« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月27日 (日)

「政党法」の必要性

 株式会社も社団法人も法律によって組織に関して一定の制約を受けるシステムになっている。その制約が機能しているのかは論議のあるところではあるが、ともかくも会社法や一般社団法人・財団法人法を読めば、どのような組織が想定されているかはある程度分かる。もちろん、会社を作らなくても事業は可能だし、社団法人の法人格を取得しなくとも人の集まりを作ることについて基本的に制約はない。これらの法律が「結社の自由」や「営業の自由」を侵害している云々という人にはまだ会ったことがない。
 ところが、政党に規制をかけようとすると、あちこちから「結社の自由」とか「政治活動の自由」を理由とする反対の声が起きる。一方で、政党は単なる私的団体とは言えない。憲法学では我が国の議会制民主主義が政党政治を前提としていることは一般的な見解である。実際、比例代表区には政党に所属していないと立候補すらできないし、衆議院小選挙区も政党の候補者とそうでない候補者には選挙活動について大きな格差があらかじめ設定されているので、これも政党所属を前提とした制度ということができる。参議院地方区や地方議会議員は衆議院ほど政党所属を前提とはしていない制度ではあるが、無所属で参議院や都道府県議会、政令指定都市市議会の選挙を勝つことは難しい。何より、日常の政治活動で「政党」名目で行う事ができるというのは、政治献金云々を別にしても意外に大きいのである。また、政党助成金の名目で公的資金が政党に注ぎ込まれている。ここまで優遇されていて、それで「私的団体だから規制を受けたくない」と言うのは傲慢身勝手と言うものだろう。
 政党内の民主的規律や、候補者選定の透明性は必要だ。政党助成金を支出するならば、少なくとも政党法で一定の要件を満たすことを前提にすることは政党の透明化に資するだろう。もちろん、透明化したくない政党はそれでもかまわないが、助成金の交付で差異を付けることも許されるのではないか。
 最近、「みんなの党」が政党法の制定を提唱している。この党が本気で透明化したいのかは不明である。改革派を気取るポーズかも知れない。私はみんなの党が掲げる新自由主義路線には懐疑的であるし、90年代以降新自由主義派が改革派を気取って横暴な事をしてきたことが日本国民を窮地に追い込んでいるとすら思っている。しかし、政党法というアイデアは一考に値すると言えよう。

2011年2月26日 (土)

祝・ご結婚

 今日は小中学時代の同級生の結婚式の二次会に出席させていただきました。幸せそうな新郎新婦の表情を拝見していますと、私の方も何となく幸福な気分にしていただきました。この場をお借りして、改めて祝福させていただきます。
 さて、新郎新婦は職場結婚で、職場の旅行会で親しくなり、交際を重ねて結婚されたそうです。かつては、こうした新郎新婦の出会いは左程珍しいことではありませんでしたが、現在は少なくなっていると言われています。それと同時に、結婚できない若者が激増している。これは無関係ではありません。この問題について考えてみましょう。

 親しくなったのは職場の旅行会ということでしたが、かつて男女を結び付けたこうした職場内でのイベントは減っています。これには、いくつかの原因があります。まず、企業側に体力がなくなってきたということがある。こうした職場内のイベントは大なり小なり企業側が必要経費を支出していたものですが、経費節減と言う事でそうしたことができなくなりました。住宅手当や通勤手当すら削減の対象にされるご時世です。
 次に、職場内のイベントが半強制のようなものになっていた場合、そこでの事故やハラスメントを使用者責任として認める裁判所の判決が出るようになりました。上司が若い女子社員に対してお酌を強要するのが典型事例ですが、経営者側にとって、リスクを抱え込むことになってしまったわけです。
 また、労働者側の趣味や趣向が多様化するに従って、職場内のイベントを楽しんでいるのは一部の労働者だけになり(特に年長者や上司)、それ以外の労働者にとっては「苦痛」「付き合いで仕方がなく」参加するものになってしまいました。
 こうした帰結として、職場内イベントは減っているわけです。これが同時に、職場内での交際のきっかけをも失わせることになっていきました。

 続いて、職場結婚の前提となる職場恋愛について考えてみましょう。
 実は、セクハラとして申し立てられるケースには、加害者とされる側が恋愛だと思い込んでいたり、中には端緒は双方とも恋愛だと思っていたということが多いのです。かつては、多少の性的嫌がらせは特に女子社員は甘受すべきだと言われていたものですが、最近はそう甘くありません。ついでに言えば、セクハラは典型的にイメージされる「年上の男性上司が年下の女性部下に対して行う」という図式のみではなくなりました。その逆もあれば、同性同士ということもある。部下から上司に対してなされるケースすらあります。
 セクハラを防止する方法として、職場内での恋愛を抑制するというのは、経営者側としてはセクハラ対策として取り得る選択肢のひとつであることは間違いありません。労働者側も、いつ被害者になったり加害者になったりするか分からないとなれば、慎重にならざるを得ないでしょう。さすがに職場恋愛をすることを職務専念義務違反として懲戒処分の対象にするという就業規則は聞いた事がありませんが、セクハラの抑制や仕事の効率化を追求していけば、そのようなことになる可能性も全くないとは言い切れません。
 
 職場結婚のメリットとしては、かつては男性正社員の働きぶりや出世の可能性などを女子社員が吟味して結婚できるということがありました。言うまでもなく、現在は男女ともに雇用の非正規化が進んでいます。女性はともかく男性の非正規労働者は恋愛や結婚の相手として対象外にされがちですし、そうした男性の側は異性に対して消極的な行動を取りがちです。周囲から負け組扱いされていれば、そのような心境にもなりましょう。また、優しい男性の場合、自分と結婚などしてしまったら相手が不幸になると考えていることも多い。
 また、非正規労働者はもとより正規雇用の労働者にしても、昇給やベースアップの機会がなく、賃金が抑制されるとともに、家族手当を含む各種手当も削減される傾向にあります。家庭を持つことによるメリットは少なくなる一方、デメリットが際立つようになってしまいました。

 一方、「男女共同参画」の掛け声の下、女性の就労は増加傾向にあります。しかし、女性の場合は男性以上に二極化が進んでおり、フルタイムの長時間労働を求められる正規雇用の労働者と、低賃金の非正規労働者の格差は開いている。また、育児休業や育児中の時短など、一見すると制度は整えられているように見えますが、実際に利用できないケースが珍しくありません。ワーク・ライフ・バランスというのも、掛け声だけになっている感があります。経営者側としてはあまり不利益な事はしたくないわけですし、罰則などがないか、あっても緩いかそもそも適用される事がほとんどないことが、それに拍車をかけています。
 
 私は、非婚・少子化対策としては、新たな制度を導入する以前に、現在制度として存在しているものを実効性あるものにすることこそ、まず先決だと考えています。いくら実効性のほとんどない新しい制度を作っても、それで現状が変わるわけではありませんし、制度が複雑になる分利用もし難い。そして、制度を作った事で行政府も立法府も自己満足に陥る。この負のスパイラルを変える必要があります。
 ただし、企業に負担を求める事は国際競争力を低下させるので労働者側が負担不利益を甘受すべしという、所謂「親亀あっての子亀」という主張も根強いものがありますので、変えていくのはそう簡単ではありませんし、時間もかかるでしょう。

 かかる現状のもとでは、少なくとも我々の親の世代では当たり前にできたことができなくなり、結婚生活は従前以上に大変な事が多くなっていくものと思います。
 新郎新婦のご健闘を願ってやみません。
 そうした現状を変えていくことが、私に課せられた仕事であるという思いを新たにした一日でした。

2011年2月25日 (金)

移民受け入れで滅ぶ地域社会と日本

 民主党にも自民党にも移民受け入れに賛成しているグループがいる。これで経団連が本格的に移民解禁を要求し始めたら、段階的に実現する可能性は極めて高いのではないか。
 財界としては、安く労働者を使えるのだから悪い話ではない。しかし、その移民受け入れについての負担は多くの場合地元自治体が負う事になる。移民は使い捨てが前提になっているのが普通(企業の負担で手厚い保護がされるのなら、企業としてはそもそも移民を入れるメリットはない)だが、職を失ったからと言ってただちに送還すると言うわけにはいかない。結局、生活保護等で自治体が面倒を見ることになる。
 日本語の能力が低かったり、日本文化への理解がない者に対しては、これまた自治体が負担して教育しなければならなくなる。子供たちの教育についても同様だ。にもかかわらず、「減税」で自治体のできることはどんどん減っていく。河村市長や大村知事は減税をすれば企業が愛知に来てくれて経済が活性化すると言い張っているが、これらの企業がかかる負担をする覚悟があるのかと言えば、ないだろう。負担がないことが誘致のアピールポイントだから、負担などする気は起きないだろうし、河村市長や大村知事が負担させるとは口が裂けても言えまい。
 大手企業の誘致は一見すると聞こえがいいが、その実はインフラを整備しなければならない。例えば上下水道などは、企業の繁忙期の需要をまかなえるようなレベルのものを整備する必要がある。そして、誘致合戦では減税などの企業の負担を求める事はできないから、その分は自治体の負担となる。
 ちなみに、大企業を誘致したからと言ってその地域で「正規雇用」は増えない。正規労働者は転勤によって来たり、去る。工場がある地域だからと言って、企業側に地元住民採用の義務はない。非正規労働者も全国規模で集められるのが普通だから、地元住民は実は非正規労働者となることすら容易ではない。結果、地元に残るのは負担だけだ。既に三重県亀山市など失敗例は山ほどあるのだが、この冷徹な事実に気が付いていない自治体関係者・地方政治家・地元住民は多い。
 こんな状態で移民を受け入れた場合にどうなるかは明白だ。我が国の中に新たなマイノリティー集団が生まれ、職を奪われる既存の日本人との間で感情的な憎しみが生まれる。あとは、フランスやドイツと同じ道を歩むことになるだろう。
 既に大手企業は外国人留学生を積極的に採用している。これは、海外脱出シフトを敷くとともに、日本政府に対して移民受け入れを迫っている姿勢と見てよいと思われるが、安易に受け入れ方向に進まない事を希望したい。

2011年2月24日 (木)

政府専用機は本当に不要なのか

 政府は政府専用機の引退を決めました。同型機を保有する日本航空に整備を委託していたのですが、日本航空が経営再建のため同型機を引退させることになり、今後整備を委託する事が出来なくなるためです。
 政府専用機はアメリカのいわゆる「エアフォース・ワン」ほどではありませんが、相応の通信手段を備えています。一方で、内閣総理大臣の専用機というわけでもないので、天皇陛下が利用される場合はそちらが優先されるのだそうです。
 政府首脳が場所から場所を移動するだけならチャーター機や定期便を使用してもさしたる支障はないでしょう。しかし、突発的な事態が生じたときに、ただちにチャーター機を飛ばせるのでしょうか。仮に日本政府が「金は出す」と言っても、航空会社が拒否した場合はどうするのか。実際、イラン・イラク戦争等過去の国際紛争では、日本国民救出のためにチャーター機を飛ばそうとしましたが、組合も反対し結局は飛ばせなかったというのは有名な話です。
 政府与党は自由競争が大好きですから、将来的には国際競争に敗れて日本航空も全日空も消滅したり、或いは他国に拠点を移してしまうかもしれない。そうなったとき、自国の大手の航空会社がなくなることになりますが、他国の会社に要人移動だけでなく、危急の際のフライトも本当に任せてしまって大丈夫なのでしょうか。国によっては有事の際に民間の航空機や船舶を徴発できる制度を持っており、例えばイギリスはフォークランド紛争の際にクイーン・エリザベス2世号まで徴発して軍の指揮下に編入して人員や物資の輸送にあたらせ、そうしたことがフォークランド諸島奪回の原動力となったと言われています。しかし、我が国にはそうした制度はない。
 更に、チャーター機や定期便として運行される機体から、搭乗した政府首脳が緊急時に指揮命令が行えるのでしょうか。仮にヨーロッパへフライトする場合、十数時間かかります。その間は指揮不能ということになるのではないでしょうか。首相がフライト中は、首相職務代理者にでも全権限を委ねておける制度なら話は分かりますが、日本はそのような制度を採用してはいません。
 コストは重要ですが、その反面で危機管理に対する能力が低下することになる。これは無視できません。今までそのような事態にならなかったのは、単に幸運だったからと言うべきでしょう。無論、従来の政府専用機は中途半端の感が否めないところが能力上も運用上もありました。むしろ、こうした面を改善し新しい政府専用機を導入して、現在の機体を退役させるならともかくとして、安ければいいという理由で民間機を使うと言う発想には賛成できません。

 なお、長久手町長は現在セルシオに乗っているそうですが、コストと環境の事を考えたらハイブリッド車にしてしまったほうがよいと思います。特別な通信機器を積んでいるわけでもないのですから、これはすぐにでもできるでしょう。

「長久手市」になるべきか。

 長久手町は23日、「長久手市」として来年1月4日に新市移行することを決めました。昨年10月の国勢調査の町速報値で人口5万2399人となり、市制施行要件の一つである5万人以上を満たしたことによるものです。加藤梅雄町長は前々から市制施行への熱意を持っておられました。町議会6月定例会に議案を提出し、今年11月には国の官報で告示される見込みだそうです。
 もっとも、長久手町が「決めた」と言っても行政府が提案する事を決定したに過ぎません。町議会は今年の4月24日の選挙で全面改選され、新たに選出された議員が6月の定例会で審議し決することになります。現時点では、あくまでも「見込み」ということになります。
 手続きが順調に進めば来年1月に市になる事ができます。市になった場合、リニモ沿線の開発や活性化には資すると考えられます。リニモを活用するためには、名古屋市にリニモと地下鉄で通勤する中所得以上のホワイトカラー層を呼び込む事が重要となりますが、この点で市というブランド力は無視できません。一方で、市になる具体的なメリットが現在の住民なかんずく原住民にはないという意見も根強い上「市になれば議員の給料が上がる」「市になれば議会定数が増える」とか、果ては「市になると市庁舎が建設されて税金が上がる」という根拠不明の理由で批判する声すらあります(いずれも、市になるに際してそんな「義務」は生じません)。「市になるから職員や議員を減らすべきだ」という意見に至っては、もう何の関連性もない暴論と言えましょう。
 いずれにせよ、町民の理解は十分とは言えません。上記のような話があちこちで聞かれるのは正確な情報が不足し、また検討が不足している証左と言えます。また、市制施行のメリット・デメリットに関して、行政側はもっぱらメリットばかりを喧伝しており、デメリットはもっぱら「反町長派」が喧伝していますから、本当に冷静な検討がされたかどうか極めて疑わしい。この点で、議会は行政から一定の距離がある一方、情報は一般住民より入りやすい立場にある筈ですから、多角的な検討をなすことのできる立場にあり、その義務があると思います。

2011年2月23日 (水)

名古屋市営地下鉄と携帯電話

 ソフトバンクの孫正義社長が、名古屋市営地下鉄内でもメールなどの携帯電話を使用できるようにして欲しいと問題提起されています。私は孫氏のやり方や国家観は率直に言って好きではないのですが、今回の問題提起に関しては評価してよいと思います。名古屋市営地下鉄の規制はあまりにも合理性を欠いていると言わざるを得ないからです。
 現在の名古屋市営地下鉄の車両では「電源を切るのが原則」になってしまっています。まともに守っている人はほとんどいないのですが、たまに中日新聞の投稿欄に「電源を切るのがマナーなのに切っていない人がいて不快だ」という投書が載る事があります。
 確かに、地下鉄の車両内で大声で話を続ける者がいれば周囲の迷惑でしょう。しかし、最近はメールやツイッターなど周囲に迷惑をかけない使い方をする比重が高くなっています。地下鉄内での使用を解禁しても、メール機能やインターネット機能であれば、問題はないのではないでしょうか。また、通話しなくても着信履歴が残っていれば後でかけ直せる。しかし、電波そのものがシャットアウトされてしまっていますので、今は「所在不明」になってしまうわけです。
 東京や大阪では会話は控えるよう呼びかけられていますが、電波をジャミングするなどという対応までは取られていません。海外では通話はごく普通に行われており、日本とりわけ名古屋市営地下鉄の規制は異常であると言えます。
 携帯の電波が医療機器を誤作動させると言われているのが一応の「大義名分」になっているようですが、この件については今のところ世界中で一件も実害は報告されていません。もし、携帯電話の電波が有害で、それで飛行機が墜ちるのなら、テロリストが放って置く筈はありませんが、テロリストが携帯電話を使ってテロを画策したと言う話も聞いた事がありません。2001年の911テロの時には、乗客が機内から携帯電話を使って当局への通報や家族への別れをしていますが、そのためにジェット機がツインタワーに衝突したと言う事でもないようです。これだけ携帯電話が普及しているにもかかわらず、一件も実害が報告されていないとなると、医療機器の誤作動とか飛行機が堕ちるというのは、もう「都市伝説」と言うしかないのではないでしょうか。
 名古屋市営地下鉄での携帯電波解禁は検討されても良いのではないかと思います。

2011年2月22日 (火)

看護師の質で妥協するな

 日本がインドネシア並びにフィリピンと締結したEPA(経済連携協定Economic Partnership Agreement)に基づき、看護師の受け入れがはじまっていますが、日本語が大きな壁となり、今のところ合格者は3名しか出ていません。厚生労働省は今回の看護師資格試験から日本語能力のレベルを落とし、今後は現在3年である在留期間を延ばすことも検討しています。しかし、私はこのやり方には反対致します。

 看護師の受け入れは国政レベルの話ではあります。しかし、地域社会を見てください。看護師の役割はとても大きいものがあります。病院だけでなく、介護施設でも大勢の看護師が働いています。看護師の質の問題は、地域社会における住民の健康に直結した問題であります。ですから、地方政治を目指す者としても無関心でいるわけにはいかないのです。

 現在の流れである日本語能力を妥協することに私が反対する理由は、第一には医療過誤増加に対する懸念です。確かに、医学には「剖検」や「外科的侵襲」など医療には明治時代にドイツ語から訳された日本人ですら馴染みのない言葉が沢山あります。しかし、どんな業界でも専門用語はあるものです。もし、日本語能力を妥協し、看護師としての能力はあっても日本語能力の低い者に日本で看護師の仕事をさせたらどうなるか。言葉による伝達の際のミスが重大な医療過誤を生じさせる危険性は高いのではないかと思います。   

 医療現場を見ていると、相互で確認しあったりして医療過誤防止に努めているようですが、これは日本語で相当程度専門的な話ができる事が前提であり、言葉が分からない者と相互確認などするのは極めて難しいのではないでしょうか。

 第二に、看護師は感情労働者としての側面が無視できないという点です。医療や介護の労働者は、単に医療や介護の技術を売って金を稼ぐ商売ではありません。技術ももろちん重要ですが、コミュニケーションの能力もまた重要です。私自身が入院した時の事を思い返してみると、医師よりも接する機会の多い看護師がどのような人かで、不安になったり楽になったりしたものです。これを感情労働と呼び、典型的な感情労働者はキャバクラ嬢ですが、看護師も「感情労働者」としての側面を有しているわけです。この点だけ見ても、コミュニケーション能力は大変重要です。日本語のコミュニケーション能力が不足しているということになると、患者とのコミュニケーションが円滑に行われなくなり、患者が不安を感じる事は増えるのではないかと考えられます。

 地域医療や介護の現場で接する相手は圧倒的に高齢者です。発音が不自由になっていたり、方言が多いと、日本人ですら相手が何を言っているのか分かり難い事があります。高齢者本人は穏やかに話しているつもりでも、方言を交えて話していると、激怒しているように聞こえる事もある。それに対応しなければならないのですから、一般人以上の日本語コミュニケーション能力がむしろ必要とすら言えるけです。

 第三に、日本は「看護師不足」ではないということです。確かに、医療現場では看護師不足を嘆く声は珍しくない。しかし、同志社大学大学院の中田喜文教授の調査によれば、看護師の有資格者の半数は看護師として就労していないという結果が出ています。正看護師で就労しているのは有資格者の約6割、准看護師に至っては約4割でしかありません。    

 女性の就労はM字曲線を描くと言われ、結婚して出産する期間は離職することがよく見られます。しかし、有資格者の半数が就労していないということは、これだけでは説明できません。では、何が原因なのか。

 民間病院の看護師の場合ですが、キャリアアップや昇進昇給の制度が未整備である事が挙げられます。つまり、看護師になって現場で仕事を覚え、技術を身に付け、後輩への指導を任され、責任ある仕事をしているのに、昇進や昇給の制度がないため、それほど待遇が向上しないまま負担だけ増えていくと言うのが常態化しています。このため、負担に耐えられなくなったところで離職してしまうと言うわけです。

 外国人看護師を無理して入れるよりも、まずは活用されていない看護師に目を向けるべきではないでしょうか。ブランクがあっても、多少の再教育の機会を設ければ、看護師としての再就職に有効であると言う調査結果も出ています。その上で、看護師をめぐる状態が改善する必要があります。

 もし、改善策を講じなければ、外国人看護師とて日本人看護師と同じ道を歩むことになるでしょう。看護師不足を改善することにはなりません。人口減少社会を迎え、不足分を埋めるため外国人労働者の受け入れは必然であると喧伝されていますが、日本には活用されていない豊富な労働力がまだまだ存在しており(しかも、看護師などは相当高度な教育を受けた専門職と言えます)、外国人を受け入れるよりも先ずは国内労働力の有効活用を考えるべきではないでしょうか。

 経済自由化の中での人的移動は、移民問題と抱き合わせになっているデリケートな問題です。貿易自由化とかグローバリズムで利益を受ける人たちは大勢いるわけですが、一方で負担も増えます。そして、その負担は最終的に地域社会や地方自治体が負うことになります。既に、豊田市では受け入れた外国人労働者の子女を義務教育で教育する際、日本語が分からない者のためにポルトガル語の教員を雇わなければならない事態になっています。

 豊田市で問題になっているのは主に日系ブラジル人ですが、例えばインドネシア人は基本的にはイスラム教徒です。イスラム教徒にも色々ありますが、厳格な人々の中には豚肉などのハラーム食材を料理した器具や盛り付けた皿で食事をすることを許さないと考える者もいます。こうなると、学校給食ひとつを取っても、「特別扱い」が求められる事になる。既に、フランスの一部の自治体ではイスラム教徒からの要求に屈して、学校給食の食材として豚肉を使わなくなっています。住民の側に、そうした負担増に耐える覚悟が共有されているとはとても思えません。

 移民は、一度受け入れてしまったら、追い返すことはできないものです。今回のEPAにおける看護師受け入れは、移民受け入れの第一歩であると言われています。財界は外国人労働者の受け入れを要求していますし、民主党でも自民党でも移民受け入れに賛成している国会議員は多数派ではないにしろ、かなりの数になっています。しかし、その社会的な負担を誰が負担するのかと言えば、結局は地域社会や地方自治体になります。そして、まだ地方にはその覚悟ができているとは思われません。

 外国人労働者の受け入れが国際法上の義務であるわけではありません。どうするかは、完全に国の政策次第です。国の政策次第ですから、受け入れる事も可能です。EPAにおける看護師受け入れは、その第一歩と言われている。しかし、日本政府が地方の負担を無視して外国人労働者の受け入れを推進していると言わざるを得ません。

 また、インドネシアやフィリピンという、決して国民の教育水準が高いとは言えない国の看護師を日本が引っ張ることになりますから、当然これらの国では看護師不足になるでしょう。国費を投じて育てた看護師を日本に引き抜かれるとなれば、いくら「市場主義」や「グローバリズム」を振りかざしたとしても、一般民衆は納得しないのではないでしょうか。まして、日本では看護師は不足しているどころか余っていると言えるでしょう隊にあるのですから、日本は傲慢だと恨みを買いかねません。

 現状において、看護師の質特に日本語能力について妥協することは、日本語や日本文化に無理解な者でも日本は外国人労働者として受け入れると言う一里塚になりかねないものです。仮に百歩譲って看護師が緊急に必要だとしても、質について妥協するということは問題外であると考えます。

2011年2月20日 (日)

調査捕鯨の中止から考える

 シーシェパードという事実上のテロリストが勝利を収めたと言うべきでしょう。これは「日本は脅せば屈する」という誤ったメッセージを国際社会に発信したのと同じ事で、これが先例となり、捕鯨のみならず様々な局面で日本が劣勢に立たされることが予想されます。
 民主党政権は、戦後同盟の基軸としてきた対米関係を最悪なものにする一方、能天気な平和主義を掲げて中国や北朝鮮に融和の姿勢を見せました。結果、周辺諸国は怖い怖いアメリカが日本の為に容易に介入はしてこないと取った。その結果が尖閣諸島沖での事件であり、ロシアの北方領土実効支配の強化です。
 国際法は私たちが一般的に接するような成文法ではありません。基本的には慣習法であり、慣習の積み重ねです。そして、その慣習とは、事実の蓄積に他なりません。「日本が調査捕鯨で引いた」という事実が積み重ねられて行けば、調査捕鯨も「悪」という方向で既成事実化されかねないのです。
 現在の日本政治では、地方制度の問題が注目されています。既成政党と地域政党という争点もあります。しかし、地域政党が既成政党を事実上否定するようなかたちで力を持とうとするのであれば、当然ながら外交や安全保障に対しても一定の見解を示すべきでしょう。残念ながら、地域政党を見ていると国政レベルの既成政党以上に外交や安全保障に関して考えていないのではないかと思われてなりません。こうした地域政党が力を持つということになると、ますます外交や安全保障が置き去りにされていくのではないか。そんな危機感を感じています。
 外交・安全保障は国の専権事項だとよく言われています。国際法上も外交の主体は国家であり、NGOや個人はもとより地方自治体すら権利義務の主体となりません。この点で、昨年愛知県で行われたCOP10で新聞等が「これからは個人の時代」とか「NGOが主体」というようなことを書いていましたが、COP10が外交交渉であるという基本的な部分を全く理解していなかったのではないかと言わざるを得ません。しかしながら、政治力をもって間接的であるにせよ影響力を及ぼすことに思いを致す時、地方であっても外交・安全保障や国際法を知らぬ存ぜぬであってはならないと私は考えます。

2011年2月18日 (金)

「スポーツ庁」は本当に必要か

 民主党政権は「スポーツ庁」なるものを設置しようとしています。スポーツ、日本ではどちらかと言えば「体育」の側面が強いように思われるのですが、従前は健康維持のためのものは厚生労働省の範囲に属し、所謂「体育」の範囲に属するものは文部科学省の範囲に属してきました。こうした従来の行政を一本化すると言うのは合理性があるように見えない事もありません。
 しかし、「メダルを量産したい」という本音が見え隠れしています。オリンピックのメダルが尊いものであることは認めますが、それを得るために中国やかつての社会主義国のように国民の資本投下する意味が果たしてあるのでしょうか。少なくとも、ただちに今の日本に必要とは思えません。中国のように、体育によって国民をカタにはめるつもりでもあれば別ですが。
 そもそも、民主党は従来から公務員を叩き、役所を減らせと主張してこられました。そのために、例えば厚生労働省などは再度分割の話がありましたが曖昧になり、今やパンク状態にあるそうです。あまりにも広い範囲を扱っているのですから仕方がないと言えますが、年金に詳しい大臣が労働法に関してほとんど何も知らないと言うこともありました。アメリカですら福祉関係と労働関係は異なる省庁が置かれているくらいなのですが。厚生省と労働省に再度分割すると言うような話ならば分かります。その必要性も差し迫ったものがあります。そうした現状を放置する一方で、わざわざスポーツ庁を設置するというのは、ダブル・スタンダードではないかと思います。何とかの一つ覚えのように連呼している「ムダな公務員を減らせ」というスローガンとも明らかに矛盾している。
 いつも疑問に感じているところなのですが、どうしてスポーツだけを優遇しなければならないのでしょうか。かつては中学校でも、「男子は運動部にいないと内申書で不利になる」などと言われていたものです。義務教育の授業時間の増加策で、音楽や美術に比べて体育の時間は大幅に増やされている。そして、武道の必修化もはじまります。私は事故が多い事、日本文化や儀礼を身につけさせるためには他の方法がいくらでもあって武道に限定する必要がない事、他の選択肢が用意されていない事などから武道の必修化には反対です。
 スポーツ庁の設置は自民党政権時代から議論がされてきましたが、一方で音楽庁や演劇庁が設置されると言う話は聞いた事がありません。これらは文部科学省や文化庁で対応がされています。スポーツをする権利を擁護するならば、音楽や演劇に親しむ権利もある筈だ。どうしてスポーツだけ「特別扱いする」のでしょうか。選択肢の一つとしてスポーツに親しむ権利を認めるだけならともかく、省庁まで新たに設置して特別扱いする以上、もっと合理的な説明がされるべきです。

2011年2月16日 (水)

エジプト革命に思う

 これはもう動乱ではない。革命である。
 長期政権を誇ったムバラク大統領がついに辞任に追い込まれ、エジプトの政治は新たな段階に入った。それでも、事実上過労死したナセル大統領やイスラム原理主義勢力に暗殺されたサダト大統領ら前任者たちに比べると、何とか天寿を全うできそうなだけマシかも知れない。
 結局、ムバラク前大統領はアメリカや中国に擦り寄って援助を得ることはできたが、もっぱらそれを私腹を肥やすために使ってしまった。エジプトは相変わらず貧困国を脱しきれず、特に一般国民の教育程度は低い。最低限文字が読めなければ労働者として使い物にならないのだが、そうした義務教育すら充実させなかった。
 もろちん、エジプトにも同情すべき点がないわけではない。ナセル中佐のエジプト革命の前も後も、エジプトは中東戦争でイスラエルに負け続けていた。ナセル大統領が心臓発作で急死した後を引き継いだサダト大統領は第四次中東戦争でイスラエルに一矢報いたものの、これ以上戦争状態を続けてもイスラエルを圧倒できないとして、イスラエルを国家として承認しエジプト・イスラエル和平条約を締結した。しかし、これによってアラブ諸国からは裏切り者扱いされ、サダト政権の汚職と腐敗も相俟ってイスラム原理主義勢力に暗殺されることになってしまった。現在もエジプトはイスラエルとは緊張関係にあることに変わりはなく、国内のイスラム原理主義勢力によるテロも度々起きている。こうした状況のもとで大統領職を引き継いだムバラク前大統領にとっては、強権的な統治しか選択肢はなかったのかもしれない。ただ、それを30年続けた結果、晩節を汚すことになってしまった。
 非常事態を利用して権威主義的な独裁体制を敷いていた国は多いが、難しいのはその幕引きである。蒋経国総統から李登輝総統に連なる台湾の無血民主化は、世界的に見て例外的なものであったということを改めて実感させられる。
 今後エジプトはどうなるのか。予測は簡単ではない。
 しかし、今の国際的な経済の流れや、エジプト国内の教育水準から見て、ムバラク大統領が退陣したことで劇的に経済が上向くとは思われない。もともとは経済的不満が爆発して革命に至ったわけだから、国民は失望する。今のエジプトの野党勢力はイスラム原理主義派である。もともとイスラム勢力が持っている貧困層互助機能に加え、国民の教育程度が低いのだから甘い言葉で吊るのはそう難しいことではない。「国民生活が悪いのはイスラムの教えに背いているからだ」と言えば足りる。何しろ、日本でも「構造改革が足りなかったから今の不況になった」と言われて信じ込んでいる国民はまだまだ多いのだ。
 イスラム原理主義勢力が政権を握れば、更に苛酷な人権抑圧が行われることはイランやアフガニスタンの例を見ても容易に予測できる。エジプトをそうした国にしたくなければ、西側諸国としてはエジプトに対する支援が必要だろう。特に、勤勉な労働者を育てることで中産階級を作り、貧困を撲滅するため、近代的な義務教育制度の整備を支援することが必要不可欠と思われる。

2011年2月14日 (月)

ローカル・コミュニティについて考える

 昨今、ローカル・コミュニティの復活が叫ばれていますが、最近はそもそも地域の人たちが「集まる」機会そのものが少なくなっていますから、近所にどんな人が住んでいるのかすら、実はよく知らないと言うことは珍しい事ではありません。
 去る2月3日(節分・春節)に豊善院において、節分の星供養が行われました。かつて豊善院では虫封じなどの行事も行われていたそうですが、近年は廃れていました。昨年、新しい住職が赴任されてから、徐々にかつての祭礼が復活しつつあります。こうした祭礼を行う場合、かつてほどではないでしょうが地域住民が集まり、顔を合わせ、話すことになります。
 ローカル・コミュニティの復活という問題を考えたとき、こうした旧来はコミュニティの核になっていた施設や行事を復活させるというのも一つの選択肢ではないかと思いました。もちろん、原野を切り拓いて作られた新興住宅地にはもともと寺社仏閣もなければ伝統祭礼もありませんし、また住民の宗教も多様化していることを考えるとただちに一般化できるものではありませんが。

2011年2月13日 (日)

地方議会の行政監視機能

 行政(首長)に対して議会が監視する。この役割が十分に果たされているかと問われるといささか疑問である。首長の不祥事は後を絶たず、議会がもう少ししっかり監視していればもっと早期に対処できたと思われる事案も多いからだ。
 しかし、それでは議員が首長に対する監視を強めたらどうなるか。緊張関係が生まれる。と同時に、首長は自分を監視している議員を快くは思うまい。対抗関係にある相手の言い分を冷静に聞く度量を持っている政治家はそもそも多くない。そうすると、議会に対して「説得」するのではなく、強権を発動することで議会を黙らせ、自己中心・好き勝手・やりたい放題の行政をやりたいと考える首長も出てこよう。こうなると、議員が首長に「諫言」するには、相当な覚悟がいることになる。
 では、首長に対して諫言できる議会・議員を住民が望んでいるのかと言うと、どうもそうは言い難い。多くの住民は地方議員に自分達と行政とのパイプ役を望んでいる。その仕事ができなければ地方議員失格だとすら言われる。このため、住民の中には議員が行政に対してチェック機能を果たそうとすること自体を忌避する向きすらある。すなわち、自分達が推している議員が首長に刃向かって、その結果自分達が冷遇されたらどうしてくれるという理屈である。一理はあるが、これでは議員に首長を監視しろと言われてもかなり難しい。監視の任を果たそうとすれば、住民の意向即ち民意に背くことになるからである。一方で、一般論としては「首長を監視すべきだ」と言われる。
 住民が議員に首長を監視してもらいたければ、それに伴う首長の報復は一定程度甘受してもらう必要がある。それができなければ、議員は「有権者の意向に従い」、首長に迎合するかわりに住民の要望を通してもらうということをやらざるを得なくなり、チェック体制が有名無実名になることは避けられそうにない。
 地方議会を立法府と考えるか、行政府に対する監視機関と考えるか、それとも行政府と住民とのパイプ役と考えるか、立場によっても重視するものは変わってこよう。理想的には立法府(ルールを動かすことで行政監視体制を副次的に動かせる)としての機能が重視されるべきだろうが、町を歩くとパイプ役としての機能を求めている有権者が圧倒的に多い。パイプ役を果たそうとすれば、監視の手はどうしても緩めざるを得ない。地方議会のジレンマはこれからも続きそうだ。

 地方自治法を改正して制度そのものを変えるのであれば、議会から行政監視機構を事実上分離し、司法機関類似の行政監視機関に委ねるか、或いは議員定数を削減して別途行政監視を専門とする議員を設けるということなどが考えられる。前者はEU圏を中心にオンブズマンの制度として確立されている。後者は中華民国(台湾)の五権憲法(行政・立法・司法・監察・考試)において、監察委員を立法委員や国民大会代表と並ぶ「民意代表」として選挙で選出していたことがある。
 「地域主権」や「道州制」という言葉が乱れ飛び、地方自治制度そのものの見直しの声がある中で、制度設計については従来の枠組みに捉われず柔軟な検討がされてよい。(もっとも今の流れでは、首長のみを民選として地方議会は経費削減名目で廃止し、ボランティアの「参事会員」を置いてパイプ役をさせるという案が支持を集めそうではある)

愛知ポップカルチャーフェスタinモリコロパーク

 私は漫画やアニメが好きです。さすがに痛車やコスプレ衣装は持っていませんが、「ラブひな」や「魔法先生ネギま!」や「フルーツバスケット」は台湾中文版やアメリカ英語版も持っており、海外に出ると書店に行くのを楽しみにしています。
 今回のイベントではコスプレ(アニメやゲームに登場するキャラクターの仮装をすること)、痛車(車にキャラクターの絵を描いた「痛い車」の略)の展示の他、ゲーム「アイドルマスター」に出演している声優イベントも行われていました。ポップカルチャーやサブカルチャーの楽しみ方は幅広いものがあります。例えば、漫画からキャラクターのコスプレに行ったり、キャラクターを演じている声優が単なる声の出演という範囲を超えてアーチストとしても魅力的であったりするのはその一例でしょう。ちなみに私の場合、「ラブひな」を読み始めてからその台湾版を手に入れ、それを中国語に訳している柳生十兵衞さん(台湾人の方です)と親しくなって柳生十兵衞さんが訳している他の漫画を読んだり(例えば「さよなら絶望先生」)、ヒロインの成瀬川なる役を演じた堀江由衣さんのファンになって他の出演作品を観たりライブを鑑賞したりしています。
 愛好家という視点から離れてみても、モリコロパークやリニモの活性化について、こうしたイベントを行っていくことはひとつの選択肢であるように思います。
 集客力について考えると、どんな人を呼ぶかとか、その作品の人気にもよるのでしょうが、オタクの間で人気のある作品であればかなりのものがあるようです。私は出演された声優の浅倉杏美さんのデビュー以来のファンなのですが(ただし、アイドルマスターはやったことがありません)、イベント会場となっていた国際児童記念館に行ってみたら既に整理券配布は終了していました。国際児童記念館は万博の開催前からある施設で、中学時代は吹奏楽部のコンサートや練習で使い、昨年には青年会議所の例会でも使った事があり、万博の最中にももちろん行きましたが、これほど人が集まっているのを見たのははじめてのことでした。
 勿論、問題もあります。まず、イベントがまだ十分に定着したものではないということです。一過性のものになってしまっては、定期的な集客は見込めません。コミックマーケットではありませんが、「この時にここに行けば何かしら楽しめる」というものには未だなっていない。
 また、イベントに集客力はあっても、ただちにリニモの利用者増加につながるのかというと、残念ながら簡単に利用者増加につながるとは言えないと考えます。私は往復ともにリニモを使いましたが、目立って乗客が多いわけではありませんでした(普段より少しは多いかなとは思いましたが)。一方、愛・地球博記念公園駅のホームから見下ろすと、公園の駐車場はほぼ満車でした。ところどころに痛車が見えるのはご愛敬ですが、愛知県は東京や大阪に比べると鉄道が貧弱で、車中心の移動が定着しています。公共交通機関の利用を呼び掛けたとしても、切り替えは簡単ではありません。この点は、現在持ち上がっている大規模商業施設の建設において同様の問題点として指摘する事ができます。
 今日はリニモの駅で「ぽぷかる」に際してリニモの利用証明書を配布していました。これがあると、大観覧車が割引になったそうです。これは主催者の判断になりますが、例えばイベントの一部を参観するのにリニモを利用している事を条件にするなどの策も考えられるのではないでしょうか。「ぽぷかる」の場合、主催者は愛知県でしたから、県の決断によってはそれも可能ではないかと思います。
 私が会場にいたのは30分程度でしたが、様々な事を考えさせられた一日でした。

2011年2月 6日 (日)

愛知県知事選・名古屋市長選立候補者アンケート

 愛知県知事選・名古屋市長選立候補者アンケート
 http://politomo.jp/aichi/result/ 

 名古屋中国領事館移設問題
 外国人留学生アクティビティ特区
 住民投票条例
 永住外国人に対する地方参政権付与の法制化
 選択的夫婦別氏制度を含む民法改正
 人権擁護法案

 非常に重要な問題点だと思いますので、私は候補者ではありませんが、考えを述べておきたいと思います

・名古屋中国領事館移設問題
 領事館は大使館や公使館に準じた「治外法権」が認められている一方で、領事館本来の任務である自国民保護の仕事を越えた故国の宣伝活動をも行うのが今や状態となっている。現在と将来の日中関係に鑑みて名古屋に中国領事館を置くの存在は必要であることは認めるが、工作活動拠点にされる可能性は考慮しておく必要がある。
 こうした領事館を拠点としてシンパを増やし、公費で活動家を雇い、例えば台湾との交流に反対したり、領土・人権問題で中国に有利になるよう地元政財界に圧力をかけることも当然に想定される(北京オリンピックの際の長野での中国の工作活動を見ればよい)。愛知が「産業都市」であることを考えると、特権を使って産業スパイを保護するようなこともあり得よう。
 少なくとも「国有地を売ってその金を財政再建に充てる」という単純なものではない以上、地方に権限はないにしても、その悪影響をまともに受ける虞が高いため、反対すべきであると言わざるを得ない。

・外国人留学生アクティビティ特区
 日本人の失業者を放置し、学ぶ機会を十分に作らない一方で、外国人を外国人であると言うだけで優遇することはおかしい。
 留学生を優遇するにしても、少なくとも大学院以上の者に限定すべきであり、その優遇の範囲も住宅確保等に留めるべきだ。外国人を採用した企業に補助金を出すなどということは本末転倒も甚だしい。
 私は大学院で留学生特に中国や台湾からの留学生と机を並べたが、彼らは総じて日本人学生より優秀であった。母国と言う物差しを持っている分より日本を客観的に見る事ができていたように思う。しかし、それは彼らが母国で相応の大学を出て少なくとも学士号を持った上で日本に来ているからである。こうした留学生により学びやすい環境を提供することは日本人学生とも切磋琢磨することになり、私は賛成である。
 しかし、「中国の大学に入れなかったから日本に来た」者や、留学名目での事実上の出稼ぎ労働者が激増し、様々な問題を起こしている。そして、経営難に苦しむ大学の中には、事実上の出稼ぎ労働者であることに目をつぶっているところも多いと聞く。私の大学時代の同期生がある大学で講師をしているが、講義どころか試験にすら出てこない学生も多く、それでいて単位は欲しい単位がないと在留できなくなると泣きついてくる、更には日本語をほとんど学ぼうともせず定期試験の問題を中国語訳して欲しいと要求する者までいる始末だそうだ。
 外国人留学生はかなり質のばらつきがある。現状で優遇することは制度を悪用されるだけでなく、その反動で真面目で優秀な留学生まで白い目で見られかねない。現段階で特区を作る事には反対せざるを得ない。

・住民投票条例
 首長と議会が対立した場合の打開策として一考の余地はあるが、乱発されれば議会内や議会と行政の対話が形骸化し、雰囲気や扇動で決せられるような事が常態化することになりかねない。
 民主主義のあるべき姿として、「民意をダイレクトに反映させる」のがよいのか、「ワンクッション置いて民益を重んじる」のがよいのかは一概には言えないところである。しかし、長期的に繁栄した国家や政府は、後者を重んじる統治機構を持ってきたところが多いことは知っておいてよい。 なお、投票者として外国人を認めるかについての争点は外国人地方参政権と同じく反対する。詳細は下記参照。

・永住外国人に対する地方参政権付与の法制化
 これは明確に反対する。
 沖縄の基地問題を見ても分かる通り、地方政治といえども国家安全保障と切り離した状態にはない。そうである以上、地方政治で主権者である国民と同等の「最終決定権」を外国人に与えることは、国家の安全保障における意思決定を間接的にせよ委ねたのと同じ事になる。
 参政権を有する外国人に「愛国心」がないのであればまだ安心できる。しかし、彼らとて愛国心は当然持っているであろう。母国は日本よりも大事なものであろう。愛国者ならば、日本を犠牲にしても祖国を守る事になる。それは国民として当然の権利であり義務である。彼らが祖国を愛するゆえに行動する時、日本の国益と抵触する事になる可能性がある。そうなったとき、日本の国益が損なわれる可能性が高い。
 既に外国人であっても、請願や陳情は日本国民と同等程度には認められており、政治活動の自由も基本的人権として保障されている。これらの権利を剥奪する必要はないが、投票権と言う「決定権」のまで付与することには反対する。(なお、外国人の政治活動すら認めていないところも多い)

・選択的夫婦別氏制度を含む民法改正
 債権法の改正については、民法をより社会一般の実情に適合した改正にする必要があるので基本的には推進すべきと考える。
 しかし、家族法の改正については嫡出子非嫡出子の相続差別や300日規定のようなものは別にして、ただでも日本の家族関係が希薄になっている今日、それを更に進めるような夫婦別姓や養子を特別養子に限定するような改正には反対する。

・人権擁護法案
 私は人権擁護そのものに関しては賛成であり、基本的人権を守る事は国家の責務であると信ずる。この点で、人権思想が日本古来の思想ではないから日本に相応しくないとか、人権を守ったから公共心がなくなっているとか言う意見には賛成できない。
 しかし、人権の擁護は現在の司法機関や民事刑事の手続き上で行われれば足りる。新たに人権擁護法を作り、人権擁護のための委員会を設置してそこに事実上の捜査権などを付与することには反対する。

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »