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2011年7月

2011年7月31日 (日)

青年会議所寺子屋キャンプ事前準備に参加して

 私の所属している愛知中央青年会議所では、8月に「寺子屋」事業の一環としてキャンプを行う予定になっています。昨日、事前準備として関係者でキャンプ場を下見し、実際にテントを張り、飯盒でご飯を炊き、カレーを作り、魚を串焼きにするという作業を事前に体験してきました。私はキャンプ場に行くこと自体が小学校以来でした。

 ボーイスカウトにおいてこうした活動の経験がある青年会議所の卒業生が参加してご指導いただけたのはよかったのですが、作業は簡単そうに見えても、簡単ではありませんでした。見よう見まねで火を起こそうしても消えてしまい、魚は串刺しにしようとすると身が崩れる。やはり、経験は重要です。

 感謝しなければならないのは、わざわざ好き好んで不便な生活をしてみる余裕が我が国にはあるということです。山の中に逃げ込み、必要に迫られてテントを張り薪と飯盒でご飯を炊くような、難民キャンプで生活している人々が世界には沢山いる。彼らにしてみれば、「楽しみ」どころではないでしょう。

 それにしても、長久手町内から少し車で走れば熊や猪も出ると言う環境があるのですから、自然を楽しむにはまことに恵まれていると言えます。そうすると、わざわざ街の中に無理をして自然のようなものを多大なコストをかけて持ってくることが適切かどうかも考えてみる必要がありそうです。

2011年7月29日 (金)

北朝鮮問題を政権延命の道具にすべきではない

 民主党の中井元拉致問題担当相が「私用」で政府の拉致問題対策本部の職員を連れ、中国を訪問して北朝鮮の当局者と接触した事が問題になっています。中井元大臣はあくまで「私用」だったと主張しているようですが、そうすると同行したこの職員は「有給休暇」でも取っていたのでしょうか。もし、議員の私用に同行するに際して職員に「出張手当」でも支給していたと言うことになると、それもまた問題です。

 それはともかく、菅総理は北朝鮮と抜き差しならぬ関係にある団体に6000万円以上の寄付をしていたことが問題になっています。6000円位なら「お付き合いで寄付した」というようなことも言えるのでしょうが、6000万円ともなると、これは容易ならぬ関係であったと誰しも思うでしょう。韓国人から献金を受けていたことは震災発生であっさりと吹き飛びましたが、これも本来ならば内閣総辞職ものの責任問題であった筈です。中国・韓国・北朝鮮と言う特定アジア諸国との関係について、従来から民主党は弱腰で何か弱みでも握られているのではないかと言われ続けていました。それだけに、これらの国との関係で土下座弱腰と取られるようなことをすること自体、大きなマイナス・イメージになります。「やはり」と思われてしまう。

 自民党政権時代から、北朝鮮問題は「政権維持の切り札」にされてきた感があります。政権が危機に入る度に、幾度となく「何人かの拉致被害者を追加で帰してもらい、北朝鮮と国交を結ぶことで政権浮揚を謀る」という話がささやかれてきました。この方法では、他の拉致被害者は見捨てられることになりますし、核兵器やミサイルによる我が国への脅威は消えません。一方で、北朝鮮に対しては「過去の清算」という名目で、多額の援助がされると言われています。これは北朝鮮にとっては大変「美味しい話」です。拉致問題については既に北朝鮮は認めてしまっていますから、あと数人帰すことで残りの問題を全てウヤムヤにでき、多額の経済援助がもらえるのですから。日本にとっては、拉致問題の本質は何ら解決されず、多額の国費と技術が北朝鮮に流出することになります。つまり、日本で得られるのは数人の拉致被害者返還を除くと、時の政権の延命のみ。これを売国政策と言わずして何と言えば良いのでしょうか。

 小泉総理以来、時の総理の「電撃訪朝」による「政権浮揚」は幾度となくささやかれてきたことです。そして、中井元拉致問題担当相の動きは、菅総理の電撃訪朝のための地ならしと見れば、隠さなければならなかったことも納得できます。どのような弁明をしようとも、あまりにも「怪しすぎる」行動に、不信感を抱かない国民は少ないのではないかと思います。

2011年7月27日 (水)

調査捕鯨を中止するな

 水産庁の検討委員会は、調査捕鯨に関して外圧に配慮して規模の縮小や中止を併記した報告書をまとめました。捕鯨の中止や半永久的な「停止」も非現実的な話ではなくなってきたように思われます。既に、シーシェパードの執拗な妨害によって調査捕鯨船団を任務途中で呼び戻しているだけに、日本は外圧に屈するとのシグナルを送ってしまったに等しく、今後は更に調査捕鯨に対して執拗な妨害が行われることになるでしょう。

 もともと、グリーンピースなどは日本で支援しているのが左翼団体関係者だそうで、この左翼関係者と民主党支持者が重複しているという話もあります。「平和」とか「環境」と言われると思考停止してしまうような人たちが与党にいるわけですから、政府与党の動きが調査捕鯨縮小・停止へ向かう事はそう不思議な事でもないように思われます。

 しかし、これで調査捕鯨を中止・縮小するようなことをすれば、日本が掲げていた「調査」はその必要がなく、「鯨文化」も保持するほどのものではないということを自ら宣言したに等しい事になります。単に鯨肉の需要が増減したから規模を減らせと言うような単純なものではない。鯨肉の需要が増えたからと言って、調査捕鯨の捕獲頭数を増やせるような状況にはならないでしょう。報告書で「中止・縮小」と書いてしまったこと自体、日本の後退を世界に示すことになります。

 シーシェパードやグリーンピース等の環境テロ団体は、言うなれば暴力団です。ヤクザに一度譲歩すれば付け込まれるということ自体を知らないと言うのではまことに情けない。彼らにとっても、反捕鯨を利用した反日活動は欧米の企業や芸能人から金を集める絶好の口実になっている。一種のビジネスで、捕鯨がなくなっても、鮪ですとか、まだまだビジネスモデルを維持する=金集めの口実はあるわけです。捕鯨の中止だけで日本がテロリストから逃げ切れるとは思えません。捕鯨船団の次は鮪漁船が襲われることになるでしょう。

2011年7月25日 (月)

ノルウェーにおける爆破・銃乱射事件に思う

 ノルウェーの首都オスロと郊外のウトヤ島で22日に起きた爆破と銃乱射による死者は、23日までに計92人となりました。真相解明は今後の捜査を待たなければなりませんが、逮捕された被疑者は移民排斥主義者であり、キリスト教原理主義者であって、増え続けるイスラム移民を排斥するために移民受け入れを推進していた与党集会を襲撃したという報道もなされています。ノルウェーの移民は比率では人口の7パーセント程度であり、1割をイスラム系移民に占められているオランダに比べると低い数字ですが、それでもなお相当な摩擦は起きていると考えるべきでしょう。

 「多文化共生」「国際化」を声高に叫ぶ人は珍しくないのですが、決して簡単なものではない。宗教も生活習慣も異なる移民が入ってくれば、摩擦は避けられません。感情的なものならばともかく、移民に仕事を奪われたり、アファーマテイブアクション等で不利益な取り扱いを受ける側としては、生活の問題もかかってきます。宗教によっては世俗法を否定して、自分達の宗教に基づく法秩序を自治に準じて認めるよう要求するケースもあります。そうなると、国民国家の枠組みが破壊されることになりますが、その後に来るのは「多文化共生社会」ではなく、異なる価値観が衝突を繰り返すだけの「混沌」ではないでしょうか。

 労働力不足とか、より安価な労働力を求めて移民受け入れを唱えることは簡単です。そして、「国際化」「競争」「多文化共生」という言葉が後押ししてくれる。しかし、移民を受け入れた後の摩擦を如何に考えるべきか。答えは簡単ではありません。少なくとも、「国際競争力の強化」を主張している大企業が負担に応えるとは思われない。そんな負担をすれば、それがコストに跳ね返り、競争力が失われると大企業側は主張するでしょう。必然的に、移民受け入れに関するコストは政府や地方自治体即ち国民が負担することになります。国民の側にその覚悟があるのかと問われれば、現段階ではないと答えるしかありません。一部の政治家は「移民一千万人受け入れ」というようなことを主張してはいますが、大多数の政治家にとっては今のところ喫緊の問題として捉えられてはいないようです。国会議員レベルですらそのような状態ですから、地方政界となるともう問題外で、「沢山外国からお客様が来てくれれば町興しになる」程度の認識しかない。

 我が国には「キリスト教」のような、一神教ベースの宗教的排他主義は基本的に存在していませんが、それは宗教的排他主義を持たない者同士では成り立つ「理屈」ではあるでしょうが、全ての宗教との間に成り立つわけではありません。

 今のところ、我が国では極端な外国人排斥運動こそ起きてはいませんが、低所得者層を中心にナショナリズムに心の拠り所を求める人々が増えていることは確かです。外国人に対して暴力的な行動に出ないと言う保証はありません。比較的生活習慣が近いと言われる在日韓国・朝鮮人や在日中国人との間ですら、よく見ていると摩擦が広がっていると言うのが現状ではないでしょうか。

 勿論、外国人を受け入れると言うのもひとつの選択肢です。ただし、全ての外国人に「郷に入れば郷に従え」を要求することはできない。宗教的な背後関係があればなおのことです。未だに自治会関係者の中には「氏子にならないので困っている」などと言っている人がいますが、神社と言うのは宗教施設です。したがって、その構成員たる氏子になることを強制できる筋合いのものではないし、そもそも半ば公的な組織である自治会が特定の宗教に資するようなことをするのは好ましいことではありません。それでも、今までは多くの日本国民がある種の「無宗教状態」であったからよかったのですが、自分の宗教に厳格な人々の方がむしろ世界的には多数なのです。厳格なキリスト教徒やイスラム教徒にとって、「氏子になれ」と要求されて氏子になると言うのは、「異教」「多神教」という二重の意味で罪を犯すことになり、言わば地獄行きの切符を買うようなものだから受けいられるわけもない。従来の多神教的な村社会の価値観を全て放棄する位でないと、受け入れは難しいのではないかと考えざるを得ません。

 今回の事件の真相究明はこれからになりますが、遠い他国の話であると考えるべきではない。特に、今後地方行政・地方政治に関わる方ほどこうした事件から真剣に学んでいただきたいものです。

2011年7月24日 (日)

アナログ放送終了

 TVの地上波アナログ放送が終了しました。それにしても、本当にデジタル放送にすべきだったのか、視聴者にとって利のあることと言えたのか、検証する必要があるのではないかと思います。

 デジタル化によって、従前のTVは基本的に観られなくなりますから、「買い替え需要」を強制的に発生させる事が出来ました。また、デジタル化によって従前のアナログ放送のものより、録画したものの複製が困難となり、著作権に神経質になっているソフトウェア供給側としても、これは魅力のある話であった事でしょう(もっとも、インターネット上を調べるとデジタルで放送された番組がコピーされて流出している事例がまま見受けられますので、人の作ったコピーガードは人の手で解けると言う事でしょうが)。

 一方、消費者側・視聴者側としてはどうなのでしょうか。データ放送が楽しめるとか、多チャンネルが楽しめるというのが当初のウリではありました。しかし、テレビの特徴は新聞やインターネットと異なって、「読む」とか「アクセスする」とかいうプロセスを経ずに一方的に情報が垂れ流し状態で入ってくるところにあります。スイッチを入れてチャンネルを合わせておけばいいわけです。いいか悪いかは別にしてこれがテレビからの情報入手の特徴です。そうすると、わざわざ機器を操作してまでデータ放送で送られてくるデータを視聴者が欲していたのか、疑問符が付きます。

 また、双方向というウリについても、実際に双方向で行われている番組は限られています。多チャンネルに至っては、そもそも制作側が二の足を踏んでしまい、これも民放では実現できていません。最近はテレビ番組の制作費がどんどん削られているそうで、昼間テレビを付ければ健康食品のCMと韓流ドラマばかり。夜は芸人が出てきては消えている。情報入手方法が多角化している現在、相対的にテレビの価値は落ちていると言えます。必然的に広告費も削られ、それが番組制作費の低予算化につながっている。負のスパイラルに陥っているのが現状です。

 今回の地上波デジタル放送一本化は、「国策」で国民に無駄にもったいない機能を付加したテレビを持たせた。一方で、国民の側がメリットを享受しているかと言われれば疑問符を付けざるを得ず、近い将来にメリットを享受できる見込みもない。司法制度改革と同じく、政治的経済的な思惑が独り歩きして、結局「一番弱く発言権も小さい」ところに負担を負わせる「改革」をやったと言えなくはないでしょうか。

2011年7月23日 (土)

公約の見直しをおそれるべきではない

 ようやく、民主党政権が子供手当等2009年の総選挙で掲げた公約の「見直し」を事実上表明しました。既に公約はあちこちで破綻状態にあったのですが、公式に見直しをすることは私はよいことだと思います。

 確かに、公約は有権者との約束です。簡単に破っていいものではありません。しかし、与党と野党では公約を作る上で重要になる情報について大きな差があることは確かですし、公約を作った時と現在では状況が大きく変わっていると言う事も見逃せません。特に、未曾有の大震災があったわけですから、復興を最重要課題とすることは当然である。そうなれば、当然ながら「できないこと」も出てくるわけです。

 公約を破ることは罪深い。しかし、事情が変わったにも関わらず姿勢を転換しないのはもっと罪深い事です。重要なのはより困っている国民をいかに救うかです。民主党政権の当初の見通しが甘かったのは否めませんが、それ以上に問題なのは震災が発生して三箇月も経ってようやく転換を決めた事です。これは、あまりにも遅すぎる。公約を破ることより、この対応の遅さこそ問題にされるべきではないでしょうか。

2011年7月21日 (木)

選挙制度改革と選挙無効判決について

 「一票の格差」をめぐる問題で、何度も最高裁判所は「違憲状態」という判決を出していますが、実際に国政選挙が無効とされた例は戦後一件もありません(地方選挙における無効判決はないわけではありませんが)。特に格差問題に関して選挙を無効にしてしまうと、法改正を行うべき国会議員が存在しないことになってしまい、法改正をして是正そのものができなくなってしまうというのが理屈のようです。

 確かに、言われてみればその通りなのですが、だからといって違憲状態が是認されるべきではありません。しかしながら、その判決にある意味では国会が安住し、なかなか制度改正が進んでいないことは確かです。

 選挙制度は政治の動き方や政党の枠組みは勿論のこと、「多数派」の中身すら変えてしまいます。例えば、現行の小選挙区比例代表並立制は、最大多数派により多数の議席を与えるシステムです。その点では、議席に民意の割合が正確に反映されているわけではありません。また、「総理大臣を選ぶ」ことを主目的にしてしまっているところがあって、個々の国会議員の立法府構成機関としての適性はそのほど重視されていないように思われます。

 憲法上の制約を受けているわけではありませんが、「議員定数を減らさなければならない」という大前提も、格差是正に対する障壁になっています。参議院地方区では3年ごとに半数を改選するため各県に最低2人は参議院議員がいることになります。どんなに人口が減少したとしても、これが基準になる。区割り等をいじらなくても例えば東京神奈川選出のの参議院議員を増員すれば済むのですが(実際、沖縄が復帰してきたときは、単純に地方区の定数を2議席増やして沖縄選挙区に割り当てています)、「無駄飯を食う税金泥棒である国会議員を増やすなど、とんでもない」ということになっていますので、こうした手段は「政治的」に取れないわけです。

 国会議員が働いているか遊んでいるかは議論百出するところでありますが、国民の参政権行使に関する不平等を放置しておく方が、はるかに大きな問題なのではないでしょうか。総定員を現行のままにしたとしても、例えば比例区に割り振られている定員の一部を選挙区に回すという手も考えられます。「何が問題か」の優先順位をつけ、まず最大の問題を迅速に解消することこそ必要なのではないでしょうか。

2011年7月19日 (火)

長久手町長選挙立候補予定者事前説明会

 本日、長久手町役場にて8月28日執行の長久手町長選挙立候補予定者事前説明会が行われました。5陣営が出席され、私は青年会議所メンバーとして会場外の廊下で関係者の方々にご説明をさせていただきました(早々に会場を立ち去られてしまいご挨拶すらできない立候補予定者の方もおられましたので全員にご説明できたわけではありませんが)。

 私は「マニフェスト」に懐疑的な見解を持っておりますので、「マニフェスト型公開討論会」を行えばただちに政治家や選挙のレベルアップが図られるとは思わないのですが、少しでも有権者の方々に知らせる機会を作ることは大切であると考えております。

 公開討論会については、多くの有権者の皆様方にご来場いただきたく改めてここでご案内をさせていただきますが、立候補予定者の皆様方におかれましても出席をお願いしたいと思います(立候補予定者のところには改めて担当者がお願いに伺いますが)。

女子サッカーワールドカップで日本が優勝

 女子サッカーワールドカップで、日本チームがアメリカを破って優勝しました。私はサッカーの事は余り良く分からないのですが、快挙を喜びたいと思います。

 かつて、イラク戦争直後のイラク選手団がアテネオリンピックで4位と健闘し、イラク国民に勇気を与えたことを思い出しました。韓国選手団が各種競技で日本と当たると「実力以上の力が出る」と皮肉られたことがありますが、故国の危機に発奮すると言う事は日本選手団にもあるのかも知れません。

2011年7月17日 (日)

ドラマ「水戸黄門」終了

 TBSが、ドラマ「水戸黄門」の終了を発表しました。42年の歴史に幕を下ろす事になるそうです。祖父母と同居した事があれば、恐らくは小さな頃に一緒に観たことがあるのではないでしょうか。
 役者が交代していくのはともかくとして、話が余りにも「ワンパターン」でしたので、再放送を観ていればそれなりに満足でき、新しいシリーズを作る必要性も薄くなっているのでしょう。ただし、ああいうワンパターンな「勧善懲悪」に対する世間の需要は今後も確実にあると思います。
 日本人の法意識、特に刑事法に関しては、刑法や刑事訴訟法の手続きよりも「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」のような「勧善懲悪」モノがむしろベースになっているような感すらあります。とにかく、偉い人が悪い奴を懲らしめている姿を見て喜ぶわけです。そして、それで正義がなされたと思いこんでしまう。
 ドラマで黄門様のやっていることは、言うまでもなく越権行為です。各藩(厳密には江戸時代は○○家と呼び地名などを冠した藩と言う呼称は使われていなかったようですが)は公儀(徳川将軍家)の家臣として統治を委託されている形式ではありましたが、司法権等は基本的に各藩が独自に持っていました。各藩の家臣は一部の例外を除くと「陪臣」であり、藩主の家来ではあっても将軍と直接の主従関係はなかった。したがって、大規模な御家騒動とか藩主の目に余る乱行など「将軍の家来として見過ごせない振る舞い」があればともかく、そうでなければ基本的には各藩の自主性に委ねられていたわけです。
 ところが、黄門様は副将軍であったと仮定しても各藩の内部統制に介入する権限はないのに(実際に「副将軍」自体制度的にも存在したことはない)、「前副将軍」を名乗って堂々と行っている。しかも、捜査から事実上の身柄拘束と判決まで一人でやってしまうのですから、手続き上明らかに問題があるわけです。そうした手続きを一切問題にしないばかりか「勧善懲悪」だと喝采を送ってしまうのだから。警察や検察の冤罪を誘発しているのは、組織の問題もあるのでしょうが、こうした国民の処罰感情によるところも大きいのではないかと思います。
 また、為政者の姿としても興味深いものがあります。日本国中に悪人が溢れて民百姓を苦しめていると言う事になれば、黄門様としては自分の身の処し方や各藩を統制するに際しての幕府の政道について問題があったのではないかと考えるのが自然なことでしょう。実際、江戸時代には何度も制度改正が試みられています。しかし、ドラマの黄門様はそのようなことは全く考えていないようで、いつも「その場限り」の懲罰で一件落着にしてしまっている。スケープゴートをでっちあげて制度の欠陥をウヤムヤにしている現代の将軍様や藩主の何と多いことか。
 ちなみに、現実の黄門様は名君とは到底言えず、むしろ暴君であったとさえ言える人物であったようです。年貢は4割なら名君、5割ならまあまあ、6割なら暴君という相場の時代に8割も取っている(当時は社会保障制度などは存在しませんから、国民の為の支出をまかなうため高い税金を取ると言う発想はなく安い事がいいことだとされていました)。このため、水戸藩では黄門様の引退後ですが、農民の怒りが爆発して一揆に発展し、これが原因で水戸徳川家は統治能力がないと見なされて、8代将軍争いから脱落する結果になりました。つまり、黄門様は他人の事をとやかく言える立場ではなかった。それどころか、「民百姓を苦しめる不届き至極」と「公儀から厳しき沙汰あるものと覚悟」しなければならないような統治をしていたわけです。水戸黄門が「名君」にされてしまったのは、民百姓を苦しめて「大日本史」を編纂し、そこで「尊王」を声高に叫んだことが大きいのではないかと思われます。例えば楠正成などはそれまで「悪党」とされていたのですが、光圀によって「忠臣」とされ、「大楠公」と称せられるようになりました。
 私も勧善懲悪ものは見ていてスカッとするところはあります。黄門様に総理や知事を「懲らしめて」欲しいと思っている国民は少なくないでしょう。しかし、適正手続きを無視して「懲らしめ」たり、或いは自分の悪事を棚に上げて小悪党を懲らしめている姿を見ていると、「これでいいのか」と思ってしまいます。

2011年7月15日 (金)

自殺大国・ニッポン

 このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい

                   福島県南相馬市緊急時避難準備区域在住の93歳の女性

                          (毎日.jpの2011年7月9日報道記事より引用)

 震災と原発事故により生活を破壊され、前途に絶望して自殺する。あまりにもやり切れない事件であり、この遺書からは恐ろしい程の絶望感が感じられます。老人になると、ともすれば人は保守的になるものですが、それに加えて自殺したこの老女は農家でした。農民と言うものは土地とともに生きるものであり、その土地から引き離されるという絶望感は都市生活者の想像以上のものがあるように思われます。私自身は農家の出身ではあるものの既に農業に従事しなくなって久しい上、長年に渡り町の外に出て高等教育を受けており、社会保険労務士の仕事自体も社労士会への所属はともかく土地に依拠して行うものではありませんから(実際、長久手町内では過去も現在も一件も受任したことはありません。何故か専門性の高い依頼ほど遠隔地から来ると言う傾向すらあります)、こうした点では限りなく都市生活者に近く、単純な「郷土愛」は別にして、何が何でも土地にしがみつかなければならないという心情は理解し難いものです。しかし、そうした心情を持つ人々がいることは理解しなければなりませんし、政策立案の上では、そうした人々の存在を考慮したものにする必要があります。

 震災地のみでただちに自殺者が激増しているというわけではありませんが、日本全体で見た場合自殺者は年間3万人を超え、被災地外でも自殺者はむしろ増える傾向すらある。全てが震災を原因とするものとは言えないのでしょうが、直接間接に震災による被害を受けて自殺に追い込まれる例が多いことは容易に想像できるところです。愛知県においても工場の操業が停止されたり短縮されたり、仕事はあっても必要な物資が入ってこず、或いはそうした人々の消費に依存していた第三次産業においても影響は拡大しています。ただでも不況が長引いており、もともと悪いところに追い打ちがかけられたわけです。個人保証している経営者ならば家屋敷まで取られかねませんし、日単位や時間単位で働く労働者にとって操業短縮は致命的です。被災地内で自殺者が激増していなかったとしても、それだけをもってただちに今次震災による自殺者が激増していないとは言えません。

 牛舎の壁に白墨で遺書を残して自殺した牧場経営者もいました。自殺しても、遺書がこのように報じられるのは稀なケースです。日本では自殺者を出したことを表沙汰にすると様々な不利益を受け、特にムラ社会においてはその傾向が強い事が指摘されています。ですから、過労自殺裁判などは遺族は失うものは何もないと文字通り捨て身の覚悟で挑んでくる。この老女の遺書は家族が率先して公にしたそうですが、これは遺族も相応の覚悟をもって公にされたものと思います。

 やり切れないのは、遺書に「ごめんなさい」という言葉が目立つ事です。牧場経営者も、原発への恨み節を書きつつも詫びる内容の遺書でした。何の罪で、どんな証拠で、彼らが詫びて死ななければならない責任が生じたのでしょうか。私はかかる責任は全く生じていないと考えます。それでも、詫びながら死ななければならないところに、追い詰められた人々の悲劇が現れていると思います。

 我が国は自殺防止対策に余りにも冷淡です。企業や地域の「主導的立場」にいる人々(往々にして成功者である)は、自殺者は精神的に弱かったとか、自己責任だとか言う言葉で片付けてしまいます。世の中、全ての人たちが剣闘士並みの精神的頑強さ(ある種の図太さ)や頑健な肉体を持っているわけでもありません。自殺防止対策が進められていないのは、そのまま我が国や地域の指導者の弱者に対する冷淡さを物語っているように思われます。

 自殺防止対策ははっきり言って明るい話ではありません。私も政治活動の主目的に掲げようとして「暗すぎる」と指摘され削らざるを得なかった。「みんなの意見」を大事にすればそういうことになるのでしょうが、かかる事件を目の当たりにすると、削ってしまった事に罪悪感すら感じます。落選と言う結果に変わりはなかったとしても、もっと市民に対し啓発できる事があったのではないかと。

 私自身ができることは職場環境の改善を通して自殺や自殺に至る心身の障害を防止して行くことです。何らかの主導権を持っている立場の人たちが、自殺防止を頭に入れて行動するだけでも、現状の「自殺大国・ニッポン」を少しは変えられるのではないでしょうか。

2011年7月13日 (水)

航空自衛隊浜松基地三等空曹自殺事件

 2005年11月にに自殺した航空自衛隊浜松基地所属の男性三等空曹(当時29歳)の遺族が「自殺は先輩隊員のいじめが原因」として、国と当時の先輩隊員に対し約1億1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が静岡地裁浜松支部において言い渡され、裁判所は国に8015万円の支払いを命じました。

 三等空曹は、仕事上のミスなどを理由に殴る蹴るの暴行を受け、また「反省文100枚を書くか、辞表を出せ」「死ね」「やめろ」との暴言を繰り返し浴びせられるなどいじめられた結果うつ状態になり、浜松市内の自宅で自殺したとされています。

 自衛隊も含む軍隊組織は、ともすれば一般の市民社会から離れた閉鎖的な社会と見られがちであり、実際に外部の人間には容易に分からないところがあります。そして、組織に入る以上はある程度のいじめやしごきは仕方がないこととされてきました。旧軍でも自衛隊では強い兵隊を作るためという理屈でいじめやしごきをむしろ許容し見て見ぬふりをしてきた感すらあります。被害者の方も、それを当然と受け止めていたようで、被害を受けているという自覚すら実は多くの者がなかったのではないかと考えられます。

 しかし、最近では自衛隊内でのいじめの存在を認定し、指揮命令や教育指導の範囲を逸脱したものについても責任を認める判決が出るようになりました。今後は、自衛隊においても従来のような「志願してきたから」「自衛隊とはそのような組織だから」という理由づけによるいじめやしごきは許されなくなるものと思われます。自衛隊の側すなわち国の側としても、ハラスメントを積極的に防止して行く必要があります。自衛隊の指揮命令系統の中で防止が難しいのであれば、外部からハラスメント防止の専門家を登用することも検討されるべきでしょう。

 なお、自殺の多さは自衛隊だけでなく旧軍でも大きな問題となっていました。「自殺すると赤い風呂敷に包んで遺骨を郷里に送り返す。お前らの親兄弟は非国民の家族として村八分になる」という脅し文句がよく使われたそうで、実際に戦争体験者の中には自殺しなかったのは自殺すると家族が生きていけなくなるからだと述懐する方が珍しくない。戦前の日本は農村社会でありムラ社会であって、そこから除外されると言う事は生きていく上で致命的な事でした。しかしながら、脅してもなお自殺者は続出し、戦場で弾は前からだけでなく後ろからも飛んでくると言われていたものです。また、海軍においては艦艇に火を付けて自殺するという事件も起きており、結果的に敵国に艦艇をプレゼントしてやったのと同じ事になってしまいました。なお、自衛隊でも護衛艦「さわゆき」において、自殺しようとした乗組員が航行中の艦に火を付けており、早期に消火できたからよかったようなものの、もし爆沈していたら外洋航行中の事もあり、原因究明はかなり難しい事になっていたと思われます。戦前の事例は、決して現代と無縁ではない。

 「いじめ」「しごき」は日本だけの問題でもありません。兵士を人とも思わない中国や北朝鮮などの軍隊は論外としても、アメリカ軍では特に海兵隊が激しいしごき、特に新入隊員に対するブート・キャンプにおいて死者を出すことが問題となっています。悲惨なのか韓国軍で、韓国は徴兵制がありますからほぼ全員の男性が入隊する。そして、韓国に根付く年長者絶対の儒教文化とも相俟って、兵営における生活は苛酷なものになっています。理由なき暴言暴行は日常茶飯事で、特に酷いケースでは部下の兵士に大便を舐めさせるという話にならない事件まで起こしています。このため、韓国軍ではいじめられた兵士による自殺はもとより上官への報復が後を絶たず、最近でも韓国海兵隊員が上官を射殺するという事件が起きています。

 軍隊ではなくとも警察や消防等組織論的に見て軍隊とほぼ同視できるようなものを「準軍隊組織」と言いますが、ここでも同じような事件が起きています。例えば消防署員の訓練に際して気合を入れるためと称して当然なすべき安全確保を怠り事故死させたり、実務上意味のない操法を繰り返させた揚句精神的に追い詰め自殺に追い込んだりという事件が報告されています。

 一般の社会人が自衛隊や警察に入ることは実際にはなかなかないことですが、全くこうした軍隊組織・準軍隊組織におけるハラスメントの加害者被害者になる可能性がないとは言えません。身近なところでは消防団があります。これは一般市民によって組織され(法的には常勤たる消防団員というものも観念されるが)るものです。そして、消防団内部で訓練指導を理由としたハラスメントが起きているという指摘がなされている。例えば、行進訓練や操法訓練に関して実際の消防団の業務とは関連性が薄い訓練であり、ハラスメントの隠れ蓑になっているというものです。

 また「消防団は飲み食いとコンパニオン遊びの集団」「飲ませたり女で吊らないと団員が入ってこない」なとど書いてある本がありましたが、このようなことが事実とすればこれらもハラスメントに該当する可能性が極めて濃厚です。直接の加害者の責任はもとより、放置していたとなれば自治体に対して損害賠償請求がなされることも考えられます。

 軍隊組織や準軍隊組織のハラスメントに関しては、いじめやしごきを必要悪或いはむしろ必要なものとして肯定する考え方の他に、国家や自治体の安全に奉仕しているのだから多少の違法行為は一般市民も許容すべきだと言う意見もあります。しかし、いくら目的が正当であったとしても、手段において違法であれば許容されるべきではなくこの意見は失当と言えます。公権力を行使する組織であればこそ一般的な社団や財団以上にデュー・プロセスが強く意識されるべきであり、もしかかる意見を肯定すれば、いずれ奉仕を理由とした組織の暴走を招くことになりましょう。この点において、関東大震災における自警団が地域の治安を守ると言う大義名分の元で何らの法にも証拠にも基づかない身体拘束や私刑を行い、果ては物資略奪までしていたという事実を思い起こすべきです。

 なお、この航空自衛隊浜松基地三等空曹自殺事件においては、被害者は生前、両親や同僚にいじめを相談していたそうです。こうした相談があったからこそ、自殺の原因がいじめであるとして、遺族が損害賠償請求訴訟を提起することになったのでしょう。もし、こうした相談がなされないまま自殺していたとしたら、遺族は何の理由で自殺したのか分からないままであった可能性が高いように思われます。閉鎖的社会である上に自衛隊関係者の自殺では自衛隊関係者による「もみ消し」「証拠隠滅」のなされたことが濃厚なものが珍しくないからです(例:護衛艦たちかぜ事件平成23年1月26日横浜地方裁判所判決)。

 一方で、このように被害者が追い詰められていくことを知り得る立場にあった場合、裁判においては過失相殺が認められる可能性もあります。過労自殺のリーディングケースとなった電通事件(最高裁判所平成12年3月24日)は過重労働の他にハラスメントが原因となって精神疾患を発症し自殺に至った事件なのですが、下級審においては家族が過重労働を知り得ながら会社に対して何らのアクションも起こさなかったことを遺族側の過失と認定して過失相殺を認めています。最高裁判決では余りにも電通側が裁判においても悪質であったことなどから過失相殺を認めませんでしたが、その後も過労死や過労自殺をめぐる裁判において下級審では過失相殺を認めるケースが見られます。今回の事案でも、こうした点がどのように裁判所に評価されたか、興味深いところです。今のところ判決の全文を入手できていませんから、現時点ではよく分かりません。

 あくまで地方裁判所の判決ですので、今後国側が控訴する可能性は高いですし、賠償額等を不服として原告側が控訴することも考えられます。今後の訴訟の推移を見守りつつ、事件から学びとれるものを改善に役立てていく必要があるように思います。

 なお、この事件も「過労自殺」のひとつでありますので、ここに過労自殺のリーディングケースとなった電通事件の最高裁判決全文を御紹介しておきます。

<参考 電通事件最高裁判決文(最高裁判所平成12年3月24日)>

         主    文
一 平成一〇年(オ)第二一七号上告人の上告を棄却する。
二 原判決中平成一〇年(オ)第二一八号上告人らの敗訴部分を破棄し、右部分に
つき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
三 第一項に関する上告費用は、平成一〇年(オ)第二一七号上告人の負担とする。
         理    由
 第一 平成一〇年(オ)第二一七号上告代理人松嶋泰の上告理由及び同瀧川円珠
の上告理由の第一ないし第五について
 一 本件において、Fの相続人である平成一〇年(オ)第二一七号被上告人ら・
同第二一八号上告人ら(以下、それぞれを「一審原告G」のようにいい、右両名を
併せて「一審原告ら」という。)は、平成一〇年(オ)第二一七号上告人・同第二
一八号被上告人(以下「一審被告」という。)に対し、Fの一審被告に対する民法
七一五条に基づく損害賠償請求権を相続したとして、その支払を求めているところ、
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに
足りる。これによると、本件の事実関係の概要は、次のとおりである。
 1 Fは、昭和四一年一一月三〇日、一審原告らの長男として出生した。Fは、
健康で、スポーツが得意であり、その性格は、明朗快活、素直で、責任感があり、
また、物事に取り組むに当たっては、粘り強く、いわゆる完ぺき主義の傾向もあっ
た。平成二年から三年当時、Fと一審原告らは同居しており、一審原告らはそれぞ
れ職を有していた。
 2 Fは、平成二年三月にH大学I学部を卒業し、同年四月一日、一審被告の従
業員として採用され、他の一七八名と共に入社した。採用の約二か月前にFに対し
て行われた健康診断においては、色覚異常があるとされたほかは、格別の問題の指
摘はなかった。
- 1 -
 3 新入社員研修を終え、Fは、平成二年六月一七日、一審被告のJ局K推進部
に配属された。同部の部長はLで、同部には一三名の従業員が所属し、二つの班に
分けられていた。Fは、Mを班長とする班に属するものとされて、M外二名の従業
員と共に、N営業局及びO営業局関係の業務を担当することとなった。
 4 平成二年当時、一審被告の就業規則においては、休日は原則として毎週二回、
労働時間は午前九時三〇分から午後五時三〇分までの間、休憩時間は正午から午後
一時までの間とされていた。そして、平成一〇年法律第一一二号による改正前の労
働基準法三六条の規定に基づき一審被告と労働組合との間で締結された協定(以下
「三六協定」という。)によって、各労働日における男子従業員のいわゆる残業時
間の上限は、六時間三〇分とされ、平成二年七月から平成三年八月までの間の各月
の合計残業時間の上限は、K推進部の場合、別紙の「月間上限時間」欄記載のとお
りとされていた。
 ところで、一審被告においては、残業時間は各従業員が勤務状況報告表と題する
文書によって申告することとされており、残業を行う場合には従業員は原則として
あらかじめ所属長の許可を得るべきものとされていたが、実際には、従業員は事後
に所属長の承認を得るという状況となっていた。一審被告においては、従業員が長
時間にわたり残業を行うことが恒常的に見られ、三六協定上の各労働日の残業時間
又は各月の合計残業時間の上限を超える残業時間を申告する者も相当数存在して、
労働組合との間の協議の席等において問題とされていた。さらに、残業時間につき
従業員が現に行ったところよりも少なく申告することも常態化していた。一審被告
は、このような状況を認識し、また、残業の特定の職場、特定の個人への偏りが問
題であることも意識していた。一審被告は、午後一〇時から午前五時までの間に業
務に従事した従業員について所定労働時間に対する例外的取扱いを認める制度を設
けていたほか、午前零時以降に業務が終了した従業員で翌朝定時に出勤する者のた
- 2 -
めに一審被告の費用で宿泊できるホテルの部屋を各労働日において五室確保してい
たが、一審被告による周知徹底の不足等のため、これらは、新入社員等には余り利
用されていなかった。
 5 Fは、K推進部に配属された当初は、班長付きと称される立場にあって、日
中はおおむねMと共に行動していた。その業務の主な内容は、企業に対してラジオ
番組の提供主となるように企画書等を用いて勧誘することと、企業が宣伝のために
主宰する行事等の企画立案及び実施をすることであった。Fは、労働日において、
午前八時ころまでに自宅を出て、午前九時ころまでに出勤し、執務室の整理など慣
行上新入社員が行うべきものとされていた作業を行った後、日中は、ほとんど、勧
誘先の企業や一審被告の他の部署、製作プロダクション等との連絡、打合せ等に忙
殺され、午後七時ころに夕食を取った後に、企画書の起案や資料作り等を開始する
という状況であった。Fは、業務に意欲的で、積極的に仕事をし、上司や業務上の
関係者から好意的に受け入れられていた。
 6 平成二年七月から平成三年八月までの間にFが勤務状況報告表によって申告
した残業時間の各月の合計は、別紙の「申告残業時間」欄に記載のとおりである。
しかしながら、右申告に係る残業時間は、実際の残業時間よりも相当少なく、また、
右各月においてFが午前二時よりも後に退勤した回数は、別紙の「午前二時以降退
勤」欄に記載のとおりであった(同欄の括弧内の数字は、右のうち終夜退勤しなか
った回数である。)。Fは、退勤するまでの間に、食事、仮眠、私事等を行うこと
もあったが、大半の時間をその業務の遂行に充てていた。
 7 Fは、K推進部に配属されてからしばらくの間は、出勤した当日中に帰宅し
ていたが、平成二年八月ころから、翌日の午前一、二時ころに帰宅することが多く
なった。同月二〇日付けのLのFに対する助言を記載した文書には、Fの業務に対
する姿勢や粘り強い性格を評価する記載と共に、今後は一定の時間内に仕事を仕上
- 3 -
げることが重要である旨の記載があった。一方、Fは、同年秋ころに一審被告に提
出した文書において、自分の企画案が成功したときの喜びや、思っていた以上に仕
事を任せてもらえるとの感想と共に、業務に関する不満の一つとして、慢性的に残
業が深夜まであることを挙げていた。なお、同年秋に実施されたFに対する健康診
断の結果は、採用前に実施されたものの結果と同様であった。
 8 Fは、平成二年一一月末ころまでは、遅くとも出勤した翌日の午前四、五時
ころには帰宅していたが、このころ以降、帰宅しない日や、一審原告Gが利用して
いた東京都港区内所在の事務所に泊まる日があるようになった。一審原告らは、F
が過労のために健康を害するのではないかと心配するようになり、一審原告Gは、
Fに対し、有給休暇を取ることを勧めたが、Fは、自分が休んでしまうと代わりの
者がいない、かえって後で自分が苦しむことになる、休暇を取りたい旨を上司に言
ったことがあるが、上司からは仕事は大丈夫なのかと言われており、取りにくいと
答えて、これに応じなかった。
 9 平成三年一月ころから、Fは、業務の七割程度を単独で遂行するようになっ
た。このころにFが一審被告に提出した文書には、業務の内容を大体把握すること
ができて計画的な作業ができるようになった旨の記載のほか、今後の努力目標とし
て効率的な作業や時間厳守等を挙げる記載や、担当業務の満足度に関して仕事の量
はやや多いとする記載等があった。Fの業務遂行に対する上司の評価は概して良好
であり、Lらがこのころに作成した文書には、非常な努力家であり先輩の注意もよ
く聞く素直な性格であるなどと評価する記載があった。
 10 Lは、平成三年三月ころ、Mに対し、Fが社内で徹夜していることを指摘
し、Mは、Fに対し、帰宅してきちんと睡眠を取り、それで業務が終わらないので
あれば翌朝早く出勤して行うようにと指導した。このころのLらのFについての評
価は、採用後の期間を考慮するとよく健闘しているなどというものであった。平成
- 4 -
二年度においてFが取得することができるものとされていた有給休暇の日数は一〇
日であったが、Fが実際に取得したのは〇・五日であった。
 11 Fの所属するK推進部には、平成三年七月に至るまで、新入社員の補充は
なかった。同月以降、Fは、班から独立して業務を遂行することとなり、N営業局
関係の業務とP営業局関係の業務の一部を担当し、O営業局関係の業務の一部を補
助するようになった。
 このころ、Fは、出勤したまま帰宅しない日が多くなり、帰宅しても、翌日の午
前六時三〇分ないし七時ころで、午前八時ころまでに再び自宅を出るという状況と
なった。一審原告Qは、栄養価の高い朝食を用意するなどしてFの健康に配慮した
ほか、自宅から最寄りの駅まで自家用車でFを送ってその負担の軽減を図るなどし
ていた。これに対し、一審原告Gは、Fと会う時間がほとんどない状態となった。
一審原告らは、このころから、Fの健康を心配して体調を崩し、不眠がちになるな
どしていた。一方、Fは、前述のような業務遂行とそれによる睡眠不足の結果、心
身共に疲労困ぱいした状態になって、業務遂行中、元気がなく、暗い感じで、うつ
うつとし、顔色が悪く、目の焦点も定まっていないことがあるようになった。この
ころ、Mは、Fの健康状態が悪いのではないかと気付いていた。
 12 Fは、平成三年八月一日から同月二三日までの間、同月三日から同月五日
までの間に旅行に出かけたほかは、休日を含めてほぼ毎日出社した。Fは、右旅行
のため同月五日に有給休暇を取得したが、これは、平成三年度において初めてのも
のであった。Fは、同月に入って、Mに対し、自分に自信がない、自分で何を話し
ているのか分からない、眠れないなどと言ったこともあった。
 13 平成三年八月二三日、Fは、午後六時ころにいったん帰宅し、午後一〇時
ころに自宅を自家用車で出発して、翌日から取引先企業が長野県内で行うこととし
ていた行事の実施に当たるため、同県内にあるMの別荘に行った。この際、Mは、
- 5 -
Fの言動に異常があることに気付いた。Fは、翌二四日から同月二六日までの間、
右行事の実施に当たり、その終了後の二六日午後五時ころ、行事の会場を自家用車
で出発した。
 14 Fは、平成三年八月二七日午前六時ころに帰宅し、弟に病院に行くなどと
話し、午前九時ころには職場に電話で体調が悪いので会社を休むと告げたが、午前
一〇時ころ、自宅の風呂場において自殺(い死)していることが発見された。
 15 うつ病は、抑うつ、制止等の症状から成る情動性精神障害であり、うつ状
態は、主観面では気分の抑うつ、意欲低下等を、客観面ではうち沈んだ表情、自律
神経症状等を特徴とする状態像である。うつ病にり患した者は、健康な者と比較し
て自殺を図ることが多く、うつ病が悪化し、又は軽快する際や、目標達成により急
激に負担が軽減された状態の下で、自殺に及びやすいとされる。
 長期の慢性的疲労、睡眠不足、いわゆるストレス等によって、抑うつ状態が生じ、
反応性うつ病にり患することがあるのは、神経医学界において広く知られている。
もっとも、うつ病の発症には患者の有する内因と患者を取り巻く状況が相互に作用
するということも、広く知られつつある。仕事熱心、凝り性、強い義務感等の傾向
を有し、いわゆる執着気質とされる者は、うつ病親和性があるとされる。また、過
度の心身の疲労状況の後に発症するうつ病の類型について、男性患者にあっては、
病前性格として、まじめで、責任感が強すぎ、負けず嫌いであるが、感情を表さな
いで対人関係において敏感であることが多く、仕事の面においては内的にも外的に
も能力を超えた目標を設定する傾向があるとされる。
 前記のとおり、Fは、平成三年七月ころには心身共に疲労困ぱいした状態になっ
ていたが、それが誘因となって、遅くとも同年八月上旬ころに、うつ病にり患した。
そして、同月二七日、前記行事が終了し業務上の目標が一応達成されたことに伴っ
て肩の荷が下りた心理状態になるとともに、再び従前と同様の長時間労働の日々が
- 6 -
続くことをむなしく感じ、うつ病によるうつ状態が更に深まって、衝動的、突発的
に自殺したと認められる。
 二 以上の事実に基づいて、一審被告の民法七一五条に基づく損害賠償責任を肯
定した原審の判断について検討する。
 1 労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、
疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のある
ことは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働
安全衛生法六五条の三は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業
者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努める
べき旨を定めているが、それは、右のような危険が発生するのを防止することをも
目的とするものと解される。これらのことからすれば、使用者は、その雇用する労
働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心
理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する
義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮
監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行
使すべきである。
 2 一審被告のJ局K推進部に配属された後にFが従事した業務の内容は、主に、
関係者との連絡、打合せ等と、企画書や資料等の起案、作成とから成っていたが、
所定労働時間内は連絡、打合せ等の業務で占められ、所定労働時間の経過後にしか
起案等を開始することができず、そのために長時間にわたる残業を行うことが常況
となっていた。起案等の業務の遂行に関しては、時間の配分につきFにある程度の
裁量の余地がなかったわけではないとみられるが、上司であるLらがFに対して業
務遂行につき期限を遵守すべきことを強調していたとうかがわれることなどに照ら
すと、Fは、業務を所定の期限までに完了させるべきものとする一般的、包括的な
- 7 -
業務上の指揮又は命令の下に当該業務の遂行に当たっていたため、右のように継続
的に長時間にわたる残業を行わざるを得ない状態になっていたものと解される。と
ころで、一審被告においては、かねて従業員が長時間にわたり残業を行う状況があ
ることが問題とされており、また、従業員の申告に係る残業時間が必ずしも実情に
沿うものではないことが認識されていたところ、Lらは、遅くとも平成三年三月こ
ろには、Fのした残業時間の申告が実情より相当に少ないものであり、Fが業務遂
行のために徹夜まですることもある状態にあることを認識しており、Mは、同年七
月ころには、Fの健康状態が悪化していることに気付いていたのである。それにも
かかわらず、L及びMは、同年三月ころに、Lの指摘を受けたMが、Fに対し、業
務は所定の期限までに遂行すべきことを前提として、帰宅してきちんと睡眠を取り、
それで業務が終わらないのであれば翌朝早く出勤して行うようになどと指導したの
みで、Fの業務の量等を適切に調整するための措置を採ることはなく、かえって、
同年七月以降は、Fの業務の負担は従前よりも増加することとなった。その結果、
Fは、心身共に疲労困ぱいした状態になり、それが誘因となって、遅くとも同年八
月上旬ころにはうつ病にり患し、同月二七日、うつ病によるうつ状態が深まって、
衝動的、突発的に自殺するに至ったというのである。
 【要旨1】原審は、右経過に加えて、うつ病の発症等に関する前記の知見を考慮
し、Fの業務の遂行とそのうつ病り患による自殺との間には相当因果関係があると
した上、Fの上司であるL及びMには、Fが恒常的に著しく長時間にわたり業務に
従事していること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担
を軽減させるための措置を採らなかったことにつき過失があるとして、一審被告の
民法七一五条に基づく損害賠償責任を肯定したものであって、その判断は正当とし
て是認することができる。論旨は採用することができない。
 第二 平成一〇年(オ)第二一七号上告代理人Eの上告理由の第六及び平成一〇
- 8 -
年(オ)第二一八号上告代理人Rの上告理由について
 一 原審は、一審被告の賠償すべき額を決定するに当たり、民法七二二条二項の
規定を適用又は類推適用して、弁護士費用以外の損害額のうち三割を減じた。
 しかしながら、右判断のうち次の各点は、是認することができない。 
 二 Fの性格を理由とする減額について
 1 原審は、Fには、前記のようなうつ病親和性ないし病前性格があったところ、
このような性格は、一般社会では美徳とされるものではあるが、結果として、Fの
業務を増やし、その処理を遅らせ、その遂行に関する時間配分を不適切なものとし、
Fの責任ではない業務の結果についても自分の責任ではないかと思い悩む状況を生
じさせるなどの面があったことを否定できないのであって、前記性格及びこれに基
づくFの業務遂行の態様等が、うつ病り患による自殺という損害の発生及び拡大に
寄与しているというべきであるから、一審被告の賠償すべき額を決定するに当たり、
民法七二二条二項の規定を類推適用し、これらをFの心因的要因としてしんしゃく
すべきであると判断した。
 2 身体に対する加害行為を原因とする被害者の損害賠償請求において、裁判所
は、加害者の賠償すべき額を決定するに当たり、損害を公平に分担させるという損
害賠償法の理念に照らし、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、損
害の発生又は拡大に寄与した被害者の性格等の心因的要因を一定の限度でしんしゃ
くすることができる(最高裁昭和五九年(オ)第三三号同六三年四月二一日第一小
法廷判決・民集四二巻四号二四三頁参照)。この趣旨は、労働者の業務の負担が過
重であることを原因とする損害賠償請求においても、基本的に同様に解すべきもの
である。しかしながら、企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであること
はいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に
従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、
- 9 -
その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働
者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者とし
て予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者
に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否
かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、
各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、【要旨2】労働
者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重
であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに
当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんし
ゃくすることはできないというべきである。
 これを本件について見ると、Fの性格は、一般の社会人の中にしばしば見られる
ものの一つであって、Fの上司であるLらは、Fの従事する業務との関係で、その
性格を積極的に評価していたというのである。そうすると、Fの性格は、同種の業
務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものであっ
たと認めることはできないから、一審被告の賠償すべき額を決定するに当たり、F
の前記のような性格及びこれに基づく業務遂行の態様等をしんしゃくすることはで
きないというべきである。この点に関する原審の前記判断には、法令の解釈適用を
誤った違法がある。
 三 一審原告らの落ち度を理由とする減額について
 1 原審は、一審原告らは、Fの両親としてFと同居し、Fの勤務状況や生活状
況をほぼ把握していたのであるから、Fがうつ病にり患し自殺に至ることを予見す
ることができ、また、Fの右状況等を改善する措置を採り得たことは明らかである
のに、具体的措置を採らなかったとして、これを一審被告の賠償すべき額を決定す
るに当たりしんしゃくすべきであると判断した。
- 10 -
 2 しかしながら、Fの前記損害は、業務の負担が過重であったために生じたも
のであるところ、Fは、大学を卒業して一審被告の従業員となり、独立の社会人と
して自らの意思と判断に基づき一審被告の業務に従事していたのである。一審原告
らが両親としてFと同居していたとはいえ、Fの勤務状況を改善する措置を採り得
る立場にあったとは、容易にいうことはできない。その他、前記の事実関係の下で
は、原審の右判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。
 四 右二、三の原審の判断の違法は、原判決の結論に影響を及ぼすことが明らか
である。一審原告らの論旨のうち右の各点に関する部分は理由があり、その余の論
旨について判断するまでもなく、原判決中一審原告らの敗訴部分は破棄を免れない。
一方、一審被告の論旨は、その前提を欠くことが明らかであって、採用することが
できない。
 第三 結論
 以上のとおりであるから、一審被告の上告は、これを棄却することとし、一審原
告らの上告に基づいて、原判決中一審原告らの敗訴部分を破棄し、右部分につき、
更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷
 玄)
別紙
 (凡例)1 単位は、「月間上限時間」欄及び「申告残業時間」欄にあっては時
間であり、「午前二時以降退勤」欄にあっては回数である。
 2 「申告残業時間」欄の括弧内は、「深夜」とあるのは午後一〇時から翌日午
前五時までの間に行われたとされる残業の時間を、「休日」とあるのは休日に行わ
れたとされる残業の時間をいい、それぞれ内数である。
- 11 -
 3 平成三年八月について、「月間上限時間」欄の記載以外は、同月一日から同
月二二日までの結果である。
       (月間上限時間)(申告残業時間)     (午前二時以降退勤)
平成二年 七月   60     87(深夜15)        4
     八月   60     78(深夜12・5)      5
     九月   80     62・5(深夜10)      2
    一〇月   80     70・5(深夜6、休日13)  3
    一一月   80     66・5(深夜10)      5(徹夜
1)
    一二月   60     62・5(深夜12・5)    6
平成三年 一月   60     65(深夜12、休日6)    10(徹
夜3)
     二月   60     85(深夜20・5、休日8・5)8(徹夜
4)
     三月   80     54(深夜8)         7(徹夜
2)
     四月   80     61・5(深夜8)       6(徹夜
1)
     五月   60     56(深夜1、休日7)     5(徹夜
1)
     六月   80     57・5(深夜3、休日11)  8(徹夜
1)
     七月   60     73(深夜4、休日9)     12(徹
夜8)
- 12 -
     八月   80     48(深夜4・5、休日3・5) 9(徹夜
6)
- 13 -

2011年7月11日 (月)

ムソー事件

 名古屋地方裁判所は7月8日、今年の2月に愛知県豊橋市の東名高速道路で渋滞の車列に突っ込み3人が死亡した事故を引き起こしたトラック運転手に対して、禁固5年4月の判決を言い渡しました。裁判所は量刑の理由として運転手に一定の裁量があったことを理由として過重労働であったことをもって責任軽減はできないとしていますが、遺族側は運転手を「殺人者」呼ばわりし、より一層の厳罰を求め怒りに涙しているようです。

 確かに、事故を引き起こした運転手には重大な過失があったことは否定できません。この点で、有罪か無罪かを争う公判ではありませんでした。しかし、過重労働となることを知り得る立場にあり、実際に指揮命令をしていた使用者側のムソーは、労働基準法違反により略式手続によって金30万円の納付が命じられたに過ぎません。率直に言って、運転手のみに厳しい、均衡を欠く判決であると考えます。

 運転手は長時間不眠不休の運転をして、現地で荷物の積み下ろしを行い、十分な休憩休日を取ることなく業務に従事していました。裁判所は「移動中に休憩が取れた筈」「運転のプロである以上何とかなった」という理屈をつけていますが、過密スケジュールでの運行を指示されていた場合、かかる休憩が簡単に取れると裁判官は本当に認識していたのでしょうか。裁判官は経験者の話によれば、多忙であるがそれなりに裁量の多い仕事なのだそうです。期日には裁判所に出なければなりませんが、少し前までは出勤せずに自宅で執務することすら認められていました。少なくとも、そうした時間的裁量の多さを裁判官出身の先生が裁判官と言う仕事の「魅力」だと語っていたくらいです。そうした立場の人にしてみれば、「いくら過密でもそれは言い訳で時間は作るものだ」という考えが思考の前提にあるとしても不思議はありません。裁判官は法律のプロフェッショナルです。法曹三者の中でも、特に優越的な地位を憲法によって与えられている。法律論の世界では、先輩であっても上司であっても正論を通せる仕事です(・・・と、裁判官は胸を張っていました。事実はどうか知りませんが)。しかし、トラック運転手は運転技術は高くとも、かかる地位を与えられているわけではない。少なからぬ判決で「裁判官の常識」をもって判断がされている事に思いを致す時、今回の事件も裁判官の常識の範囲内で出されたのではないでしょうか。

 私も会社勤めをしていたとき、仕事のかなりの部分は荷物の運搬と積み下ろしでした。さすがに不眠不休と言う事はありませんでしたが、長時間の運転と積み下ろし作業は相当に疲労するものです。そして、時間が上司によって決められている以上、例え眠くても疲れていても運転はせざるを得ませんでした。それが、労働者の立場なのです。労使交渉ですとか団体交渉ですとか、労働条件の改善に関する手続きは沢山ありますが、現実問題としてそれらは労働者側から声を上げなければ手続きにすら入れないものです。労働者が声を上げるのは簡単ではありません。そもそも、そのような手続きで救われる道があることすら知らない人の方が圧倒的多数なのです。また、運送業界は更に苛酷な競争に晒されている。無理をしていることが分かっていたとしても、それを言い出せる雰囲気ではなかったのではないかと思われます。

 それでも企業の社会的責任を考えると、苛酷な競争に晒されているからと言って、事故を誘発するような労務管理を行う事は、当然刑事責任を追及されてしかるべきであります。ところが、今回は労働基準法違反による略式手続で30万円の納付を命じられ即日納付ということで決着がついています。刑事罰と民事損害賠償はまた別であり、亡くなられた遺族に対する損害賠償はムソー側で別途行っていくことになりますが、法人として課されるペナルティとして余りにも軽すぎると言う感想を持っているのは私だけではないでしょう。経営者の中には、この結果を知って開き直っている悪質な者すらいる。

 今回の事件を一言で言えば「トカゲのしっぽ切り」です。悪質で違法な労務管理により重大な事故を惹起せしめたとしても、企業にとっては実に軽いペナルティで済んでしまう。労働法は兎角「ザル法」と言われ、実に軽い罰則しか規定されていません。無論、あまりにも罰則を厳しくし過ぎると経済活動に支障を来たすという理屈も分からないではありませんが、末端の労働者のみが重い刑事罰を科され人生を狂わされる一方で企業組織にとっては蚊に刺された程度の痛みしかない。これは余りにも不公平というべきです。かかる結果を招いた原因のひとつは、やはり労働法上の罰則の緩さ軽さでしょう。税法上の罰則は厳しいからそれなりの対応はしても、労働法上の罰則は軽い上に処罰されることがほとんどないということもあって、たかをくくっている経営者は非常に多い。労働法上の罰則について、立法府は再検討をする時期に来ているのではないでしょうか。

2011年7月 9日 (土)

九州電力事件

 佐賀県で行われた住民説明会において、九州電力玄海原子力発電所2、3号機の運転再開に関する県民向け説明番組において、九州電力が関連企業に対して、原発稼働再開に賛成するメールやFAXを「一般市民を装って」送るよう要請していたことが判明しました。自民党政権時代に発覚したのタウンミーテイングやらせ&サクラ事件を思い出させるものです。

 実際にどれだけの数の関連会社の関係者が「原発稼働再開賛成」の意見を送ったのかは分かっていません。しかし、恐らくは原発関係の仕事をしている「住民」も多いことでしょうから、利害関係人を「住民」から排除するわけにはいきません。一方で、利害関係人が徒党を組んで特定の意見を「住民の意見」として寄せることは、結局のところ偏った意見をあたかも多数意見のようにしてしまう危険性があります。

 今回は言わばアンケートのようなもので、別段法的拘束力もありませんし、ただちに公権力が発動されると言うものでもないものでした。しかし、「住民参加のまちづくり」とか「みんなの声を」と呼ばれているものが、本当に「住民の標準的な意見を反映する者なのか」は懐疑的に見る必要があります。今回の事件のように、利害関係者がそれを隠して意見を寄せる危険性は考慮されねばならない。もっと言うならば、積極的に参加できるだけの金銭的時間的余裕のある人の意見が必ずしも多数を代表しているとは限らないのではないかということです。選挙で選出される首長や議員の場合もこの危険性は内在されていますが、少なくとも公職選挙法による選出と言う形で手続き上の公正は担保されている。これに対して、「住民参加のまちづくり」とか「みんなの声を」と言っている人たちが、手続きの上の公正を担保することを前提の上でスローガンを叫んでいるかと言うと、どうも疑わしいものがあります。

 九州電力の姿勢は厳しく非難されなければならないものですが、九州電力特有の事件だと考えるのは早計であり、一般市民からの意見募集について、今後は利害関係人からの一定の圧力がかかっていることを考慮する必要があるように思われます。

2011年7月 7日 (木)

盧溝橋事件(七七事変)記念日

 今日は日本では「七夕」ですが、中国と台湾では「七七事変」の日、すなわち盧溝橋事件の記念日とされています。まさに、ここから日本と中国の泥沼の紛争がはじまった。そして、高まった中国の「反日」世論はアップダウンを繰り返しつつも今に継承されています。

 もっとも、日本政府は当初から「不拡大」方針でしたし、中華民国政府も同じでした。盧溝橋事件を引き起こしたのは当時中華民国政府と争っていた中国共産党で、劉少奇(中華人民共和国成立後国家主席)指導の元で北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた中国共産党地下党員、吉星文、張克侠、何基灃らの工作によるもので、まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したという話もあります。陰謀説ですが、当時の日中両国の首脳の対応、後に毛沢東主席が「日中戦争のお陰で我々を勝たせてもらった」と日本代表団に語っていること、もともと中国には「夷を持って夷を制する」という思想があることを考えると、全くの空想とも言えないように思います。ただし、歴史学者の間での多数説は、国民党軍による偶発的な発砲が日本軍の過剰反応を引き起こし、事変に繋がったとされているものです。

 日本側が意図的に事変を引き起こしたのかと言うと怪しいところがありますが、現地指揮官の牟田口大佐は後にインパール作戦で「馬鹿な大将敵より怖い」「鬼畜牟田口」と呼ばれた日本陸軍を代表する愚将でしたから、その思考パターンを共産党の工作員が熟知して起こしたかどうかは別にして、ちょっとしたトラブルで紛争になったことは納得できてしまうところです。

 いずれにせよ、盧溝橋事件は特に中国政府によって「反日教育」の格好の材料にされてしまっているだけでなく、日中間の外交において中国側が自国民を煽って日本に譲歩を迫るカードとして何度も切られています。いささかワンパターンですが、それに何度も屈する日本の外交は情けないとしか言いようがありません。

情人節

 今日は七夕です。台湾では、七夕を「情人節」(東洋的情人節)と呼び、2月14日のバレンタインデーと同じような位置付けの日となっているそうです。なお、バレンタインデーは「西洋的情人節」と呼ばれています。恋人が七夕に会ってくれないことを悲観して自殺する女性まで出たくらいですから、我が国の七夕の位置付けとはかなり異なるようです。

 我が国の七夕は日本で古来からあった祖霊を祭る行事に中国からの伝承が融合して生まれたものと言われています。台湾の「七夕」が中国から直接伝わったものなのか、植民地時代に日本経由で伝わったものかは、私もよく知りませんので、事情を知る方に是非教えていただきたいところです。

 日本各地では七夕にちなんだ祭が行われていますが、新暦で行っているところと旧暦で行っているところがあります。内容的にも、伝統的に行われてきた祭に由来するものと、町興しのイベントとしてスタートしたものがあります。

 愛知県では、例えば安城市が日本三大七夕祭りとして旧暦で行っています。この七夕祭りは戦後のもので、商店街活性化のために行われるようになったそうです。安城市は私も訪れた事がありますが、市街の中に七夕を含む星や星座を取りこんだデザインがされており、また市民会館には「オタクが全国から見に来る」と言われるプラネタリウムがあり、通年で「星に親しむことができる」環境が作られています。それでも運営は大変そうですから、「お祭り」を作って「観光客を呼び込もう」というのは誰しも考えつくが実現は簡単ではありません。

2011年7月 6日 (水)

長久手市に移行へ

 本日、加藤梅雄町長が大村知事を訪れ、市への移行を正式に要請しました。県議会で議決を経て、来年には長久手市が誕生することになります。

 現在のドイツ・オーストリアにあたる地域で中世から伝えられてきた慣習法・ことわざに「都市の空気は自由にする」(Stadtluft macht frei)というものがあります。中世ヨーロッパは農業中心であり、その農業は農奴が支えていました。中世ヨーロッパの農奴は売買こそされるそんざいではなかったものの自由身分はなく、移動や職業選択の自由もなかった。それが、都市に移り住んで1年と1日経つと自由身分を獲得できたのです。これは、封建領主からの解放を意味しました。もっとも、都市にはギルド(組合)が存在し、公証人などを除けばギルドの中で修業しないとまともな仕事には就けなかったわけですが。

 農村は封建領主が支配するのが原則でしたが(教会勢力が封建領主と同等の地位を持って支配するケースはありました)、都市はもっぱら自由市民による合議で運営されていました。現在にもつながる自治意識や法の支配は、封建領主に支配された中世農村より、むしろ中世都市で生まれたものと思われます。

 日本の制度では、人口5万人を超えれば市になることができます。5万2千人の人口を持つ長久手町は当然その資格がある。しかし、メンタリティーや思考プロセスが何処まで「都市化」しているかというと、かなりばらつきがあるように思います。

 私はかつての農村的な伝統文化を全否定はしませんが、市になる以上市民は「自由市民」であらねばならないのではないかと考えます。封建的な思考やプロセスを墨守しているなら、ムラのままでも良いわけです。それで「市」を名乗るならば羊頭狗肉とさえ言える。市民のより高い自治意識が求められるのではないかと思います。「長久手市」を玉にするか瓦にするかは、これからの市民の意識次第であると言えましょう。

2011年7月 5日 (火)

松本龍前復興担当大臣暴言事件

 もう少し「言い方」というものがあったろうに、これでは「暴言」と言われても致し方ないところです。同じ福岡出身の麻生太郎元総理を思い出させますが、同じ内容でも言い方ひとつで印象が全くと変わる事にどうして気付かなかったのでしょうか。

 復興事業を進めていく上では、当然ながら地域のコンセンサスが必要です。地域の復興には、中央で一方的にプランを作って押し付けるよりも、地域の実情にあったものを地域から出して行った方がより需要にあったものを作ることができるでしょう。また、復興を機に私権を制限するような改革を行う場合には、不利益を受ける者を十分か納得させる必要があります。しかし、松本前大臣のあの言い方では、それはほとんど伝わりません。

 最大の問題は、前大臣が知事をあたかも指揮命令下にある部下のように接してしまったことではないでしょうか。言うまでもなく、閣僚と知事には指揮命令系統は存在していません。いくら「復興担当大臣」だからといって、知事の上司ではない。仮に指揮命令下にある部下に接する場合でも、あのような体育会系の上下関係を彷彿させるような言い方は好ましいものではありません。

 年齢的に年下の知事の出迎えがなかった事を怒っている姿は、率直に言って余りにも幼稚です。とても還暦を迎え、当選7回を数えているベテラン政治家に相応しいものではありません。むしろ、現地指揮官としてより県民からの苦情や罵詈雑言に耐えねばならない立場にある年下の知事に対して一言くらいねぎらいの言葉があっていい筈です。

 松本前大臣は三代続く世襲政治家で、祖父の松本治一郎参議院議員は部落解放運動の闘士として活躍し初代の参議院副議長に選出され、色々な話はあるにせよ気骨のある人物だったと伝えられています。「貴族あるところ賎族あり」と述べた人物の孫が「長幼の序」や「権力」を振りかざす姿を泉下で眺め、さぞ情けなく思われているのではないでしょうか。

2011年7月 4日 (月)

オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン元オーストリア=ハンガリー二重帝国皇太子逝去

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 最後のオーストリア=ハンガリー二重帝国皇太子であったオットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン元欧州議会議員(ドイツ選出)が7月4日に98歳で逝去されたそうです。

 誕生した1912年には、まだ皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が健在であり、帝国の「跡取り」として大変な期待を背負わされるも、第一次世界大戦後にハプスブルク帝国は消滅しオーストリア革命でオーストリアから追い出されてしまいました。その後もオーストリアへの復帰を狙ったりしたそうですが、結局それは断念され、以後は欧州の統合に人生を捧げています。

 確かに、ハプスブルク帝国は滅亡して久しく、オットー元議員も皇族貴族ではなく一人の市民としてドイツから欧州議会議員に選出されました。しかし、EUの拡大と発展により、ヨーロッパ、少なくとも西欧中欧ではかなり統合が進んでいます。かつて、ハプスブルク帝国がやろうとしてもできなかった欧州統合が現実のものとなりつつある。その端緒を作るのに多大な貢献をされたわけですから、王冠を失っても果たした歴史的役割は歴代のハプスブルク帝国の皇帝たちに劣るものではなく、堂々と泉下の御先祖に顔向けできると言えるのではないでしょうか。

 長男のカール氏はオーストリア選出の欧州議会議員をつとめ、二男のゲオルグ氏はハプスブルク家にとって因縁の地であるハンガリー赤十字の総裁をつとめています。「神に選ばれた一族」と言われたハプスブルク家はかつて持っていた帝冠も王冠も全て失いましたが、これからも存続し役割を果たし続けるのではないかと思います。

                    

                   ハプスブルク=ロートリンゲン家の家紋

2011年7月 3日 (日)

日本青年会議所東海フォーラム

 7月2日に、日本青年会議会議所東海地区協議会主催の東海フォーラムに出席してきました。山村武彦氏による防災に関する講演が行われました。山村氏はメモを取ると45パーセント、メモをまとめて人に伝えると90パーセントが記憶に残り活用できると述べられました。私は講義や講演を聞くときは習慣でメモを取りますので、そのメモをざっとまとめてみたいと思います。(講演全体を詳細に記録したわけではなく、私が取ったメモの中の更に一部です)

・被災者に対して「頑張れ」と時として反発されることがある。被災者は既に頑張り続けている。

・2011年3月11日に発生したのは「広域複合大災害」である。様々な災害が同時多発的に発生したのが特徴と言える。

・日本人のマインドが変わり、リスク分散やライバルとの協調、一定の在庫を持つ事が志向される様になった。(水野注:市場原理主義的な経済学者はこの変化をどう説明するだろうか?また、日本人意識の乏しい経営者や企業はどうか?)

・地震予知や予測は、日本列島50万年の歴史のうち1800年程度の経験則から導き出されているものに過ぎない。

・専門家による「エキスパート・エラー」に留意しなければならない。(水野注・関東大震災では地震学教室の今村助教授が予測していたものを大森主任教授がパニック等を警戒して学会で潰してしまっていた。専門家が本当に良心に基づいて提言してきたのか、学会内の力関係や研究費配分を利用した行政等の「圧力」も見る必要がある)

・今回の津波も含めて、常に「最悪」を想定して動いた者が助かっている。

・「自分で判断して逃げた」者が助かる可能性が高い。(水野注・日本の学校は「集団行動」を重んじJCすら「和の精神」を表に出している。自律判断のトレーニングは本当に肯定され得るのか?)

・堤防は津波を完全に防ぐことはできなくとも、津波の力を和らげて逃げる時間を稼ぐ役に立っている。

・公的機関が被災し、住民への対応ができなくなった。被災地外の自治体が人を派遣しても、すぐに帰ってしまう。(水野注・事前の受け入れ計画等がないとこれは厳しい。システム構築の余地がある。また、送り出す自治体も「人減らし」全盛では人員の捻出は厳しく、更に長期派遣できるほど「余剰人員を抱えている」ということが問題にされかねないということころがあるのではないか?)

・安全でも安心であるとは限らない。(水野注・政府発表)

・東海地震は南海地震と連動する可能性が極めて高い。したがって、「最悪」の事態を考慮すべきである。(水野注・日本は伝統的に「希望的観測」で被害を拡大させた歴史がある)

・従前の「安全策」は疑われる必要がある。例として机の下に入るのは役に立たない。大地震では机の下に入ると言う避難行動自体を取れないほどの揺れになることが多いし、机の下にもぐっても建物が倒壊しては意味がない。閉じ込められないようにすることが先ずは重要。

・災害時における企業の社会的責任についてどう考えるか。店を開ければ略奪行為を逆に抑止できる。

2011年7月 1日 (金)

李登輝元総統を機密費横領で起訴

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 台湾で、李登輝元総統が総統時代の機密費横領の容疑で起訴されました。既に陳水扁前総統も同じ容疑で獄中にあり、現職の馬英九総統も台北市長時代の機密費横領疑惑で国民党の総統候補から降ろされそうになったくらいですから、機密費問題は根深いものがあります。

 李登輝元総統と言えば、台湾民主化に大きな貢献をした総統として日本でも非常に評価の高い人物です。それだけに、台湾独立派を中心に今回の起訴を国民党の政治的陰謀だと指摘する声すらあります。一方で、総統在職中から李登輝元総統には色々な「疑惑」がささやかれており、在任末期に訪台した時に気が付いたのですが、台湾の国民は日本で言われているように李登輝総統を熱狂的に支持はしていないのではないかということです。確かに民主化の功績は評価されていたのですが、「疑惑の解明が不十分」「裏金を懐に入れているのではないか」という疑いの目を総統は相当持たれていました。このギャップに驚いたものです。

 もっとも、この「機密費」が何に使われたのかと考えると、単純に李元総統が私腹を肥やしていたと言い切るのは難しいように思います。そもそも、政治的陰謀の可能性が拭い去れない上、機密費を使って台湾が「実務外交」を拡大させた。例えば、1995年6月の李登輝総統の非公式訪米では、猛烈なロビー活動でアメリカ議会に受け入れを推進させた経緯があります。キャシディー・アンド・アソシエヘーツ(C&A)に工作を依頼し、3年間で450万ドルの契約をし、受入先にも数百万ドル単位で金がばら撒かれたそうです。

 今回直接問題になっているのは、南アフリカ共和国との断交直前に、南アフリカ政府関係者に対して外交関係を存続させるための工作としてばら撒かれた金の出所のようです。

 いずれにせよ、こうした支出を単純に「悪」と言い切ることはできません。アメリカ政治がロビイストと裏金で動いているのはアメリカ政治を多少かじったことがあれば誰でもわかる話ですし、台湾と対立してきた中国も、アメリカで猛烈なロビー活動を行っています。特にアメリカの民主党はこうしたロビー活動の標的にされているそうで、先のアメリカ大統領選挙でも親中派のヒラリー・クリントン上院議員を当選させようと、相当なカネが中国から流れていたと言う話もあります。

 機密費横領という事柄が事実であったとすれば、李元総統の刑事責任は免れないかも知れません。しかし、歴史と言う法廷に立たされた時に、果たして有罪の判決を出せるものでしょうか。

 ただし、李登輝元総統が全く私腹を肥やさなかったとは私には思えないのです。と言うのも、李登輝元総統は台湾大学の学者出身で、実家は陳水扁前総統のような極貧ではなかったにしろ、大金持ちでもありませんでした。それが、今や多数の警備員に囲まれた豪邸に住んでおられる。総統退任後に執筆や講演はされているにせよ、手広く事業をしていたようなことではないですから、何かしら総統在任中に「収入」があったと考えるしかありません。

関西国際産業関係研究所

                  今出川校地クラーク記念館(重要文化財)

 関西国際産業関係研究所は同志社大学の文学部社会学科産業関係学専攻(現在の社会学部産業関係学科)を事実上の母体とし、労使双方に官公庁や研究者を加えたメンバーで組織された研究会です。29日に総会と講演会が行われました。

 この研究所を設立したのが同志社大学の中條毅名誉教授で、太平洋戦争中には学徒出陣により海軍予備学生として駆逐艦潮に乗り組み終戦を迎えられたと言う長老です。私が同志社に入った時には既に退職されており、面識ができたのは私がこの研究所に関わるようになってからです。

    Ushio II.jpg艦首側面

 中條先生はもともと神学をやりたくて同志社に入られたようですが、戦時中は国家神道が幅を利かせていた時代でもあり、キリスト教主義で更にリベラルな校風を持つ同志社は当局に相当睨まれていたそうです。そこで従来神学部の中にあった社会事業や生産などを扱う分野を独立させてこちらをメインとして戦争協力するような組織改編を行い、これが現在の経済学でも経営学でもなく、原則的に使用者にも労働者にも偏らないと言う産業関係学科のもとになったのだそうです。

 神学と労働や社会福祉は一見するとほとんど関係がないように見えますが、新島襄が範としたアメリカでは教会が大々的に慈善事業を行っています。アメリカには現在に至るまで公的な健康保険制度はなく、先進諸国の中では公的な社会福祉制度が十分に整備されていない特異な国です。その空白を埋めて来たのが教会が中心となって行ってきた慈善事業で、教会が慈善事業として社会福祉の中で重要な役割を果たしています。これが、「小さくて冷たい政府」を補完してきたわけです。日本の新自由主義者は何とかの一つ覚えのように「小さな政府」を唱え続けていますが、アメリカにおける教会のような役割を誰が担うのかについて触れている人を私は未だに知りません。

 ちなみに、戦時に政官労使が結束して強固な体制を作ると言う事は何も日本にのみ見られた特異な現象と言うわけではありません。アメリカでもイギリスでも、戦時体制を構築するために政官労使が結束しています。ただし、アメリカやイギリスでは「労働者の権利」が保障され、戦争協力と引き換えにむしろ拡充すらされる傾向にあったのに対して、日本では労働者が戦争協力をすることは当然とされて恩恵はほとんどなかったと言わざるを得ません。かろうじて現在まで残っている権利と言えば厚生年金制度くらいのものでしょうか。

 大学を離れてしまうと、なかなか知的刺激を受けられる場と言うのはありません。私にとっては貴重な一日となりました。

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