の名残である「分会」の単位は、現在でも祭礼などの際に使われており、完全に消滅したわけではありません。今の地形からはちょっと想像できないのですが、長湫三分会である塚田地区と、四分会である打越地区の間にはかつてはちょっとした山があって、集落としても別れていたのだそうです。恐らく、警固祭などの祭礼は引き続き旧村を単位として行われていくでしょうから、「長湫」「岩作」といった単語が完全に消滅することはないのではないかと思います。住所としては使われなくなっても、何らかの形で使用を継続する道を考えると言うのも伝統的な地名・地域概念を後代に残す有効な方法ではないでしょうか。

2011年8月24日 (水)

長久手町長選挙告示

 昨日、長久手町長選挙が告示されました。

 立候補したのは

 

 大島 令子 (59) 新 無所属 元衆議院議員

 吉田 一平 (65) 新 無所属 (自民党・公明党推薦) 元社会福祉法人理事長

 鎌田 進  (36) 新 無所属 元会社員

 

 の3名の方々です。

 5日間という短い期間ですが、公正な選挙運動と投票が行われることを期待したいと思います。

 今回の町長選挙は、市制施行を控えて最後の町長選挙であると同時に初代市長を選ぶ選挙ともなるわけです。私自身は初代市長として長久手の方向性をどのようなものとするのかを最大の判断基準として検討し一票を投じたいと考えています。

 大多数の町民が、候補者のどのような点を評価し、どのような政策を期待して票を投じるのか、長久手町民の「欲するところ」にもまた注目したいところです。何と言っても、政治家は結局のところ有権者の写し鏡ですから。もし、選ばれた新町長が町の財政を破綻させたり、住民の人権を侵害したり、町政を混乱させたとしても、それを選んだのは町民であり、破滅に至ったとしても自業自得と言う事になります。

 政治に無関心でいると、おおむねいい結果を生まないことは歴史の教えるところです。選ぶ側としても、十分な吟味をして一票を投じたいものです。

 最後になりますが、3名の候補者の方々と関係者におかれましては、体調に留意され、町民の希望に応え選挙戦を戦い抜かれることをお祈りいたします。

2011年8月23日 (火)

カダフィ王朝の崩壊

                   Muammar al-Gaddafi-09122003.jpg

 リビアで反政府勢力が遂に首都を占領しました。カダフィ大佐の身柄はまだ拘束されていないようですが、後継者と目されていた息子は既に逮捕されているようです。首都陥落と皇太子の逮捕により、カダフィ王朝の崩壊はほぼ確実ではないかと思われます。既に、アメリカや中国は反政府勢力によって樹立される政府を承認する意向を示しており、EU諸国も続くことでしょう。もっとも、カダフィ政権が領土の一部だけ確保して抵抗を続ける可能性も全く排除はできませんから、内戦の継続という「最悪の事態」に陥ることも考慮はしておく必要があります。

 カダフィ大佐は二十代にして革命を起こし、腐敗した王朝を打倒して指導者の座に就きました。それから半世紀近くが経ってみると、息子に「帝位」を継承させようとするなど封建王朝と化してしまったのは皮肉です。リビアだけではありません。エジプトでも革命によって「旧勢力」を打倒した「改革派」であった筈のムバラク前大統領が息子に権力を譲ろうとしていましたし、シリアでも同様です。イラクのフセイン政権でも、二男のクサイが後継者になる筈でした。チャウセスク時代のルーマニアでも世襲が画策されていましたし、北朝鮮では「三代将軍」が誕生しています。中国の習近平副主席が近い将来国家主席に就任すると言われており、習副主席は国務院副総理を父に持つ二世政治家です。タイに至っては汚職によって国を追い出された前首相の娘が、前首相の娘と言う事で選挙を勝ち抜いて首相に就任しました。タイの場合は選挙の洗礼を受けていますので独裁政権とは異なるものの、世襲政治家の強さを見せつけています。

 確かに、アメリカにもイギリスにも世襲政治家と言うのは多いのですが、発展途上国となるとその影響力は絶大です。独裁国家は言うに及ばず、民主的な選挙の行われている国ですら、世襲政治家は大きな影響力を持っています。そして、しばしば身内のために国法を曲げる。政治の私物化と言えます。

 我が国にも世襲政治家は実に多く、大きな影響力を持っています。気を付けなければならないのは、今は民主的に選挙が行われているが、将来そうした制度が機能しなくなった時、世襲政治家を輩出してきた有力家系によって「君主制」に移行すると言う歴史的な経験から導き出される法則です。近現代史を読めば、多くの国で君主制が崩壊して共和制や民主政に移行していますが、古代や中世においてはその逆、つまり民主政や共和制から君主制に移行した例も多いのです。

 例えば、ルネサンス期のイタリアでは、多くの都市国家が存在し、それらの都市国家では市民による共和制が普通でした。しかし、元首や市長などを有力家系が独占して行くうちに選挙が「有名無実」と化して行く。「あの元市長の息子が立候補したのだから、その人で決まり」というような具合です。そして、より強力なリーダーシップを求めるうちに、共和制や民主政と言う「合意形成に時間がかかり、選挙のプロセスにコストもかかる」制度から、一人の指導者によって即決できる君主制に移行して行きました。君主は必ずしも天から降りてくるのではなく、有力市民からの「転身」も珍しいことではないというのが歴史的事実です。典型的なのは、フィレンツェ共和国からトスカーナ大公国に移行した際、フィレンツェ共和国の有力家系であったメディチ家が君主の地位に就いた例です。確かにメディチ家は共和政時代に地域文化のパトロンとなり、今もフイレンツェを歩けばその栄華を偲ぶことができます。フィレンツェ市民が強力なリーダーを求めた時、君主として相応しい「家系」に見えたのも無理はないと思うのですが、同時に市民は自由を失う事になり、更にパトロンとしては優秀でも政治家・行政家としては必ずしも有能であることを担保するものでもなく、トスカーナ大公国の衰亡はその後は歴史書を読めば分かります。

 リビアにおけるカダフィ王朝は終焉を迎えそうですが、不幸なのは国民です。かつて、「改革者」として歓呼をもって迎えた指導者から、長きに渡って拘束され・弾圧されることになろうとは思わなかったでしょう。新たに就任するであろう指導者が、新たな「王朝」を作らないことを、今は祈るしかありません。

2011年8月21日 (日)

与那国島への陸上自衛隊配備について

 陸上自衛隊の部隊が与那国島に配備されることになりました。今後、基地のための用地を取得し、4年後までに隊舎等を整備するとの事です。

 対中関係における南西諸島の価値を考えれば、この配備は必要なものと言えましょう。何も、我が国が中国を占領しようと言うものでもなければ、中国に軍事的圧力をかけようというものでもありません。我が国にはそのような力はないし、中国を侵略する必要性そのものもありません。ただ、中国が対外膨張路線を歩み続ける以上、中国に対等な話し合いを求めるのであれば、我が国も相応の備えをしておく必要があります。

 中国政府は不快感を示すかも知れませんが、冷静な対応をするでしょう。むしろ、日本国内の「基地があるから戦争が起きる」というような安直なスローガンに踊らされ、基地誘致派と反基地派の間で内部対立が起きるのを静かに待つのではないかと思います。

 基地問題は自治体では従前から、迷惑施設であると言う問題や雇用を含む経済の観点で語られてきました。しかし、これからは国際関係や国際法を踏まえた論議をしていく必要があります。そうしなければ、基地問題が地域エゴや政治闘争の道具、或いは中央政府から経済政策を引き出す道具となってしまい、地域や国の安定や安全と言う重大な問題が置き去りにされ続けることになります。我が国の国際的な信用力・発言力の低下は、決して中央政府の政治家や役人だけに責任があるわけではありません。

2011年8月19日 (金)

地域社会を担う人材育成の課題

 地域社会を担う人材の育成は、地方が抱える大きな課題のひとつです。明治以来、中央政府と東京は地方が育成した人材を吸い上げることによって人的に支えられてきたと言っても過言ではありません。今や、これに「海外」という要素も加わって、より人材移動が流動化している時代です。これに対処するためには、より地方で多くの人材を育てていくより道はないと思われます。

 先祖代々住んでいる土着民で地元のみで仕事をして、転居転勤の可能性のない層を供給ソースとするのが、最も手っ取り早い方法ではあります。育成のために投下した資本を回収できる可能性が一番高いのがこの層です。しかし、問題点も多い。まず、地元のみで生活してきたということになると、外の世界を見てきていないことになります。今後は地域・地方と雖も国際社会の動きも見て対応して行かなければならないことを考えると、視野と言う面で非常に不安が残ります。また、先祖代々住んでいる土着民というものは、どうしても親族血族や地縁に縛られている傾向があり、仮に柔軟な思考プロセスを持っていたとしても、それを実行に移すのは非常に難しい環境に置かれることも容易に想定されます。そうすると、人材供給ソースとしてこの層を重視すると言う事は、下手をすると硬直化した思考の若者のみを「地域リーダー」として生み出していくことになりかねず、リーダーたる地位を大義名分として視野の狭い人材が主導権を握ることになれば、むしろ地域社会にとってはマイナスとなりましょう。何よりも、昨今の経済情勢では、特定の地域に仕事の場を拘束することは、破綻を招く恐れもあります。地元で仕事がない自営業者が労働者に転換していることが統計上も読み取れますが、彼らが労働者として特定地域に勤務地を限定した特約を付した労働契約を締結しているとは思えません(実務上も、そのようなことを許容する使用者はほとんどいないでしょう。使用者としては人材配置のフリーハンドを奪われてリスクだけ負う事になりますから)。

 それでは、転勤族や新住民を供給ソースとして考えればよいかというと、これも難しいものがあります。確かに、転勤族は海外も含めた移動経験を持っていることが多く、他の自治体で生活し勤務した経験は、相対化と言う点で広い視野を持つことを期待できます。また、おおむねこの層は高学歴であり、高等教育を受けているかどうかは、柔軟な判断力や論理的思考力と言う点において、高等教育を受けていない層に比べて高度なものを期待することができます。

 しかし、仕事の関係で転勤転属と言う事が当然考えられ、教育と言う形で資本投下しても、それが回収できなくなるリスクは土着民に比べると非常に高いものとなるでありましょう。日本の労働法実務では、転勤は使用者側のフリーハンドが原則的に確保されており、これを拒否することは理屈の上でできないことはないのですが、実際には非常に難しいものとなっています。端的に言えば、転勤を拒否した場合には業務命令違反で解雇されると言う可能性も高いわけです。そのリスクを負わせるのは酷と言えましょう。仕事よりも地域貢献を優先すべきだと言う意見もないわけではありませんし、実際に消防団活動に従事するために定職を辞めてしまったという人もいることはいます。しかし、多くの国民が仕事をすることで食を得社会的な存在意義を見出している中では、恒産を枕に無為徒食を重ねられるような境遇の者を別にして実現不可能な暴論と言うしかありません。

 私は地域社会を担う人材養成という点に関しては、できるだけ広範囲な人材を集め、教育訓練の機会が与えられるべきだと考えます。この過程においては、教育資本を投下してもただちに当該地域に戻ってこないものがあるということも、当然含んでおく必要があります。しかし、人材を育てることは、国家レベルの観点から見れば決して無駄にはならないでありましょう。また、現在では「ふるさと納税」という制度もあり、居住しなくなった人々からの税収も期待できる以上、転勤族や移住者であっても良い印象を与えられることは決して無駄な事にはなりません。

 としても、やはり主要な供給ソースは原住民であり転勤転属のない層が中心になることでしょうから、排他的にならぬよう、また出来るだけ視野を広げる機会を作るよう、行政側も考慮する必要があります。

 いずれにせよ、もし地域社会を担う人材=長老や権力者の言う事をよく聞く若者と考えているのであれば、地域社会活性化や地域を頭脳で支える人材と言う点ではあまり期待できないものとなるのではないでしょうか。確かに、「兵隊」としては優秀かも知れません。しかし、この時代に思考力や広い視野という点を欠いた人材にリーダーシップを握らせてしまった場合、指導力が及ぶ範囲内はムラ社会に拘泥する一部の層にとどまり、流動性を持つ層に対しては何らの指導力をも発揮できなくなるばかりか、むしろ反発を招く可能性が高いように思われます。また、保守的な思考に留まる限り、進取の気風は衰え、社会そのものの停滞化を招くことになるのは、歴史が教えるところです。

 高度な思考力や判断力を持っている人材は、従前から中央政府や東京に吸い上げられてきました。これは、国の制度そのものにも原因はありましたが、同時に地方社会・地域社会がそうした人材を使いこなすことができず、適性に応じた活躍の場も与えてこなかったことが大きいのではないでしょうか。特に、高等教育を受け頭脳を生かしたいと思っている層にしてみれば、体を使うことを専らとする兵隊扱いされて面白いわけがありません。自分の能力を評価されず発揮する場所もないということほど、閉塞感を感じることはないのです。有能な人材を吸い取られたくなければ、第一には相応に吸い取られても残るだけの有能な人材を多く養成すること、第二には幅広い価値観・能力を有する人材を使いこなせるだけの場所を提供する事です。

 ちなみに、そのような人材育成そのものが不必要だと言う意見もあります。すなわち、地域社会に全く価値を見出さなければ、そもそもそんな社会を支える人材など不要であり、したがって育てる必要もないという理屈です。しかし、日本全体を東京の劣化コピーにする必然性は全くありませんし、郷土が崩壊して行くと言うのは心情的に悲しい事でもあります。したがって、私は地域社会を担う人材養成は必要だと考えています。

2011年8月17日 (水)

直接投票制度の利点と問題点

 みんなの党が、原子力発電継続の是非を問う国民投票法案を参議院に提出しました。日本は憲法上間接民主制を基本として採用しており、今のところ国政レベルでは憲法改正の是非を問うものしか採用されていません。憲法学上の議論の詳細はともかくとして、間接民主制のあくまで例外とされています。

 直接投票制度の利点として挙げられるのは、言うまでもなく直接投票によって民意を直接政策的な意思決定に反映させることができるということにあります。特に最近では間接民主制について「国民の意識と乖離している」「政治家が勝手に自己中心・好き勝手・やりたい放題をやっている」という感情からの不満が強いものがあり、恐らくみんなの党も、そうした不満を吸収することを意図して今回の原発国民投票法案を提出したのでしょう。

 しかし、民意の正確な反映を重視するか民益の最大を重視するかでも民主主義のあり方に対する考え方は異なります。世界の主要国のほとんどで間接民主制が採用されているのは、移ろいやすい民意がダイレクトに政策決定に反映されてしまう事についての弊害を防止する意味がある。そう考えると、直接投票制度によって間接民主制の利点が害され、民意がダイレクトに反映されることによる弊害を防止できなくなる虞があります。

 どのように問われるかで答えも変わってきます。投票の際の「設問」の作り方次第で、投票結果として現れる「民意」そのものも大きく変わってしまう。例えば、法律や条例の賛否について、一括して賛否を問うのか、条文ごとに賛否を問うのかによっても、結論はかなり違ったものになるでしょう。選挙結果に関してどのようなかたちで法的拘束力を与えるかも問題です。

 また、政策は「白か黒か」というような簡単なものではありません。「郵政民営化」や「政権交代」という、「白か黒か」を争点にした選挙の結果何が国民にもたらされたかを思い返せばよい。グレーゾーンや利害調整を考慮しない政策決定は、かえって大きな不公平・不公正を国民にもたらすことになりかねません。そして、「民意」という大義名分が掲げられるだけに、侵害される権利の保護が十分に行われなくなる危険性もあります。得られる利益に比べて、弊害がどうしても無視できないと言わざるを得ません。

 現行の憲法改正に関する国民投票法では、18歳からの投票が可能となっています。成年と未成年の線引きをどうするかは、民法改正の場でも議論になっており、他の先進諸国と同じ18歳にすべきだという意見が優勢であると言われていますが、今のところは憲法改正に関する国民投票法でのみ認められた「例外」と考えるほかありません。原発国民投票でも同じように「例外」として18歳或いはもっと若い世代の投票を認めるか、本則に戻って20歳以上とするか、そのあたりも議論がされるべきでしょう。

 地方での住民投票の場合、これに加えて外国人に対する地方参政権付与の問題とからめて争いのあるものがあります。すなわち、日本国民ではない外国人にも住民投票に参加する権利を認めた場合、事実上外国人に参政権を付与したのと同じ事になってしまいます。賛成派は外国人も住民投票に参加させよと主張し、反対派は当然ながら参加させるべきではないと主張しています。特に法的拘束力を持たない住民投票の場合、法的拘束力のないことを理由として外国人の参加を住民投票推進派が要請していることが目立ちますので、この問題を理由として住民投票に懐疑的な意見を持つ人も多くいます。少なくとも、住民投票に関しては外国人参政権に対する賛否とその理由づけを明らかにするのは当然と言えましょう。

 直接投票制度は利点もあれば問題点もあります。間接民主制の行き詰まりに対する特効薬のように見えてしまうことは理解できなくはないにしても、副作用も大きい。名古屋市議会の解散を求めた例を見ていると、議会に対する説得をはじめから放棄し、大衆を扇動するという手法を正当化する手段にもなりかねない。原発継続の是非を問う場合、憲法改正の場合と異なって個別の政策に関する賛否を争う事になります。これは、国民投票に対するハードルが低くなることになり、他の立法によって国民投票が乱発されることにもなりかねません。

 少なくとも、直接投票制度を「逃げ場」にすることがあってはなりません。慎重な検討と議論が必要です。

 

2011年8月15日 (月)

「日本のいちばん長い日」

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 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵カス如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排儕互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宣シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

                                  大東亜戦争終結ノ詔書(1945.8.14)

 日本が連合国側に条件付ポツダム宣言受諾を通告したのは1945年8月14日のことで、この終戦の詔書の日付けも8月14日となっています。詔書は天皇の御名御璽に加えて内閣各大臣の副署を要し、官報の号外という「形式」を取って公布の手続きとされました。日本が降伏文書に調印したのは1945年9月2日のことです。

 しかし、8月15日は日本国民にとってそれらの日を忘れてもなお記憶されている重要な日です。日本国民だけでなく、日本と交戦していた重慶国民政府を継承する台湾と重慶国民政府を承継した現台湾政府を革命で大陸から追い出して成立した中国、日本の支配下にあった韓国と北朝鮮でも、8月15日が解放された日として記憶されています。手続き上は8月14日までに終わっていたとしても、既に戦火から解放されていた欧米諸国は別として、アジア諸国については8月15日の昭和天皇の玉音放送をもって、戦争が事実上終わった。それが新たな戦争と分断のはじまりではありましたが。

 日本政府の終戦に至るまでの混迷を描いたのが、映画にもなった「日本のいちばん長い日」(半藤一利)です。開戦に関しても、ヒトラーやムソリーニのような「明確な首謀者」がいたわけではなく、組織や有力者の利害や面子からズルズルと戦争に引きずり込まれた経緯がありますが、終戦もまた軍や各官庁の利害や面子に加え、国体思想や英霊に対する考え方など「大義名分論」も絡んで、一筋縄ではありませんでした。

 主役は三船敏郎演じる阿南惟幾陸軍大臣で、史実通り割腹自決を遂げるという結末が描かれています。この陸相自刃が戦争継続を主張する軍人に冷や水を浴びせ、驚くほど混乱の少ない終戦につながったと言われています。法的には陸相には腹を切って死ぬべき罪はありませんでしたし、戦争継続派の軍人たちにしてみれば、戦争継続が正しいならば陸相が腹を切って死んだからと言ってどうということはなかったでしょう。現代の合理的思考に基づけばそうなるのですが、当時の陸軍軍人の精神は現代と全く異なるものであったことを思い出す必要があります。

 阿南陸相本人は、ドイツに視察旅行した程度の海外経験しか有しておらず、遺された日記その他の資料からも欧米の知識や精神を進んで吸収していた形跡は見られないと言います。最後まで純日本的な精神を貫いた末の切腹であり、その精神を共有していた陸軍もまたそれで抗戦の意思を放棄した。この精神的なものを文章で説明するのは大変難しい事です。しかし、何となく心情的には理解できるような気がします。

 阿南陸相と好対照なのが米内光政海軍大臣でした。米内海相はあくまで生きて海軍と敗戦国の後始末をすることが最後の使命であると認識していたようです。そして、海軍を解体した上で、将来に繋がる手を打って海相を退き、昭和23年に病死しました。米内海相が将来の海軍の再建を見こしていたと思われる形跡は多く、実際に米内の薫陶を受けた人々が現在の海上自衛隊の基礎を築いています。現在の海上自衛隊には旧海軍の伝統が陸自よりも色濃く残っていると言われており、それがかつての敵対国であったアメリカ海軍に何の問題もなくむしろ敬意をもって受け入れられていることに思いを致す時、米内の計算は間違っていなかったと言えるでしょう。この点は対照的で、精神論を重んじていた旧陸軍に比べて、旧海軍は長らく合理的な思考を重んじていましたから(ただし、太平洋戦争の頃には陸軍と変わらない精神論がまかり通っていたと多くの関係者が回顧していますが)、米内の生き方もまた合理的であったと言えるでしょう。

 阿南陸相と米内海相の生き方はあまりにも好対照をなしています。米内海相は阿南陸相自刃の直後にただちに陸相官邸に弔問に訪れ、その死を惜しんだと伝えられていますが、一方で、阿南陸相は米内海相の辞職を止めようとしたりして、少なくとも米内海相と一緒に終戦に持ち込む努力を続けましたが、本心では米内を嫌っていたのではないかという話もあります。「日本のいちばん長い日」を書いた半藤一利氏は嫌っていたのではないかと言う説を唱えています。

 阿南と米内のキャリアを比較してみると、ともに陸士海兵での席次はそれほど高くなく本人たちも「頭が悪い」と自嘲気味なところがあったことでは共通しています(実際には当時の陸士海兵は旧制高校と並ぶエリート校ですから、日本全体から見ればエリート中のエリートで、愛知で言えば東海旭丘明和あたりの学生が自分は頭が悪いと言うようなものでしょうか)。しかし、軍人としてのキャリアの中でも米内は海外勤務の経験を持ちロシア文学を好んだのに対して、阿南はあくまで純日本的にのみ関心を持ち続けた。恐らく、お互いに相手の思考プロセスはなかなか理解できなかったのではないでしょうか。

 ただ、結論から言えばこの二人の生き方は、いずれも日本を救ったことだけは間違いないと私は考えています。もし、逆だったらどうなったでしょうか。恐らく、阿南は死ぬまで責任を取らなかったと責められたのみならず、陸軍の分裂と暴走が起こり、一種の内戦状態になっていたかも知れません。日本国内のみならず、中国大陸に駐留していた部隊が暴走する危険があっただけに、中国大陸での戦火がさらに続くようなことになった可能性もありますし、朝鮮半島や台湾も同様です。

 また、米内が8月14日に腹を切っていたとしたら、海軍はそれでも復員までは粛々とできたかも知れませんが、そこから先の再建という道は難しかったのではないかと思います。海上自衛隊はできたかも知れませんが、旧海軍の伝統を受け継ぐ組織という位置付けにはならなかったかも知れません。そうすると、外洋海軍ではなく沿岸警備隊の延長のような組織となり、シーレーンを守ると言う思想も生まれず、日本近海は今よりもっと多くの不審船や工作漁船が跳梁跋扈するような事態になっていた可能性が高いように思われます。

 映画でも対照的な描かれ方をした米内と阿南ですが、二人とも泉下では自分の取った道がともかくも日本を救えたと、ともに満足しているのではないでしょうか。

 最後に、終戦記念日にあたり全ての戦没者に対して、衷心より哀悼の意を表したいと思います。

 

2011年8月13日 (土)

ハミド・カルザイ大統領不出馬へ

                      Hamid Karzai 2006-09-26.jpg

 アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領が、次期大統領選挙に不出馬を表明しました。アフガニスタンの大統領は憲法で在任を2期までと決められていますが、他に有力な後継者がいないため、憲法を改正しての3選出馬が噂されていました。

 有力な後継者がいないと言う状況で、引退を撤回して立候補したり、或いは有力な後継者がいない状況をあえて作りだすことで多選批判を回避するというのはそれほど珍しい話ではありません。しかし、憲法の多選禁止規定を「変えて」立候補するような場合ですとか同じように改憲して任期延長を画策するような場合、成功しても失敗しても何故か晩節を汚すことが多いのです。

 例えば、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領は、人気に乗じて多選禁止規定を変えて再選されましたが、独裁的傾向を示した揚句に亡命を余儀なくされ、現在は塀の中です。李承晩大統領やマルコス大統領も悲惨な末路を迎えました。

 翻って、ジョージ・ワシントン大統領は三選出馬を辞退してこれがアメリカ大統領の慣習となり、現在は三選禁止を法制化しています(厳密には2期つとめた大統領がその後副大統領になった上で大統領に昇格してもう1期つとめることは可能ですが)。ワシントンの引退が、アメリカにおける過度の権力集中を慣習的に予防する制度を作りだしたと見ることも可能でしょう。

 仮に有力な後継者がいなかったとしても、それならそれで育ってくるものです。要職を歴任してキャリアを積んでくるような大物も悪くないが、仮にそのような有力後継者がいないとしても、別段悲観するようなことはありません。「地位が人を作る」という言葉もあります。別段目立ったキャリアや経験のない若手でも、その地位に就いたことで学び成長する例はいくらでもある。ロシアのプーチン首相などはその典型例です。むしろ恐ろしいのは、後継者が育たないという名目の元で居座り続けた上での独裁体制です。独裁体制になればなるほど、後継者の育つ余地はどんどん少なくなっていきます。そうなった揚句に来るのは世襲です。

 エジプトやリビアが最初は革命政府として出発しながら、革命で打倒された政府より腐敗し人民を苦しめる結果になったのは周知の事実であり、こうした点でカルザイ大統領の不出馬はアフガニスタンにとって正しい選択ではなかったかと思います。勿論、こうした身の引き方が欧米諸国に好感を持たれるということも計算に入れているのでしょう。

 アフガニスタンでは現在も混乱が続いており、政府要人すら暗殺され、タリバンによって国土のかなりの地域が実効支配されてしまっています。民主化どころか、国家としての存立すら容易なことではありません。それでもなお、次期大統領として手を挙げる人物に期待したいと思います。

 

2011年8月12日 (金)

日本航空123便墜落事故から26年

 日本航空123便墜落事故から今日で26年になります。改めて、犠牲になられた方々の冥福をお祈りします。

 日本航空123便墜落事故が起きたのは1985年のことでしたが、私の記憶に残っている最初の「事件・事故」でした。「パパは本当に残念だ」という機内で書かれた遺書の一節が朝のワイドショーで紹介されたのを記憶しています。

 墜落事故の原因は大阪空港への着陸の際に起こした「尻もち事故」の修理ミスであったというのが定説となっています。私が大阪大学に通っていた頃、阪急の豊中と蛍池の間で、ジェット機が民家の上空スレスレを飛んで大阪空港に着陸するのをよく見ていました。大変狭いところへジャンボ機を離着陸させていたことが事故につながったと思うと、関空ができたことで大阪空港に降りるのは専ら国内線の中型機となりましたが、それにしても恐ろしい光景でした。

 ボーイング社の行った修理ミス、事故調査のあり方、日本航空の呆れた労務管理の実態、アメリカ依存の航空行政など、あの事故の遺産は決して少なくはありません。事故調査に関しては航空事故調査会は航空鉄道事故調査会となり、行政からの中立性をより確保する方向に動きましたが、国家レベルで見た場合この教訓が十分に生かされていないのは、福島原発事故における保安院の中立性が疑われる事態になったことでも明白なところです。

 日本航空に関しては、特に労使関係に関して様々な争いがありました。破綻した時には非常識な要求を続けた労働組合が悪者扱いされていましたが、そんな要求を唯々諾々と飲んだ使用者側も非常に問題があります。使用者側は団体交渉に応じ誠実に交渉する義務は負っていますが、交渉を妥結させる義務はなく、ましてや組合側の要求を呑む義務までは負っていません。このことを知らない経営者が実に多い事に驚かされます。組合の元委員長を海外の僻地に盥回しで勤務させ、果てはわざわざアフリカのケニアにワンマン・オフイスまで開設して島流しにしていたというのも明らかに常軌を逸していたと言うべきでしょう。

 破綻を端緒として、日本航空の経営再建が政府の支援で進められています。これに関して、全日空は「わが社は純粋な民間企業からスタートした」というコマーシャルを放送し、特殊法人からスタートした日本航空との違いを強調していました。しかし、歴史を紐解けば、全日空も経営破たん手前まで追い込まれときには、国と日本航空から支援を受け、社長から整備士まで日本航空と運輸省から受け入れるなどして経営再建を行った過去があります。

 日本航空の過去の過ちや事故について、ともすれば未だに「隠ぺい」しようとしているという話もあります。123便の残骸や遺品などについて、日本航空は処分を主張したが遺族の反対で「安全啓発センター」開設に至ったと言う経緯もあります。私も見学したことがありますが、実際に事故を起こした隔壁の実物を見、無残な姿になった座席を見、遺書の実物を見た時、活字や写真資料からでは得られない「何か」を感じ取りました。これを説明するのは非常に難しいのです。私自身、経験を最重要視する思想の持ち主でもありません。しかし、知識以外のものを感じ取る機会は非常に貴重です。

 「巨大システム」であり「安全神話」のあった123便墜落事故から26年過ぎ、今また「巨大システム」であり「安全神話」のあった原子力発電所が危機を迎えています。日本航空を含む航空業界が123便事故から学ぶのは当然ですが、事故の教訓は他の分野でも活かすことができるのではないか。航空機事故や原発事故は、それ以外の分野の者でも「他人事」ではありません。

長久手町長選挙ローカルマニフェスト型公開討論会を見て思う

 昨日は8月28日執行の長久手町長選挙立候補予定者による公開討論会が行われました。誰を支持する・支持しないということをこの場で書くわけにはいきませんし、各立候補予定者の言い分を吟味することもできませんが、三人の立候補予定者ともに様々な持ち味があり、それを有権者が知る上でよい機会にはなったのではないかと思います。

 様々な見方ができます。老練熟達の士が望ましいか柔軟な思考と将来性に重きを置くか、老練熟達としても政治経歴を重視するか、或いは民間経験を重視するか。また、素朴な保守思想に基づくものか、或いは素朴な左翼思想に基づくものか。新住民出身者が望ましいか旧住民出身者が望ましいか、経営者の経験が望ましいか労働者の経験が望ましいか、青年層の力を重視するか老年層の力を重視するか。古い血を尊ぶか新しい血を尊ぶか。具体的な政策を重視するか政治哲学を重視するか。いずれも、簡単に答えの出せる話でないことだけは確かです。場合分けをしてみれば、もっと多くのポイントを見出すことができるでしょう。

 聞き手の出自や経験によっても、各立候補予定者に対する印象や評価は大いに異なるものになっていることでしょう。同一人物に対して驚くほど高い評価をする人もいれば、驚くほど低い評価をする人もいます。ひとつの事績や才能は、肯定的にも否定的にも取られることがあるということです。これは聞き手の年齢や経歴や性別によってある程度傾向を読み取ることができるようにも思われますが、無論絶対ではありません。

 各立候補予定者に対してはそれぞれ批判がされています。ところが、Aという人物に対する批判を分析してみると、実は同じ事がBにもCにも言えると言う事が珍しいことではありません。特定の立候補予定者を支持するあまり、他の立候補予定者の批判をすることはよく見られる事ですが、ブーメランになってしまう虞があります(2008年アメリカ大統領選挙におけるマケイン候補の言動を思い返せばよい)。特定の立候補予定者の熱烈な支持者・運動員ならばともかく(批判するのも選挙戦術ではあります)、一般有権者としては批判だけでは建設的な選挙とは言えませんから、欠けているものをいかに補うかについて考えてみる価値はあります。

 ともかくも、有権者には選択の機会が与えられています。この機会を活かすか殺すかは、私たち次第と言えましょう。私は完全無欠な人間と言うものも全ての有権者に受け入れられる政策もない以上、補完するとすればどのような点か(無論、補完や助言を受け入れる余地があるか、受け入れるような人格かの検討も含む)もまた、考えを及ぼしてみたいと思います。

 何れにせよ、出席の上持論を披歴された立候補予定者の方々に、改めて敬意を表したいと思います。私のようにブログで情報発信するだけならば誰でもできることですが、立候補予定者として多くの有権者に自らの全てを吟味に供することは大変な覚悟と決断と勇気が必要なもので、簡単にできるものではないからです。健康に気を付けられて、8月28日を迎えられることを願ってやみません。

2011年8月11日 (木)

長久手町長選挙ローカルマニフェスト型公開討論会

 本日8月11日、長久手町文化の家(風のホール)において、長久手町長選挙立候補予定者による公開討論会が開催されます。主催は、社団法人愛知中央青年会議所です。

 立候補予定者の人物識見政策等を知る良い機会だと思います。

長久手町長選挙ローカルマニフェスト型公開討論会

日時:2011年8月11日(木曜日)18:30開会(18:00受付)20:33閉会

場所:長久手町文化の家 風のホール
   愛知県愛知郡長久手町野田農201番地

出席者

  大島 令子 氏

  かまた 進 氏

  吉田 一平 氏(吉の字は冠が士ではなく土の異体字)

 なお、会場の定員は300名で、先着順に入場となりますので、満員の場合は入場を断られる場合があるそうです。

2011年8月 9日 (火)

司法制度改革の失敗

 桐蔭横浜大学と大宮法科大学院大学が、法科大学院(ロースクール)を統合することを発表しました。実質的には桐蔭横浜大学に吸収され、大宮法科大学院は廃止されることになります。法科大学院制度が発足した当時、「社会人も法曹になれる!」ということを前面に打ち出し、法科大学院単独の大学として有名大学設置の大学院に並ぶ「難関大学院」であっただけに、関係者の方々はさぞ不本意な最後と思います。

 両校とも募集定員を大きく割り込み、合格者数・合格率も低迷していますから、学生を移すことに関してはそれほど支障はないと思いますが、膨れ上がった教員をどうするかが最大の問題になるのではないでしょうか。大宮法科大学院大学は第二東京弁護士会のバックアップにより、弁護士兼任の教員も多いですから「本業」に戻ればよいと言えないこともないのですが、専任の研究者にとっては首の問題があるだけに、統合は決して簡単ではないでしょう。

 それにしても、鳴り物入りで発足した法科大学院ですが、現実は大変厳しいものとなっています。2010年には合格者数3000人(それ以上もあり得る)とされていたのが、現実には2000名程度に留まっており、今後は合格者数をむしろ絞ることが確実な情勢となっています。法科大学院1学年の合計は6000名程度ですから、当初の想定ですら法曹になれるのは半数程度に過ぎないものだったのですが、これがせいぜい3分の1から4分の1になるわけです。卒業生のほとんどが専門職に就くことすらできない(更に、就けたとしてもそれで食えるかはまた別)専門職大学院と言う、まことに奇怪な存在となってしまいました。

 そこで、各大学院とも卒業要件を厳しくて「何割かは落とせ」という方針になっていますが、途中で挫折して「普通の道」に戻れるほど甘くはありません。一番価値の高い「新卒大学生」すら有り余っている状態で、年齢も高く企業にとっては「中途半端な余計な知識」を持っている者は尚更行く先はないでしょう。私の友人にも、音信不通になってしまった人は何人もいますし、運よく大学院を修了できていても、合格した人は数えるほどしかいません。平均水準から見れば知的エリートにあたる人々をすり潰して労働市場に受け入れられない人材を大量に作り出しているのですから、教育資源の使い方としてまことに非効率であると言えます。

 司法試験が激烈な試験であることに変わりはありません。見掛け上の合格率は上がっていますが、法科大学院入試の段階で絞られますから、実質的な法曹志望者に対する合格率は決して高くはない。「5年以内に3回」という受験制限もあります。そして、残念ながら大量の知識を詰め込み受験テクニックを身につけなければ合格は望めません。これでは、大学進学の段階で法学部に進み、法科大学院と併せて6年~7年勉強する人が有利になるのは当然と言えます。法科大学院制度を導入した時には「法学部以外の学部出身・社会人も法曹になれる!」というのが売り物でしたが、そうした人が合格したと言う話はほとんどありません。確かに、頭の極端にいい人というのはいますから、そういう人が合格することはあるでしょうが、非常に稀な例外です。従来のキャリアを捨てるかたちで仕事を辞めたりして法科大学院に入ってきた人たちの一部は休職制度を利用しており元の職場に戻れたケースもありますが、大部分の人たちは片道切符でしたから、その後の就職は容易なことではない。アルバイトで糊口を凌ぐ生活を送っている人も多いのです。

 それでも司法試験の合格者は長らく500人という時代が続いただけに、合格しやすくなったとは言えます。しかし、その時代に比べて裁判官や検察官に任官する枠はほとんど増えていないと言うのが実情です。司法制度改革で増えたのは事実上弁護士だけだと言っても過言ではありません。犯罪を摘発して起訴するかどうかを決め実際に刑事訴訟を遂行するのが検察官であり、民事刑事の訴訟を裁くのが裁判官です。裁判官も検察官も公務員ですから、削減の声はあっても増員の声はほとんどなく、関係者ですら増員は質の低下を招き、少数精鋭のエリートであると言うプライドもあって増員を要求していると言う話は聞いたことがありません。

 この結果、公判前整理手続き等の制度は導入されたものの、相変わらず裁判は長期間かかるものとなっています。特に民事訴訟は時間がかかります。私が大学院時代に恩師である山田長伸先生(大阪大学大学院特任教授・弁護士)の御好意で傍聴させていただいた裁判は、一回の期日で裁判官が着席して開廷してから閉廷するまで5分、次回は一箇月以上先と言うことで終わってしまい、書面の応酬があるとは言え、これでは長引くのも無理ないと感じました。弁護士以上に裁判官は多忙で、ボトルネック状態になっているようです。これでは、迅速な裁判と言う司法制度改革の目的は見事に失敗していると言わざるを得ません。解雇の裁判の場合、平均15箇月かかります。15箇月というのも第一審判決が出るまでの期間で、控訴・上告まで争えば更に時間がかかります。司法制度改革を推し進めた小泉総理は「思い出の事件を裁く最高裁」と名言を残しましたが、訴訟の間まともな仕事を数年間できない立場に置かれる労働者にとってはたまったものではない。訴訟に煩わされる経営者も同様です。

 検察官の数もほとんど増えていません。この結果、検察官は前にも増して厳選して起訴をすることになります。事件を起訴するか不起訴にするかの判断は検察官が握っており、検察審査会の議決による強制起訴という例外規定はありますが、発動されているのは小沢一郎容疑者の事件等ごくわずかです。そして、検察官が公判を維持する自信のない事件は、どんどん不起訴になっていきます。人命を奪うと言う最も悪質な殺人事件ですら、起訴されるのは7割から8割なのですから、後の事件は言うまでもありません。痴漢事件が目立つのは、簡単に有罪にできると言う検察官側のメリットもあるようです。

 検察官は労働事件に対する知識も乏しく認識も極めて低いものがあります。「傷害事件の被疑者は確かに私の会社の従業員でした。弊社は土木現場に労働者を派遣する仕事をしています」という内容の供述調書が傷害事件の教材の一部として配布されてしまったことがありました。講義の本筋とは全く関係がない話ではありましたが、教材を作った全国の刑事司法の超一流の専門家でも、労働者派遣法は知らなかったようです。こうやって育てられた人の優秀な人が検察官になる。これでは、労働基準法をはじめとする労働・社会保障関係法令で違法行為を繰り返したとしても罰せられることは殆どなく、悪質な事業主が悪質な違法行為を繰り返すのは当然の帰結と言えましょう。罰則がまともに発動されない法律は道徳の本と大差ないわけですから。

 実際、大事故を引き起こし運転手が懲役5年6月の実刑判決を受けた事件で、労働基準法違反に問われた企業側は略式手続で罰金30万円という判決でした。世間を騒がせるくらいの大事故でようやくこれです。被害者の報復感情としては不満の残る話でしょうし、この程度の罰則では甘く考える経営者の方がむしろ多いのではないでしょうか。

 司法制度改革をするしないにかかわらず、無責任な悪人を事実上野放しにするという事を肯定していいわけがありません。こうした点で、司法試験の合格者を増やす一方で検察官を大幅増員しなかったのは、不十分な改革であったと言わざるを得ません。

 司法制度改革は、法曹供給の面でも多用性を確保できず人的資源を無駄遣いし、迅速な裁判も実現されず、悪人が起訴すらされない。はっきり言って失敗であると考えます。まずは、政府与野党法曹三者に文部科学省はこれを認めるべきではないでしょうか。

 率直に言って、司法制度改革の問題は多くの国民にとっては身近な問題ではないでしょう。恐らく、政治家も地方議員はもとより国会議員でもほとんど関心はないものと思います。しかし、無関心でいればいずれ大きな代償を支払う事になるでしょう。何故ならば、司法制度改革の失敗は最終的に国民に押し付けられることになるからです。トラブルに巻き込まれた時、訴訟の長期化などと一緒に支払う事になりますが、訴訟に勝っても負けても失うものが非常に大きくなることだけは間違いないことなのです。

2011年8月 7日 (日)

国民年金追納制度について

 国民年金の保険料について、未納分であったものを10年に遡って追納できる制度を定めた法案が国会を通過しました。国民年金は原則として25年間納付しなければ老齢年金の支給を受けることができない制度になっています。この追納制度によって、老齢年金の受給権を得ることのできる人が増えると政府は説明しています。

 確かに、「うっかり払わないままだった」とか「昔は払うつもりがなかったが今は払いたいと思っている」というような人に対しては、こうした追納制度を設けることは救済に有効でしょう。しかし、そもそも何故これだけ国民年金の未納が増えたのか。その根本的な原因を解決しないことには、救済制度をいくら上乗せで作っても無意味と言う事になりかねません。

 よく言われているのは、年金制度そのものに対する信頼の喪失です。保険料を納付しても受給できないだろうから、納付そのものが無駄であると言う理屈です。少子高齢化が、この「ぼんやりとした不安」に拍車をかけている。大学の有名教授ですら、講義の最中に「年金制度は破綻します」などと話している者もいました(ただし、この教授は社会保障法や労働法の専門家ではありません)。確かに、年金財政が苦しいのは事実ですが、国庫負担の率の変更によって、制度そのものの維持のみならず現行の給付水準を維持することは可能です。法政策の問題ですので、やるかどうかは最終的には国民の意思になりますが。年金制度破綻云々と言っている人の話を聞いていますと、基本的な公的年金制度すらまともに理解していない者が少なくなく、酷いケースでは社会保険と私的保険の区別すらできていない者もいます。年金保険料を使って建設業界に金の流れる仕組みを作り、使われない施設を大量に建設する等の問題はありましたが、それはそのような利権構造を作ったことが問題であって、公的年金制度の本旨と直接関係はありません。

 公的年金制度に対する信頼云々以上に問題であるのが、国民年金の第一号被保険者が負担に耐えられるかどうかということです。国民年金には被保険者の区分があり、保険料を直接納付しなければならないのが第一号被保険者です。自営業者や学生、無職などの人々がこれにあたります。

 何故、国民年金の未納が増えたのか。これは1990年代より続く不況に大きな原因があります。本来ならば厚生年金や共済年金という「被用者年金制度」に加入できる筈だった層が、まともな就職ができずに被用者年金制度の枠からこぼれ落ちたということです。資力を失った人々が、国民年金の保険料を負担するのは簡単ではありません。

 ロスト・ジェネレーションという言葉があります。現在の日本では、1990年代末から2000年代初頭にかけて就職の時期を迎え非正規雇用で働かざるを得なかった人々を主に指しています。今回の追納制度をもってしても、恐らくこの人々は救済されないでしょう。何故ならば、未納であった時期と比べて懐具合が全く好転していないからです。むしろ、より若い非正規労働者や外国人労働者に非正規雇用の職ですら奪われつつあるのが実情です。

 「追納」制度を作るのは簡単ですが、過去に払えなかった経済状態の人々が、今払えるようになっているかというと疑問です。過去の保険料どころか、今の保険料すら払えない人々が増えているのが実情ではないでしょうか。無論、「人生一発逆転」という人もいないわけではないでしょうから、追納制度が全く無意味になることはないでしょうが、これで多くの人々が救済されると考えるのは大きな間違いであると思います。 

2011年8月 5日 (金)

長久手町長選挙立候補予定者公開討論会

 8月11日(木曜日)長久手町文化の家(風のホール)において、長久手町長選挙立候補予定者による公開討論会が開催されます。主催は、社団法人愛知中央青年会議所です。

 立候補予定者の人物識見政策等を知る良い機会だと思いますので、沢山の有権者の皆様方が参加されることを期待しています。

長久手町長選挙ローカルマニフェスト型公開討論会

日時:2011年8月11日(木曜日)18:30開会(18:00受付)20:33閉会

場所:長久手町文化の家 風のホール
   愛知県愛知郡長久手町野田農201番地

2011年8月 3日 (水)

加藤梅雄町長が次期町長選挙への不出馬を表明

 長久手町の加藤梅雄町長が、今月28日に執行される長久手町長選挙への出馬断念と引退を表明されました。4期16年の加藤町政に幕が下りることになります。

 加藤町長の執政に全く問題がなかったとは言いませんが、この16年の間に長久手町は一気に発展し、2005年の国際博覧会においては開催地となりました。加藤町長時代は、長久手町の高度成長期、青春期として記憶されることになるのではないかと思います。

 市制施行を目前にしての引退であり、後ろ髪引かれる思いがなかったと言えば嘘になるのでしょうが、ともかくも高校卒業後長久手村役場に奉職し以来半世紀以上に渡り、本当にお疲れ様でした。

2011年8月 1日 (月)

政治家の「適性」をどう考えるか

 「政治家の適性というものを真面目に考えてみると、意外に難しいものです。よく言われるのは「みんなの意見を素直に聞く」とか「出たい人より出したい人でみんなが同意できる人」というところですが、これを実践していた筈の鳩山前総理がああいう政権運営になってしまったことは周知の事実です。

 「長年の地域への貢献」は実力を計る目安となる一方で様々なしがらみに拘束され思考が硬直化していることが推察されますし、「若い」というのは柔軟な思考力や判断力が期待できる一方で経験不足への不安感を抱かれるのは免れません。首長の選出の場合、行政・政治経験があることは業界の土地勘を持っているという点で強みであることは確かでしょうが、一方で従前の枠組みに捉われない発想を期待するのは非常に難しい。少なくとも、我が国を含む西欧型の民主政の上では、堅実な行政を期待する一方で転換期には柔軟な思考力を持つ人物を選出できるようになっています。何故ならば、経験や年齢イコール必要な能力と考えそういう人物のみ首長の適性があると考えてしまうのであれば、そもそも選挙で選出せずとも吏員のあがりポストとして設定するとか、中国のように「長老会議」に委ねてしまえばいいわけです。

 2008年のアメリカ大統領選挙において、共和党のマケイン候補は民主党のオバマ候補を経験不足、若すぎると批判し続けました。確かに、マケイン候補は祖父も父も海軍大将で自身も海軍士官としてベトナム戦争に従軍し捕虜生活を送ったアメリカの「英雄」であり、下院議員と上院議員を長年務め、政治的キャリアに全く不足していませんでした。この点オバマ候補は弁護士出身の知的エリートではあったものの、年齢も若く、政治キャリアに至っては州議会上院議員を2期と連邦上院議員に至っては1期目という比較にならない短さであり、政治的実績も皆無に等しいものでした。オバマを「若さだけで勝った」とか「黒人と言う事に期待した」と評するのは簡単ですが、私はそう単純なものではなかったと考えています。

 確かに、オバマ候補は「経験不足」でした。ですが、マケイン候補は自分とともに選挙戦を戦い、自分に万が一のことがあった時には大統領職を委ねることになる副大統領候補にペイリンアラスカ州知事(当時)を指名しました。「メガネっ娘美女」と騒がれたものですが、ペイリン州知事は当時州知事1期目で、その前の経歴も市議と市長を短期間務めただけのキャリアしかありませんでした。相手候補を「経験不足」と批判しておきながら、自身が文字通り経験不足の人物を副大統領候補に指名してしまったことが、結果的に一貫性を欠くものと判断されてしまったことは大きなマイナスになりました。

 一方、オバマ候補は副大統領候補にバイデン上院議員を指名しました。自身よりも年長で、政治的キャリアの豊富な人物を副大統領候補にすることで、自身の経験不足のところを補ってもらうと言う意図があったのでしょう。結果的に、この人事は成功し、オバマ・バイデンのチケット(組み合わせ)が、マケイン・ペイリンのチケットを大差で押さえて当選することになりました。しかし、もしオバマがマケインの事を「思考が硬直化した年寄り」などと批判していた上でバイデンを副大統領候補に指名していたら、どうなったか分かりません。

 ある「属性」や「能力」は解釈次第でプラスにもマイナスにもなりますし、協力する人物の組み合わせによってもより活きることもあれば、大きなマイナスになることもあります。単に「経験豊富」「若さ」「女性」といった単純な要素だけで判断するのではなく、複合的な視野に立って吟味することが我々有権者にとって重要であると思われます。当然、必要であれば欠陥を補う事ができ適切な組み合わせとなる人材登用を勧めることも大切でしょう。単に「頭の硬直化した無学な年寄り」「若いだけで経験不足の変人」「性別が女である以外に個性がない」などと批判するより、有権者にとって余程よい結果を引き出せるのではないでしょうか。

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