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2011年6月

2011年6月29日 (水)

菅内閣の『新体制』に思う

 「内閣改造」という言葉は使わなかったものの、事実上の改造によって菅内閣の「新体制」が発足しました。近く辞めていくことを明言した総理がこのようなことをしたのは前代未聞です(過去には第二次田中内閣が改造の一箇月後に内閣総辞職したと言うような例があることはありますが)。

 江田法務大臣が環境大臣を兼ね、細野首相補佐官を原発担当に充てる。閣僚ポストは17しかありませんから、村田行政刷新担当大臣を更迭しました。また、自民党を離党した浜田参議院議員を総務政務官に任じています。

 私は、問題的や争点が増えている中で、行政各部の長となる閣僚数を減らしてしまったことは問題であると思っています。これを主導したのは自由党党首時代の小沢一郎元民主党代表でした。閣僚がいくつもの役職を「兼務」しているのを見ていると、個々の争点について十分な勉強ができているのかと非常に疑わしいものがあります。例えば、年金問題に詳しい人を厚生労働大臣にしたら労働問題が分かっていない、労働問題に詳しい人を大臣にしたら年金問題が分かっていないと言うのは好例と言えます。環境大臣を江田法務大臣に兼務させることになりましたが、本当に法務省と環境省でリーダーシップを発揮できるのでしょうか。確かに、法務大臣も環境大臣も「兼務」された例がありますが、いずれも内閣改造直前の一時的なケースでした。

 内閣府の副大臣や政務官も情事は同じことのようで、いくつもの「担当」を掛け持ちしているのですから、やはり個々の問題をどこまで掘り下げることができるのか、非常に疑わしいところです。従前ならば、官僚が上手いことお膳立てしてくれたのでしょうが、官僚主導から脱却するのであれば、政策立案能力を高める工夫がなされてしかるべきところです。あれもこれも担当するというのは、かえってどれも「中途半端」になりかねない危険性を孕んでいると言わざるを得ません。

 原発問題は重大ですから、専任の原発担当相を置くこと自体は正しいことだと思います。設置が遅すぎる感がありますが、閣僚を増員するかどうかでもめていましたから、任命が遅れたのでしょう。細野前首相補佐官は事故発生以来補佐官として取り組んできた人ですから、無難な任命ではないかと思います。もっとも、菅総理が「原発の事をよく知っているのは俺と細野」と言っているらしいのですが、同じレベルだということになるとこれは困ったことになりますし、担当相の担当する範囲が不明確という指摘もあります。従前に原子力に関与してきた経済産業省や文部科学省が簡単に担当相に投げるわけもないでしょうし、スタッフが揃っていない担当相に投げられても困るでしょう。

 細野大臣と言えば、かつてタレントと路上で若者らしくひそかにくちづけを交わしている姿を週刊誌に撮られてしまった人ですが、こうした脇の甘さによる失敗から学んでいる事を祈りたいと思います。

 閣僚人事とともに話題になったのは、自民党の浜田参議院議員が離党して総務政務官に就任した事でした。私は非常事態には「挙国体制」があってもいいと考えていますが、今回の人事は参議院で少数派になっている与党側が一本釣りで抱き込みを謀ったように見えてならないところです。自民党の側としても、党籍を残したまま「個人の資格」での政府入りを認めるような度量があってもいいのではないでしょうか。日系のノーマン・ヨシオ・ミネタ下院議員は民主党でありながら運輸長官として共和党のブッシュ政権に入閣していますし、その逆にオバマ政権のロバート・ゲーツ国防長官は歴代共和党政権下で要職を歴任し共和党のブッシュ政権下で国防長官任命された人ですが、民主党のオバマ政権でも留任しています。議院内閣制と大統領制と言う制度の違いはありますので同列に論じることは難しいのですが、もう少し人事に柔軟性があってもよいと考えます。

 

2011年6月27日 (月)

復興増税は本当に復興に資するのか

 政府の復興構想会議は増税によって復興財源を捻出すべきだと提言しています。確かに、未曾有の大災害でしたからその復興のために負担することは必要であると言えます。

 しかし、負担と言っても限度があります。また、直接の被災地でなくとも、既に震災によって仕事が減り、或いは全くないような状態になっている労働者や経営者は非常に多いのです。もともと我が国の経済は冷えていたところに、更に震災で冷えている。増税によって、更に景気が冷え込めばどうなるか。ますます負のスパイラルに陥る可能性が非常に高いように思われます。

 法人税を増税すると国際競争力が低下する云々はよく企業側から言われます。しかし、大企業を中心にこれまで随分と法人税は減税によって優遇されてきました。税制面だけではありません。国は労働法の規制緩和も行い、有利になるようにしてきた。労働分配率の低下や可処分所得の低下、それに中小零細企業の痛みは、大企業と言う親亀を生き残らせなければならないという、親亀あっての子亀の論理で正当化されてきた。社会保険にしても、先進諸国と比べれば随分甘い制度です。そしてその結果として、大企業は大きな内部留保を持っています。近年、日本の大企業は次々と海外脱出を試みるようになってきました。日本と言う国すら、既に「創業の地」程度の認識しかないのかも知れません。

 所得税や法人税の増税に関しては、大企業や富裕層からの反発が強い。彼らは数の上では圧倒的な少数派ですが、政治的影響力は絶大です。そうすると、この復興構想会議の答申は、最終的な落とし所を消費税増税にしようとしているのではないかと思われます。

 消費税増税は、既に没落している中間層以下の層により負担が重い制度であることは事実です。そして、大企業や富裕層を優遇すれば下層階級もそのおこぼれに与れるというトリクルダウン仮説は、全く経済学上のモデルに過ぎなかったこともここ二十数年で立証されてしまいました。従来の経済政策の延長線上で復興増税を行った場合、経済は更に低迷しすることになると思われます。

 このような時にこそ、国債が活用されるべきです。確かに、国の借金は大きく、財政破綻寸前だと言われ続けています。しかし、震災からの復興という明確な目的があります。そして、復興がなされれば復興関係の借金はふくらまずに済みますし、逆に税収が入ってくるようになります。もちろん、復興が時限的なものから離れて利権化してしまったり、復興の終了を打ち出して償還のための増税すべき時期に政府が増税をしないということになると、これは赤字の垂れ流しになる。しかし、今の路線のままで増税をすれば、経済の冷え込みによって税収が落ち込み、遠からず復興のために更に増税を繰り返すと言う悪循環に陥ることになるのではないでしょうか。それこそ、将来の世代に荒れ果てた国を残すことになる。

 なお、丹羽中国大使が軽率にもウイグルを訪れて日本のODAが必要だと述べていたそうですが、核兵器に加えて空母まで保有し、大艦隊を太平洋に泳がせている世界第二位の経済大国に対してこれ以上日本が援助する必要があるのでしょうか。私は、最早対中ODAは必要ないと考えます。また、日本は中国以外にも多額の援助を行っていますが、それも日本が経済大国であればこそできることです。今や、日本はその地位が揺らいでいる。この際、緊急に必要なもの以外は押さえて、一時的に復興にまわすということも考えられてよいのではないかと思います。

2011年6月25日 (土)

大村知事提案の政務秘書設置に賛成する

 私は大村秀章愛知県知事の政治理念や手法に必ずしも賛同しているものではないが、政治任命の政務秘書を設置する件については原則的に賛成できる。日本の首長は政治任用・政治任命できる余地が非常に少なく、これが官僚機構に頼らなければ挨拶ひとつ出来ないと言う事態を生んでいる。政治家が政策立案能力を高めるためにも、政治任用の制度を拡充する必要性があるように思われるからである。

 ところが、愛知県議会の自民党や民主党は「公務員削減に反する」などと言って反対しているそうだ。そもそも、「公務員削減」すら本当に正しいのか疑う必要があり、更に政治任用の秘書は首長の離任によって当然にその任を解かれるべきであるから、政治任用の知事秘書は従前の一般的な公務員と同じベクトルで考えるべきではない。役人を使わず「新たな血を入れる」意義は大きいのではないか。

 むしろ、政治任用された秘書が本来求められている政策的な面ではなく、専ら知事の選挙準備や政治活動のために使われるようになる事をいかに防ぐかが問題とされるべきであろう。また、猟官運動や情実人事の防止も検討されねばなるまい。

 実は、日本でも明治時代には政治任用の余地が大きい制度を採用していたが、これを政党が悪用したことによって情実人事や猟官運動が横行し汚職の温床となってしまった。当時は政党勢力に対抗した藩閥勢力が健在の時代であり、情実や猟官を理由として藩閥側は文官任用令を制定し、これによって政党勢力(=反藩閥勢力)が官僚機構に入ってくる事を阻止しようとしたのである。そうした点では、どっちもどっちだったと言える。

 大村知事が政策的な幅を広げるために政治任命の秘書を置くのであればよいのだが、国会議員の公設秘書のように税金を使って選挙の事前運動をするのであれば、これは議会に反対されても仕方があるまい。何しろ、政治任命の秘書がいようといまいと、知事は巨大な官僚機構を指揮命令することで政策立案もできるし政治的影響力を行使できる。一方の県議会議員には公設の秘書すらいない(私設秘書もいないことが珍しくない)。知事の政策立案能力なり政治力が強化される一方、議会に何もないのでは、さすがに均衡上問題なしとは言えないであろう。

2011年6月23日 (木)

沖縄戦慰霊の日

 6月23日は沖縄戦慰霊の日です。1945年6月23日に、沖縄を守っていた第32軍司令官牛島満中将が割腹自決し、日本軍の組織的抵抗が終わったとされています(厳密には歩兵第32連隊は終戦まで連隊長以下約50名が抵抗しています)。現在の米軍基地問題に至るまで、一連の流れは「沖縄の悲劇」として語られることが多くなっています。

 しかし、単に悲劇を語り継ぐだけでは十分ではないと思います。沖縄をめぐる問題は、単に本土唯一の地上戦と米軍基地だけではありません。

 現在の沖縄は東シナ海の要衝となっていますが、戦争末期まで沖縄は後方の一諸島に過ぎないものでした。日本の対米最終防衛ラインを考えてみますと、「絶対国防圏」と称したのはサイパンを含むマリアナ諸島でした。そのサイパンすら開戦後長らく「後方基地」扱いで、前線を思い切って下げた結果が「マリアナのラインで米軍を迎え撃つ」だったわけです。ですから、ましてや沖縄は戦略基地として大して重視されていなかったと考えるほかありません。

 現在の沖縄が睨むのは中国や北朝鮮と言った特定アジア諸国を含む東アジア諸国ですが、太平洋戦争当時朝鮮半島は日本の植民地でしたし、中国の沿岸部は南京を首都とする中華民国政府の支配下にあり、日本が戦っていた現在の台湾政府に連なる中華民国政府は重慶に首都機能を置き、戦線は中国奥地でした。

 沖縄の悲劇は、太平洋戦争では対米戦の前線が後退してきて準備不足のまま前線になってしまったこと、戦後は中国北朝鮮が問題を起こし続け、地理的に自由陣営の最前線基地としての役割を否応なく担わざるを得なくなってしまったところにあると思われます。

 もし、沖縄が太平洋戦争中に台湾並みに防衛が強化されていたとしたら、沖縄線は起きなかったかも知れません。実際、アメリカ軍の中では硫黄島を陥落させた後はただちに日本本土に上陸する案や、中国沿岸部に上陸して日本軍を重慶政府軍との間で挟み撃ちにすることが検討されていたくらいで、「相対的に見て出血が少なくて済む=防衛が甘い」ということが、沖縄の悲劇を招来したと言えます。

 また、迎え撃つ日本側も当初首里を最終ラインとする作戦が途中で変更され、避難民の多い南部へ退いて先頭を継続して民間人を巻き込み、また軍と県庁(=内務省)とが連携せず、結果的に民間人保護が後回しになり、10万人近い民間人の死者が出ています。

 沖縄の持つ地理的特性、パワーバランス上の問題、有事の際の民間人保護の問題等、今の日本が沖縄戦から学ぶことはまだまだ沢山あります。沖縄戦の失敗から学ばなければ、それこそ日本は悲劇の繰り返しを招くことになるのではないでしょうか。

NHK大河ドラマ「八重の桜」

         

 2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、同志社の創立者新島襄の妻であった新島八重を主人公とした物語になるそうです。新島八重は東北会津の出身で、東日本大震災への復興支援の意味を込めて、急遽制作が決まったとの事です。

 母校の創設者夫妻がNHK大河ドラマで取り上げられるのはまことに嬉しい事なのですが、この新島八重という女性は「悪妻」「烈婦」「鵺」と呼ばれ、新島の教え子からは「先生の結婚は大失敗だ」などということを言われていたそうです。さすがに、新島襄の妻についての「悪いうわさ」は同志社では教えてもらいませんでした。2009年4月22日に放送された「歴史秘話ヒストリア」を観て仰天した次第。

 もっとも、新島襄と新島八重のカップルの姿は、今ではごく普通に見られるものですから、100年ほど時代を先取りしていたと言えないこともありません。

 最近の大河ドラマでは、主人公が立場上顔を合わせることすらない他の歴史上の人物と面識があったり、気に入られたりしていたという設定がされていることがまま見受けられます。このままだと、八重も新撰組の某と面識があったとか、そういう意味不明な設定はやめてもらいたいところです。
 

 初期の同志社がどのように描かれるのか、襄との関係がどう描かれるのかなど楽しみなところです。

2011年6月21日 (火)

フォークランド=マルビナス紛争再燃か

 イギリスが実効統治していたフォークランド諸島(アルゼンチンではマルビナス諸島)にアルゼンチン軍が侵攻し、奪回するイギリスとの間で紛争が起きたのは1982年のことでした。

 当時のアルゼンチンは軍政下にあり、不況もあって、国民の不満を逸らすためには「勝利」が必要だったためだと言われています。同時に、イギリスはその数年前に正規空母を退役させてしまっており、イギリス本国から遠く離れたフォークランド諸島を軍事力で奪回することはできないと思われていたことも、アルゼンチンの侵攻を招く結果となりました。

 イギリスは正規空母を退役させたものの、シーハリアーやハリアーという戦闘攻撃機を運用できる軽空母は保有しており、また紛争地へ迅速かつ高速で展開できる原子力潜水艦も保有していました。補給艦や輸送艦も多数有していただけでなく、民間船舶を徴用できる制度もありました。先に退役した豪華客船クイーン・エリザベス2もこの時に陸軍部隊の輸送に駆り出されています。

 紛争勃発後イギリス政府は直ちに軽空母二隻を中心とする機動部隊を編成して送り込み、フォークランド諸島奪回に成功しました。

 ところが、イギリスは財政難もあって艦上で運用できる戦闘機も攻撃機も全て退役させてしまいました。新しい空母と艦載機が運用できるようになるまで10年ほどかかる見込みと言われています。水上艦も削減され、数年前に就役した揚陸艦もオーストラリアに売却。個々の艦艇の能力は向上している一方、自己完結した部隊を遠征させる能力は明らかに落ちています。

 アルゼンチン政府は今月、フォークランド諸島出身の男性に対し、アルゼンチンの「国民身分証」を付与しました。日本で言えば、「北方領土に居住しているロシア人に日本国籍を与える」と言うようなものですから、紛争再燃かと危惧されています。アルゼンチンとしては、最近のイギリスの特に海軍を中心とした大規模軍縮を見て、「簡単に取り戻しには来られない」と踏んだからこそ、イギリスを刺激する策を取ることもできたのでしょう。

 「力の空白」ができれば、新たな力が侵入してくるのは国際政治の理です。戦争を防ぐためには、少なくとも日本周辺に「力の空白」を作らないよう、日本が相応の努力をしていくことが必要であると言えます。

2011年6月19日 (日)

東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)

             諸君は皇軍のために祈れ

                         ニコライ・カサートキン(1836年8月1日~1912年2月16日)

          

 先日、御茶ノ水駅の近くを歩いていた時、「ニコライ堂」を見かけました。御茶ノ水に行ったのは全く別の用事であったのですが、用事を済ませた後多少時間がありましたので、参観してみました。

 正式名称は「東京復活大聖堂」と呼ばれるニコライ堂ですが、これは正教の教会です。西ヨーロッパはカトリックから一部が分裂してイギリス国教会やプロテスタントになりましたが、正教は東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)中心に主として東地中海世界で西のカトリックとは異なる教義や典礼を発達させてきたキリスト教の一派です。正教はコンスタンティノープルからキエフ公国(ウクライナ)を経てロシアに伝わり、日本に伝わったのは幕末の事です。

                  

 はじめて正教の司祭として日本にやってきたのがニコライ・カサートキン(亜使徒聖ニコライ)で、日本における正教の布教に大きな役割を果たしました。私は同志社大学の出身ですが、創立者である新島襄とニコライとは大変深い縁がありました。

                    

 ニコライは函館のロシア総領事館の司祭として赴任してきたのですが、当時新島も函館に来ており、両者は互いに語学や日本文化を教え合ったそうです。

 聖堂内部は撮影禁止でしたが、装飾のないプロテスタントの教会とはかなり異なって煌びやかであり、カトリックともまた違う独特の様式美がありました。

 また、東京復活大聖堂は日本における正教の中心地であり、日本正教会の主座主教聖堂であるため、普通の聖堂と異なって教会のドームの真下には一段高い「主教座」がありました。

 私はイスタンブールで、かつてコンスタンティノープル総主教座の置かれていたハギア・ソフィアを見学しましたが、ここはオスマン帝国に占領された際にジャーミー(モスク)に改修されており、近代になって無宗教の博物館になる際に発見されたモザイク画等を除けば、正教の教会であった施設はほとんど残っていません。

 私が参観した時、ニコライ堂の内部には棺が運び込まれ、葬儀の準備が行われていたところでした。今も「生きている」正教の教会を見学できた事は、ハギア・ソフィアのような博物館となったところを見学するのとはまた違った感慨がありました。

2011年6月17日 (金)

ビンラディン容疑者の後継者にザワヒリ容疑者

                 

 国際テロ組織アルカイダがイスラム過激派のウェブサイト上に声明を出し、ウサマ・ビンラディンの後継指導者として、エジプト人の副官アイマン・ザワヒリ容疑者(59)を任命したと発表しました。これからも、アメリカとイスラエルに対してテロを続けるそうです。

 一体、誰が何の権限に基づいて「任命」したのかよく分かりません。何しろ、アルカイダには明確な「中央指導部」のようなものがあるわけでもなく、カトリックのように「コンクラーベ」が行われているわけでもないからです。勝手に「俺はアルカイダだ」と名乗っているテロ組織や反米組織が多いと言う話もありますから、実のところビンラディンやザワヒリにしても、どこまでがアルカイダかよくわかっていなかったのではないでしょうか。

 従来の戦争では、大抵の場合首都を陥落させるか、最高指導者の首を取れば決着がついたものでした。しかし、テロとの戦いでは、殺しても殺しても新たな「最高指導者」が出てくるうえ、陥落させる明確な目標となる首都も存在しません。何処まで戦えばいいのか、「終わり」が見えてこないのです。

 こうした状況の下では、粘り強くテロを封じ込めていくしかありません。それも、単に軍事力だけでなく、経済支援や教育支援により、テロリストの産まれる土壌そのものを制圧していく必要があります。特に、移民や外国人労働者の受け入れを巡る問題は、日本にとっても最早無関係ではありません。単純な「労働力の移動」だけで終わらないことを、もっと日本も自覚する必要があると思います。

2011年6月15日 (水)

節電

 関東地方は至る所で「節電」されています。エスカレーターや券売機は言うに及ばず、東京駅周辺すら照明が落とされているようで、手元の地図もよく見えないところがしばしばありました。東京では、コンビニも自販機も「節電中」の張り紙を出しているところが目立ちます。節電をPRすることで、そのまま「社会貢献」をPR出来るとの事です。

 実際のところ、電力不足は電力需要のピーク時に問題になるとの事で、ピーク時以外に節電していたとしても、それを「貯めておけるわけではない」そうですが、心がけは大切でしょう。

 同時に、原発については長期化を覚悟しなければなりません。津波についても同様です。一斉に「義捐金」「節電」は結構ですが、息の長い支援を続けていくことが重要だと思います。我が国はどうしてもマスコミが取り上げるところに支援が集中する傾向にある。大震災も津波も原発すらも「センセーショナルな話題」でなくなる日が遠からず来るでしょうが、問題は依然として解決されて院内可能性が高い。報道が減ってきても、注意を怠らないようにする必要があります。

AKP326

                        トルコの国旗

 AKBではありません。ただ、韓国語ではBとPの発音が曖昧であるため、AKPもAKBも同じように聞こえると言う話ですが、本当かどうかは分かりません。

 トルコ共和国で総選挙が行われ、与党であるイスラム系政党AKP(公正発展党)が大国民議会の550議席中326議席(得票率49.90パーセント)を獲得して過半数を制し引き続き政権を担当することが確実になりました。トルコでは選挙区と全国合計でともに10パーセントを超える得票をしないと政党に議席が配分されない制度になっています。これは、小党乱立時代経験している為で、日本の小選挙区比例代表並立制やイギリスの小選挙区制以上に、多数政党により多数を議席を与えるシステムと言えます。

 トルコ共和国はイスラム諸国の中では(ただし、政教分離を国是とするトルコには「国教」は存在していませんが99パーセントはイスラム教徒です)珍しく、西欧型の人権思想が導入され、自由選挙と民主主義が保障され相当長期に渡って維持されています。ムスタファ・ケマル・アタチュルク大統領によるトルコ革命以来、「世俗主義」と「政教分離」がトルコ共和国の国是でしたが、最近では穏健とは言えイスラム系政党が政権を維持し続けていることは注目すべき事柄です。

 パレスチナ自治区議会で議席を得ているハマスはイスラム武装集団の中の議会闘争部門といったところですが、AKPの場合は必ずしもそのようなものではなく、あくまでも所属議員や党員にイスラム色が強い者が多いと言う意味でのイスラム系政党になります。かつては比較的イスラム色の強い政策を打ち出しており、「トルコをイスラム国家に戻す気か」と警戒されていたものでしたが、最近では比較的穏健な方向で政権運営を行っており、かつてに比べるとイスラム色は薄れています。

 AKPは刑法改正で「姦通罪」の復活を目指したものの廃案になっています。これは、AKPの所属議員には「複数の妻がいる」方がおられるそうで、「姦通罪」を作ってしまうとこうした議員がめでたく「姦通罪」で処罰されることになるため、結局廃案になってしまった(はせざるを得なかった?)という笑えない話もあります。トルコではイスラム法ではなく西欧近代法が民事系でも適用されており、一夫一婦制になっていますので、いくら「イスラム法」上は合法な結婚で複数の妻と結婚していたとしても、それは認められないわけです。

 理念型政党が野党から与党になるような場合、経験不足から経済政策で失敗するというケースが日本をはじめまま見受けられますが、現在のトルコは経済状況が悪くないこともありますから、AKPが国民から経済運営に関して一定の評価を得ていると考えられます。

 現在のトルコはAKPと、HCP(共和人民党)との二大政党制で、イスラム色の強いAKPに対して、ムスタファ・ケマル・アタチュルク大統領以来の衣鉢を受け継ぐHCPが世俗主義派を代表する構図でしたが、最近では必ずしも争点が「世俗主義対イスラム回帰」にはなっていないようで、穏当なところに落ち着きつつあると言えます。ただし、教育政策や外交・安全保障政策が争点になるようになればいいかというと、簡単ではありません。

 例えば、学校現場でのスカーフ着用を認めるか否かは教育政策であると同時に宗教問題になるためです。外交・安全保障においても従来のNATOの一国として西側諸国に留まり更にEU加盟を目指していく「脱亜入欧」路線を維持して行くのか、周辺のイスラム諸国との関係を強化して行くのかによって、これまた宗教政策との関連があるわけです。

 AKP政権はEU加盟を目指す姿勢を崩さない一方、欧米諸国とイスラム諸国の仲介役としての存在感を強めており、こうした点において上手いバランスが取れています。問題は、EUの側が常にトルコが加盟を求める度にハードルを引き上げると言う手で加盟を事実上阻止してきていることで、こうしたEUの姿勢に対する「失望」もトルコの外交を「多角化」させている原因のひとつではありましょう。もっとも、現在のトルコ外交の多角化は成功していると言えます。

 いずれにせよ、AKPが326議席を獲得したと言う事は、トルコ国民がAKPに引き続き支持を与えたと言えますが、それはイスラム色に対する支持とイコールではありません。引き続き、AKPが現在の穏健路線を歩んでいく限り、トルコの土台を揺るがすような問題には発展しないように思われます。

 ただし、AKPが国会の多数に安住し、或いは多数を与えられたことで2005年選挙後の自民党や2009年選挙後の民主党のような態度を取るようにならないという保証はありません。実際、世俗派を中心として、AKP多数をもってイスラム国家回帰につながるような政策特に憲法改正を行うのではないかと危惧されてきました。この点において、AKPは国会の過半数を獲得したものの、単独で憲法を改正できる367議席どころか改正案を国民投票にかけるために必要な330議席にも届かなかったのですから、一定のバランスが取られたと言えます。

 世俗主義を掲げるHCPは前回選挙の112議席(得票率20.88パーセント)を上回る135議席(得票率25.94パーセント)の議席を獲得しており、AKPがイスラム色を強めていく可能性を危惧する勢力が相当数存在することを証明しています。

 現在のトルコのある地域を領土とする国家は、この二千年ばかりの間、常に「文明の十字路」に位置し、「文明の懸け橋」としての役割を果たしてきました。恐らく、今後もその役割が変わることはないでしょう。むしろ、トルコはその地の利を生かして、積極的に懸け橋となることを志向しているように思われます。

 日本としては、明治以来トルコとは長い友好の歴史があります。ともに近代化に苦しんだアジアの国家であり、西欧化を成し遂げて自由と民主の保障されている数少ないアジアの国でもある。台湾と並ぶ親日国でもあり、あまり知られていませんが、「先進国クラブ」と言われるOECDにおいてトルコは原加盟国であり、日本の加盟を後押したという歴史もあります。エルトゥールル号事件以来の感傷的なものを別にしても、産油国の多い中東の安定を考える上で、我が国としてはトルコとの関係を重視していく必要があります。

2011年6月13日 (月)

ハラスメント防止に関する取組の重要性

 厚生労働省に寄せられたセクハラの苦情相談は10万件を超えています。しかし、これが労働災害として認められる可能性は非常に低く、加害者に対する刑事罰と言うのは更に少ないのが現状です。

 現在、セクハラは従来からの男性から女性に対するものだけでなく、女性から男性に対してのものも、また同性同士のものも該当すると定義されています。また、ハラスメント(嫌がらせ)は、必ずしもセクシャル(性的)なものに留まりません。職場内でのいじめや嫌がらせは、それが性的なものでなかったとしても、当然ハラスメントとして民事罰の対象になり得ます。

 問題は、民事罰を加える場合は原則的に訴訟を提起しなければならないこと(都道府県労働局でのあっせんなどの非訴訟の手続きもありますが、制度そのものがあまり知られていません)、立証が非常に難しく、更に組織を訴える以上はその組織に居続けることは断念せざるを得なくなる。被害者にとっては非常にハードルが高いのです。

 にもかかわらず、ハラスメントの加害者や「見て見ぬふり」をしていた周辺者の危機意識は残念ながら意外なほど低いのが現状です。私も何度

 「セクハラなんか被害者の妄想だ」

 とか

 「あまりセクハラを厳しくするな」

 という声を聞いたか分かりません。

 加害妄想になる必要はありませんが、特に地位や権力を持っている者は、ハラスメントをしているかどうか我が身を省みることが必要でしょう。

 なお、実例は少ないものの、下から上へのハラスメントということもまたあり得ますので、地位も権力もない下っ端だからと言って、これまた自覚を欠くことは許されないのです。

 従来の封建的或いはムラ社会的体質の組織では、ハラスメントは甘受すべきものとして問題が存在することすら自覚されてきませんでした。そして、今なおそのような認識の者が経営者労働者ともに非常に目立つ。しかし、彼らが

 「固いことを言うな」

 と拒否したとしても、公共機関と専門職は、その意に反してでもこれを救わなければならないのではないかと考えます。大火傷を負ってからでは遅いのです。

2011年6月11日 (土)

東日本大震災から三箇月

 犠牲者のご冥福と、被災者被災地の復興を衷心よりお祈り申し上げます。

 まだまだ復興はその端緒に辿りついたかどうかというところでしょう。辛抱強く、被災者と被災地を支えていくことが必要であるように思われます。

 同時に「非常事態」が続いているとは言え、被災地外ではできるだけ「非常事態」ではないような日常生活を営むことも大切です。非常事態による自粛を避けなければ経済が確実に停滞してしまうからです。そうなれば、「経済弱者」と化している被災地や被災者は、更に塗炭の苦しみの中に追いやられていくことになるでありましょう。

 また、自粛で気を付けなければならないのは、経済面だけではない。言論の面でも同じです。非常事態を理由とした言論の自粛は、人類の歴史の中で過去に何度も起こり、そのもたらした結果に思いを致す時私は言論も自粛すべきではないと考えます。震災の復興はできるが、一度失われた自由と民主は下手をすると永遠に市民の手には戻ってこない。強力な指導力を持つ指導者や政権は必要ですが、そこにばかり目を向けていると、とんでもないことになります。

AKB48総選挙に思う

 商売の手法に関しては色々と意見があるにせよ、総選挙という方式に関しては注目を集めるという点でなかなか上手い方法と言えましょう。ここ数日間色々と報道されたので、ニュース等を観ていれば嫌でも耳に飛び込んできます。

 一人一票を行使することが大原則である選挙というよりは、権利行使の方式としてむしろ株主総会の投票に近いように思われますが、ともかくも「大丈夫だろう」と思われていた候補者が意外に得票で振るわなかったり、前回の雪辱を果たそうとする人が票を集めたりしていたところは、公職の選挙と左程違いはなかったように思われます。心理学の範疇に入ってしまうところでしょうが、心理が投票行動に与える影響はそれなりに興味深いものがあります。

 私は昨年まで「AKB48」を兵器の略称だと思っていたくらいで(旧ソ連製の自動小銃にAK47というものがあります)、残念ながら全く関心がありませんでした。今回「総選挙」だと騒がれたことで、多少ウィキペディア等で調べてみましたが、AKBの他にSKE等があり、「総選挙」の「候補者」は150人程度になったようです。一覧になると、もう誰が誰だか分かりません。これは、一般市区町村議会議員選挙でも同じ事が言えそうです。先の長久手町議会議員選挙の場合は27人が立候補しましたが、無関心な人にとっては誰が誰だかよく分からないと言われるのも無理はない。そうした中において「とにかく目立つ」というのは戦術としては相応の説得力を持つと言えます。いいか悪いかは別にして。

 「総選挙」の投票用紙がどのようなものだったのかは分からないのですが、日本の普通の選挙で使われるのと同じ「自書式」のものであったとすれば、疑問票が相当出ると思うのですが、誰がどのように有効票無効票を決めたのか、全くの人ごとながら、気になるところです。

2011年6月10日 (金)

「マキアヴェッリ語録」より

             ファイル:Santi di Tito - Niccolo Machiavelli's portrait.jpg

 武装せる予言者は、みな勝利を収め、非武装のままの予言者は、みな滅びる。

 なぜなら、民衆の気分は変わりやすく、言葉での説得では従いてこさせることができなくなったときは、力でもってそれをさせる必要があるからだ。

                    『君主論』(1516年)より 
  
                    ニコロ・マキアヴェッリ(1469年5月3日~1527年6月21日)
 
 

 500年も前に書かれた「君主論」ですが、今なお実践的な政治のテキストとしては生きていると言えます。現実の「武装」をしているかは別にして、力のない立場で何を言っても仕方がない(言うことすら僭越だと言う指摘すらある)というのは、現代にも通じる事です。

 マキアヴェッリ自身が失脚して発言権を失い、今で言うところのひきこもりの状態の時に書かれたものであるだけに、特に引用したこの一文はマキアヴェッリ自身のことを言っているのではないかと思えてなりません。実際、マキアヴェッリの提言は全く実現されることなく、何一つ実績を残せず、政治を志した人生から言えば失敗だったと言われているくらいだからです。

 しかし、その失敗から生み出された論文が、実践的な政治のテキストとなり、近代政治学の基礎ともなったわけですから、歴史的に見ればその失敗は有益だったとも言えるのですが。

2011年6月 9日 (木)

教職大学院は本当に必要か

 教員免許を取得した者が学校の先生すなわち教員になるのに絶対に必要なことは何でしょうか。教え方がうまいことではありません。人格が優れている事でもない。子供が好きである事でもありません。それらの能力や資質はあるに越したことはないのですが、重要なのは教員採用試験に合格できるかと言う事です。
 採用試験のハードルは高い。教員採用試験対策を十分に行っておかなければ、採用されるのは非常に難しい。他の公務員試験と変わるところはなく、まずは試験に合格できるかどうかということになります。
 新司法試験のように、専門職大学院修了を受験のための要件にするのであれば、嫌でも教員を目指す者は大学院に進まなければならなくなる。教育内容が有意義なのかはともかくとして、少なくとも大学院の存在意義を示すことはできます。しかし、現在の教職大学院はそうした意味での存在意義すらない。教職大学院に進んでも、採用試験に合格できなければ何の意味もなく、採用試験は大学院修了者が優遇されるわけでもありません。
 「質」を問われる時、最近は兎角に大学院を作ろうとする傾向にあります。法曹しかり、会計士しかりです。しかし、専門職大学院はいずれも試験に合格しなければそこで学んだことを生かすチャンスはありません。結局、試験に合格することが至上命題となれば、結局のところ質の向上など二の次ということになってしまいます。
 教職大学院は既に失敗していると言わざるを得ません。早急に手を引くことを考えるべきではないでしょうか。教職大学院に固執しても、教員の質の向上にはつながらず、子供たちのためにもならない。結局のところ、教育資源と税金の無駄遣いになってしまいます。むしろ、教員の負担を軽減し現場で働きながら資質を向上させる方策を講じていくべきではないかと考えます。

2011年6月 7日 (火)

レームダック政権

 紆余曲折がありましたが、菅総理の退陣はほぼ既定路線になりました。いつ辞めるのか、後継の政権の枠組みはどうなるのか、大連立も含めて色々な動きがあるようです。

 辞めることが確定した政権が、最早国民に対して説得力を持たなくなるのは、日本ばかりの話ではありません。韓国では現行憲法で大統領の再選が認められていないため(長期独裁政権となった李承晩や朴正煕大統領の反省があるそうです)、政権末期にはほぼ確実にレームダック状態になっています。アメリカでは一期目の終わりはともかくとして、二期目の終わりにはレームダック状態になり、政府高官の辞職・天下りが多発する事態になります。アメリカの連邦上院下院はともに解散がない上、選挙と議員の就任の間には時間があるため、選挙後新たな議員が就任するまでの間、議会も事実上の休眠状態になる。「辞めていく人に用はない」というのが人間心理なのかも知れません。

 任期が区切られている大統領制の場合、任期切れの日が決まっています。そこで新大統領が就任し、レームダック状態は終わるわけです。しかし、制度上菅総理の任期は次の衆議院解散総選挙後の特別国会まで残っているわけですから、明確に「いつ辞める」と言わない限り、レームダック政権が終わる見通しが立たない。

 辞める日を明確にせずに、引き延ばすと言う手口は、「政権維持」「一日も長く居座る」という点だけから見れば戦術として妥当なのかも知れません。しかし、重要な政策決定をさせるのは非常に不安ですし、そうした政権の声に国民は耳を貸さなくなるように思われます。

2011年6月 5日 (日)

ダニエル・イノウエ上院仮議長来日

                  

 菅総理は3日夕、日系のダニエル・イノウエ米上院歳出委員長と首相官邸で会談しました。総理は普天間移設に努力するくらいの事は言ったようですが、イノウエ議員としてはさぞ情けない限りでしょう。

 イノウエ議員は上院仮議長というポストにあり、これは大統領継承順位では副大統領、下院議長に次ぐ順位にあります。儀礼的なポストとはいえ、日系人がここまでのランクに昇ったのははじめてのことです。

 イノウエ議員自身がアメリカにおける日系人の地位向上の生き証人のような人物です。日系二世として産まれ、第二次世界大戦に出征して赫赫たる武勲を挙げました。その代償として右手を失い、当初目指していた医師への道は断念せざるを得なかったそうです。

 第二次世界大戦中にイノウエ議員の所属した第442戦闘団は日系人で組織された部隊で、ヨーロッパ戦線に投入されて連合軍の勝利に大きく貢献しました。部隊として、最も多くの勲章を授与されており、イノウエ議員もアメリカ最高位の議会名誉勲章を受章しています。

 太平洋戦争勃発とともに日系人は敵国人扱いされ、多くが収容所に送られました。そのような中で、祖国であるアメリカに忠誠を宣誓した日系人たちは「日本人として恥ずかしくないよう立派に御奉公せよ」と送り出され、多くの犠牲を出しながらも奮戦し、442戦闘団は「ファシズムと人種差別の双方と戦い勝利した」とトルーマン大統領をして言わしめた。

 そのような経歴の持ち主の目には、決断力がなく、レームダック状態に陥ってもなお政権にしがみついしている菅総理はどう映っているのでしょうか。「祖先の国が情けない状態に陥っている」と思われなければよいのですが・・・

2011年6月 4日 (土)

64天安門事件22周年

                    トウ小平

 民主化を求める学生運動を中国共産党が銃と戦車で弾圧してから22年になります。この時期、「中国」を名乗る独裁国家台湾でも民主化運動が高まっていましたが、それから22年が経ってみると、両岸はあまりにも対称的な道を歩むことになりました。

 22年前の経済状態は台湾の方が1970年代に高度成長を迎えた事もあってはるかに上でした。そうした点では、中国の指導者が「民主化よりメシだ」という考え方をもって「弾圧」に及んだ一定程度の正当化は可能です。しかし、当初から「共産党の一党独裁を維持するためだ」と言われ続けてきました。22年が経ってみると、民主化運動の弾圧の目的は、成長期を確保するための秩序維持のためというよりは、共産党の一党独裁を維持するためだったという意味合いが強かったのではないかと言えます。

 中国は世界第二位の経済大国になりました。オリンピックも万博も開催した。発展途上国に多くの援助も行っています。そうした実績を後ろ盾に、先進国扱いされることを要求している。にもかかわらず、中国は相変わらず共産党の一党独裁を変えようとはしていません。むしろ、こうした成長を「共産党の実績」であるとして、独裁体制の維持を正当化すらしている。そして、その陰で多くの人権弾圧を続けています。また、尖閣諸島や南沙諸島など、周辺諸国の領土を「実力」をもって実効支配下に置こうとしている。これもまた、外に敵を設定してその敵と戦い抜くために「共産党の強力な指導」が必要だと、独裁政権を正当化する根拠にされることでしょう。

 22年前の台湾は、確かに独裁国家ではありました。しかし、地方議会や首長は自由選挙で選ばれており、国会議員も大半は大陸で選出された「万年議員」であったにしても、台湾を中心とする「自由地区」では選挙が行われていました。政党は国民党とその衛星政党しか認められていなかったにしても、相当数が無所属で当選しており、「党外」と呼ばれた後の民主進歩党の萌芽もあった。これに対して今の中国では、そのような「段階的な民主化」すら行われる気配がありません。

 中国の民主化は、仮に中国の指導者がそれを決意したとしても、まだまだ時間がかかるのではないかと思います。しかし、民主化を進めなければ、中国が大国として国際社会で発言力を高めていくことに不信感を示す国は増えていくことでしょう。

 それでも、ヨーロッパ諸国は中国を「ビジネスの相手」と見ていればいいわけですが、日本や韓国は直接的な圧迫を受けることになりますから、事態は深刻です。

2011年6月 3日 (金)

ウソつき

                  川島正次郎

 要は勝つこと。負けた後に文句を言っても何の解決策にもなりませんよ

                        川島正次郎(1890年7月10日~1970年11月9日)

 「政治家の権力欲」というものを、まざまざと見せつけられました。よくここまで平気でウソをつけるものだと思います。

 まずは菅総理。正午過ぎの民主党代議士会では「退陣表明」したものの、その時期については年明けとも言われ、続いて「別に退陣時期は明言していない」と事実上撤回。加えて、12月まで国会を延長すると言いだしました。内閣不信任決議案も含めて議案はひとつの会期ごとに1回しか提出できないことになっているので、今の国会を延長し続ければ、不信任決議案を再提出されることはないわけです。

 次にローカルな話になりますが、名古屋市議会の減税日本の則竹議員団長。費用弁償を受け取らない・受け取っていないことを政治活動の主な目的にしておきながら、財産状況が苦しい事を理由としてひそかに受け取り、受け取った事が判明しないように隠ぺい工作までしていた事実が明らかになりました。それでも、「恩返し」のために議員は続けられるそうです。

 嘆かわしい話です。有権者が嘆くのは簡単です。

 しかし、こういう人を選んだのは有権者です。そして、「ウソをつくくらいなら辞めてもいい」「ウソをつくくらいなら落選した方がいい」と支援者がきちんと政治家に言えるのかどうかも大きいと思います。支援に一使用懸命になるあまり「多少手を汚しても当選しろ」というケースの方が多いのではないでしょうか。そう考えていくと、今回のような「不明朗な話」は実は不明朗でもなんでもないと言う事になります。「勝つこと」「権力を維持すること」が目的であると考えれば、彼らは「原理原則」に従って行動しているだけなのですから。

 「ウソも方便」とは言いますが、その「目的」が問題です。単なる権力維持のための「ウソ」はとても正当な目的のあるウソとは思えません。

2011年6月 1日 (水)

震災の政治利用対決

 衆議院に内閣不信任決議案が提出され、民主党内からも相当数賛成が出るのではないかと報道されています。

 確かに、菅内閣の震災対応も含めた一連の動きは余り評価できるものではありません。菅内閣を支持するかどうかと聴かれたら、私も支持しないと応えざるを得ない。特に、現地対策本部長が入院しながらそれを隠し、10日余に渡り責任者不在の状態にしてしまったことは、まことに失態と言わざるを得ません。政治家もスーパーマンではないのですから、体調も崩すでしょうし入院もするでしょう。それは仕方がない。ただちに後任か代行者を任命すべきでした。それをせずに、隠し続けていたと言うのは、国民に対する背信行為と言わざるを得ない。

 ただ、現状で解散をすべきかというと、少なくとも被災地を中心に広範囲に渡って選挙が執行できないと思われます。非常事態は続いているのですから、ここで解散と言うのは率直に言って国益を害すると思いますが、一方で総理の解散権は何らの制約もありません。不信任案が可決されないまま解散したとしても、国法上は合法です。反政府勢力は、総理が解散できないことを前提にして、揺さぶりをかけているわけです。解散となった場合でも、自民党としては政権奪還の絶好の機会です。

 政府勢力は震災を利用して政権延命を図り、反政府勢力は震災を利用して政権転覆を謀っている。ともに正義を振りかざしていますが、震災の政治利用という面では共通しています。二大政党制というのは、基本的に「自分の得点は相手の失点、相手の失点は自分の得点」というシステムです。これが大前提になっている以上、この事態は制度上避けられないものであると言わざるを得ません。

 確かに、アメリカやイギリスやドイツは挙国連立政権を作った事があります。ですが、アメリカの場合は大統領は議会とは無関係に選出され、当選後は政党をある意味では超越した存在として行政権を行使する。反対党からの入閣も戦時下でなくとも伝統的に多くの例が見られます。また、イギリスやドイツの場合は日本と同じ議院内閣制ですが、制度と慣行である程度「議席が固まり、相応に当選しやすい」ため、日本ほど議席確保にコストをかけずに済んでいる。こうした点は見逃せません。

 日本は議院内閣制の上、議席確保にかなりのコストがかかる制度を選択してしまっています。国民の多数意見が「政権交代可能な制度にして、政治家は血を流せ、議員定数を減らせ」であり、現行の制度でかつ議員定数を減らしていくことは民意に沿っていると考えられますが、それがかかる混乱を招いていると言えます。

 政府勢力にしても反政府勢力にしても、政治抗争であり負ければ政治生命を失いかねないですから、引くことはできないでしょう。残念です。

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